24 孤高の理由


 なんやかんやあったけれど、とにかく氷乃ひのを部屋に招き入れることには成功した。


 大事なのは過程ではなく結果だ。


 そう自分に強く言い聞かせて納得する。


「と、いうわけで氷乃先生。よろしくお願いします」


 目的はあたしのテスト対策である。


「分かったわ。どこが分からないのか具体的に教えてちょうだい」


「はい、えっとまず全体的に意味不明でして」


「……その始まり方からして意味不明なのだけれど」


 氷乃の眉間の皺が濃くなるが、気にしない。


 大事なのは過程ではなく結果だ。(二度目)



        ◇◇◇



「ひとまず、こんなものかしらね」


「な、なるほど……」


「どう、理解できた?」


 流石と言うべきか。


 主席の才女は、勉強を教えるのにも秀でていた。


 常にあたしの理解度を察し、事細かに難易度を調整しながら説明をしてくれる。


 個人にフォーカスしてもらえる分、学校の授業よりも分かりやすかった。


 個別指導ならではの強みってこういう所にあるのかと、クラスメイトから実感してしまった。


 何より、氷乃がこんなにも相手の立場になって教えることが出来る人間だという事に驚きがあった。


「……ん? つまり氷乃はあたしの事を理解して合わせてくれている? やっぱりあたしのこと好きなんじゃん」


「どうやら貴女に日本語の理解から求めていた私が愚かだったようね」


 スクールバックを持って立ち上がる氷乃。


 まずい、帰る気だ。


「ちょっ、まだ早いって」


 あたしは氷乃のブレザーの裾を掴んで、止めに入る。


「いえ、長すぎたくらいよ。貴女にこんな時間を使ってしまった自分が情けないわ」


 原因はさっぱり分からないが氷乃がご機嫌斜めだ。


 どうしよう、もうちょっと勉強を教えてほしいんだけど。


「ほら、こういうお茶目なヒロインのギャップに主人公はキュンとしちゃうんじゃないの?」


「ギャップなんて皆無。いつもの貴女らしく知性の低さを露見させただけじゃない」


「おっと、言いすぎだろっ!」


「時に厳しい真実を告げるのも主人公の役目よ」


 なんだそれ。


 これ恋愛小説だろっ、少年向けバトル漫画じゃないよねっ。


 恋人の家で厳しい真実とか要らないんだよっ。


「主人公は自分の言ったことを途中で放棄しないでしょっ。最後まで勉強付き合ってよっ」


 まだまだ教えて欲しい範囲は山盛りだ。


 これだけ教え上手な人間を逃したくない。


 このリア充な時間を失いたくない。


 なにが本音かは想像にお任せする。


「……まあ、それもそうね」


 おや、どうやら主人公の役割を指摘したのが響いたらしい。


 氷乃はバッグを置いて座り直す。


 やはり恋愛(小説)脳。


 この手の発言をしておけば何とかなる。


「もうちょっと付き合ってあげるけれど、次また変なこと言ったら帰るわよ」


「変なことを言った覚えはないぞ?」


「……貴女との会話って本当に難しいわね」


 お互い様だ。







 それから、また2時間ほど教えてもらっただろうか。


 さすがに頭がパンパンになってきた。


「今日はこのくらいが限界なんじゃないかしら?」


 その様子を察してなのか、氷乃の方から切り上げてくれる。

 

 なんだ、やっぱりあたしのこと理解してくれてんじゃん。


「そうだね、もういっぱいいっぱいかな……」


「まあ、割と進んだ方だと思うわよ。理解力が一切ないわけではないようだから、日々ちゃんとやっていれば問題ないと思うけれど」


「それが出来たら苦労しないし、氷乃が教え上手なだけだと思うよ」


 残念だが、あたしの勉強に対する集中力は異常に低い。


 こんなにも継続して勉強できたのは氷乃のお陰である。


 これは否定のしようがない。


「……そう」


 氷乃は短く返事をする。


 その淡白な返事から感情を察するのは難しいが、まあ、悪い気はしていないだろう事くらいは伝わった。


 これはまた第二回もあり得るかな?


 なんて想像を膨らませていると、氷乃がぽつりと言葉を零した。


「貴女、お母さんと仲は良いの?」


「? なに突然」


 まさか、氷乃が世間話に興じるとは。


 用も済んだのだし、すぐに帰ると思ったのだが。


「何となくよ、さっきの様子を見てそう感じただけ」


「ああ……? まあいいんじゃないかな、気兼ねなく話せるし」


 なんせ学校では人から遠ざけられているからな。


 家でも話す相手がいなかったらやっていけない。


 いや、そういう悲しい理由で仲良くしてるわけではないけどねっ。


「そう、それは素晴らしいことね」


「うん、まあ……でもこれくらいは普通じゃない?」


 まあ、思春期で反抗期になって疎遠になってる家族もいるだろうけど。


 それも個人差だろうし。


 “素晴らしい”と言われるほど際立って良い関係とも思わない。


「“普通”……なのかしら。私には分からないわね」


 いつもクールで抑揚のない話し方をする氷乃だが、今の口調は明らかに温度を失っていた。


 そこで、氷乃の家にお邪魔した時の記憶を思い出す。


 一人暮らしのワンルームの部屋を。


「……氷乃は、その、両親とは話してないのか?」


 結構踏み込んだ話題なのは分かっている。


 でも、氷乃から話し始めた事なのだし、無視されるにしろこれくらいを聞いてみるのは自然の流れだと思う。


 あたしとしても氷乃のことは知っておきたいしな。


「ええ、話していないわね。というより、最近は会ってもいないわ」


「……なるほど」


 やばい。


 思っていたよりも重めな扉を開けてしまった。


 しかも、ついさっき“親と仲良いのなんて普通じゃない?”みたいな空気読めないムーブをかましたばかり。


 どう考えても両親と会っていない人に対する発言ではない、配慮が足りなさすぎる。


 自分にとっての普通が、他人にとって普通とは限らない。


 そんな当たり前のことを失念していた。


「気にしなくていいのよ、マイノリティがこちらの方であることは分かっているから」


 とは言うけれど……はいそうですかとは、こちらもならない。


 だけど、氷乃がこれだけ言ってくれるのだし。


 表面だけでも知っておいてはいいのかもしれない。


「その……氷乃は家族と上手くいってないのか?」


 あたしとママの関係性を見て仲が良いのか聞いて来るのだから。


 相対的に氷乃はそうなんじゃないかと思ってしまう。


「それならそれでいいのだけれど、特に衝突があったわけでもないのよね。だから仲が良いのか悪いのかもよく分からないわ」


 ぐぬぉぅ……。


 それはそれでまた何と難しい……。


 そんな宙ぶらりんな状態では、あたしも何と言ったらいいのか分かりません……。


「別に、慰めて欲しいとは思ってないわ。貴女を羨んでいるわけでもないのよ」


「あ、そうですか……」


「そもそも、そんな高度なコミュニケーションをとれる人じゃないでしょ?」


「はい、そうだと思います……」


 あたしは空気が読めない女ですから。


 返す言葉もございません。


「やりづらいわね……」


 あたしはすっかり反省モードでしょんぼりしていたのだけど。


 氷乃は氷乃で苦虫を嚙み潰したような何とも言えない顔をしていた。



        ◇◇◇



 時間は夜に迫り、氷乃は帰宅することに。


 何とも言えない空気のまま、玄関まで見送る。


「お邪魔しました」


 ぺこりと氷乃がお辞儀する。


 帰る足音で察したママも、一緒にお見送りに来ていた。

 

「もう暗くなるから帰り道に気を付けてね。ご両親は心配しないかしら?」


 ちょっと、ママァ……!?


 それは今、最もセンシティブで触れづらい話題なんですけどぉ!?


 地雷を平気で踏み抜くのは遺伝か、遺伝なのかっ!?


 思わぬ所でDNAの螺旋を感じていると、氷乃がすかさず返事をする。


「両親は不在ですが、こちらから私の家まで近いので大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


 さすが氷乃。


 両親の話題に軽く触れつつ、でも心配は無用という情報もちゃんと提示する。


 出来る女だ。


 それに比べてママは……もっと気を配って頂きたい。


「ほらあんたも、お友達が帰るんだから何か言いなさいよっ」


 あ、そうですね。


 あたしもやっぱり気を配るのが苦手だ。


「じゃあね、氷乃。また来てよ」


「ええ、そうするわ」


 ママの前だからだろう、他人様使用の笑顔を浮かべながら氷乃は我が家を後にした。


 扉が閉じられると、ママがあたしに声を掛ける。


「あんたの友達とは思えないくらい品と知性を感じる子ね?」


「あたしに品と知性がないのはママのせいでしょ」


「あ、何でも親のせいにするのはどうかと思いまーす」


「こっちは今まさに親のDNAを感じたところなんだけどねっ」







 似た者同士と呼ばざるを得ないママと別れ、あたしは部屋に戻る。


 不思議と部屋には氷乃の香りが残っているような気がした。


「しかし、氷乃め……」


 最後の最後で、反応に困る話題を提供してくれちゃって。


 でもまあ、これはこれであたしに心を開いてくれた証拠なのかもしれない。


 だけど、何というか、彼女の孤独はあたしとはまた違う理由がありそうで……。


氷乃そっちの方がヒロインぽくない……?」


 なんて、設定に毒された独り言を呟くのだった。



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