16 少し落ち着いたらどうかしら


 私と彼女の関係は、私の一方的な要求から始まる。


 それは彼女の秘密を知ることで得た有利性。


 これを利用することで私は彼女を縛り、この関係性を繋いでいる。


 この機会を得て、私は彼女を知り、自分自身を知る手掛かりになればいいと思っていた。


 だから朝日詩苑あさひしおんは私の言うことに従っていればいい。


 多少は思う所があったとしても、私の話を鵜呑みにしていればいいのだ。







 ……そう、思っていたのだけれど。


 最近、彼女の様子が少しおかしい気がする。


 教科書がないと言うから、机を繋げて教科書を見せていると、彼女は私の手元ばかりを見ているのだ。


 最初は黒板の文字が見にくくて私のノートを写そうとしているのかと思ったが、彼女の手は一切動いていない。


 視線もまるで黒板にも向いていない。


 ただずっと私のノートと手元に目を向けているのだ。


 さすがに、そんな意味もなく私ばかり見つめ続けられるのは、手とは言え落ち着かない。


「……見すぎじゃないかしら」


「あっ、ごめん」


 ようやく元通りになり、教科書を読みあげる先生の話に耳を傾ける。


 このまま授業に集中しようと思ったのだけれど……。


「……」


「おわっ」


 顔を上げて右隣を見ると、目が合った。


 朝日詩苑が私を見つめていた。


 私が見るよりも早く彼女の顔はこちらを向いていたのだから、さっきから私の方を見ていたのだろう。


 手の次は顔を見るとか、斬新すぎないだろうか。


 とにかく授業に集中していないことだけは確かだ。


 彼女はあわあわと両手をせわしなく動かし、視線が右往左往する。


 明らかに、平常な人の動きではない。


「何をしているの?」


「いや、ちょっと氷乃ひのを見ていたと言うか……」


 一体この人は、授業を聞きもしないで私なんかを見て何がしたいのだろう。


「意味が分からないのだけれど」


「あたしも、自分で何でこんなことをしているのかよく分からないんだよな……」


 まさか本人自身が理解していないようだった。


 そんなの私も分かるわけがない。  


「私が何のために教科書を見せていると思っているの?」


 授業を受ける気がない人に、わざわざ教科書を貸す理由はない。


「ご、ごめんっ。ちゃんと授業聞くからっ」


 慌てふためいてようやく視線を黒板に向ける。


 彼女の様子は、昨日あたりから急におかしくなった。


 どこからかと頭を捻らせると、やはり私の家に来てもらった当たりからだ。


 何が彼女をそうさせたかはよく分からないけれど。


 とにかく、彼女はもう少し落ち着くべきだとは思っている。



        ◇◇◇



「……ひ、氷乃、昼はどうするんだ?」


「はい?」


 昼休みになると、彼女の方から声が掛かる。


 しかし、その内容はどうも不明瞭だ。


「また一緒に食べたりしない?」


「……私は食べないと言ったでしょう」


 この前は体験として一緒に食堂に行ったりもしたけれど。


 一回経験したのだし、毎回する必要性も感じていない。


「氷乃は食べなくてもいいけどさ、また机を繋げて食べてもいい?」


「あなた、日本語がおかしいわよ」


 なんとなく意味は伝わるけれど。


 要するに私は何も食べないが、彼女が昼食を食べるのを机を繋げて見守っていればいいのだろう。


 そうしたい理由はさっぱり理解できないのだけど。


「ほら、一人で食べるのって画的にキツイからさ。隣に誰かいると見栄えが違うじゃん」


 そう言いつつ、既に机は寄せられている。


 手際が良すぎる。


 ……さて、どうしたものだろう。


 いつの間にか、彼女の方から積極的に来るようになっている気がする。


 主導権は私が握るはずだったのだけれど。


「……まあ、食べなくていいのなら構わないけど」


「うへへ」


 しかも、不敵な笑い声を上げている。


 表情も何だか緩んでいる。


 嬉しいみたいだけれど、意味は分からない。


 いつの間にか性格まで変わってしまったのだろうか。


 最初はもっと、素っ気ない人だと思っていたのだけど。


 ……まあ、私が言えた立場ではないが。


「あなた、そんなキャラだったかしら?」


「え、なにが?」


「そんな笑い方しなかったでしょ」


「笑ってた?あたしが?」


 ……どうも、自覚はないみたいだ。


 いよいよ、彼女の認知機能が心配になってくる。


 理由もなく私のことを見つめ、自覚がないままに笑っている。


 何か異常をきたしているとしか思えない。


「……いいわ、私が見ていてあげるから」


 異常に気付いてしまった私が、彼女を見守ってあげないといけないのかもしれない。


「えっ、食べるのを一方的に見るのかっ」


「なんで驚いているのかしら」


「恥ずかしいじゃん」


 ……さっき、人の横顔を散々見ていた人の発言とは思えない。


 それに食べない人の隣に来たのだから、必然的にそうなっても仕方ないとも思うのだけれど。


 そうしている内に、彼女はお弁当箱を広げる。


 その匂いは、隣にいる私の方まで漂ってくる。


「……食べる?」


「物欲しそうな目はしていないでしょ」


 いい匂いは感じたが、食欲が湧いたわけでもない。


 彼女が気を利かせすぎだ。


「いや、氷乃細いからさ。もうちょっと食べた方がいいと思うけど」


「……」


 何度かその事で陰口を叩かれたことがあった。


 “食べないことをこれ見よがしにアピールして、細い体を自慢している”とか何とか。


 そこまでして人の粗を見つけたいのかと、もはや関心すらしてしまった。


 それでも人の悪意を感じて、良い気分になれるわけでもない。


 彼女もまた、私にそんな遠まわしな表現をしてきたのだろうか。


「食べたくないから口にしないだけよ」


「ダイエット?」


「してないわ」


「……」


 彼女の言葉が途切れる。


 彼女もまた、私の言葉がアピールや自慢の類に感じたのだろうか。


 そうだとしたら、少し残念だ。


 そうなってしまった人との繋がりはきっと長くは続かないだろうから。


 ぷるぷると箸を持つ彼女の手が震えている。


 感情的になっているのを見るに、予想が当たってしまったのだろう。


「そっちがそうならっ」


 彼女は勢いよく机の上に箸を押し付けると、お弁当の箱の蓋も閉じ始めた。


「……何をしているの?」


「あたしも食べないっ」


 ……想像していた反応と少し、いや、だいぶ違う。


「理由を聞いてもいいかしら?」


「氷乃が羨ましいから」


「……ん?」


 話しが全く繋がらないのだけれど。


「あたしも食べたくない結果、やせ型体型になってみたいっ」


「……いや、あなたはご飯が食べたいのでしょう?」


 箸を持つ手がぷるぷる震えていたのは、その決意の揺れ動きだったのだろうか。


 ご飯を食べるか、食べないかの……。


「いや、食べたくないっ」


「そんな口をへの字にして言われても……」


 説得力がまるでない。


「私の真似なんかする必要ないでしょうに」


「いや、あたしも氷乃みたいになりたいっ」


「……私のように?」


「そうっ」


 彼女はこちらに視線を向ける。


 ……向けているのだが、目線は合わない。


「ちょっと、あなたどこ見てるの」


「体」


 不躾すぎる表現だった。


「やめなさい」


「いいよなぁ、あたしもそんくらい細くなりたいよ」


 彼女の瞳は真っすぐに私の体を捉えている。


 いや……その真剣さを、私の体にだけ向けるのは変だと思う。


「いいから、食べたいなら食べなさい」


 彼女の視線がさっきから私の体ばかりで居心地が悪すぎる。


 お弁当箱の蓋を開けて、箸を持たせた。


「ああっ、誘惑しないでよっ」


「我慢は体に毒よ」


「氷乃に言われたくないっ」


「私は普通なのよ」


 全くどうして……。


 隣に来てみたり、私のようになりたいとか言ってみたり。


 急に態度を変え過ぎではないだろうか。


 彼女はもう少し落ち着くべきだ。


 そうでないと、なぜか跳ねているこの心臓が収まりそうになくて困ってしまう。

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