08 飲み込む


「多い……」


 出来上がったハンバーグ定食を持ってきた氷乃ひのの第一声がそれだった。


 量が多いだけでこんなに嫌そうな反応する人、初めて見た。


「そう?みんな、それくらいは平気で食べてると思うけど」


 何だったら男子からすると物足りない量だったりするらしい。


 この前、そんなことを小耳に挟んだりした。


 一人でいると他の人の談笑がよく聞こえるものだ。悲しいことに。


「そうなの?あなたもこれくらいは平気で食べられるの?」


「……あたしなら全然余裕かもね」


 それもまた悲しいことだけど。


 なんだったら、このお弁当を食べた後でもそのハンバーグ定食を完食することは可能だと思う。


 氷乃よりあたしの方が背丈は小さいのに、胃袋はあたしの方が大きいとか、切なすぎる。


 あたしも氷乃みたいに小食で食べられないとか言ってみたい。


「そう……私がマイノリティなのね」


「ああ……それはそうね」


 氷乃は色んな意味で少数派だと思う。


 それを胃袋の話で感じるのは違うような気もするけど。


 あたしと氷乃はお互いに“いただきます”と声を掛けてから食べ始めた。


 前方から漂う香ばしい匂いと、あたしが実際に食べる冷たい鮭では随分とギャップがあって頭の中はちょっと混乱するけれど。


 それでもお弁当に口をつける。


 うん、昨日の夜に食べた味だ。


「……」


「……」


 黙々と食べ進める。


 しかし、ちょっと待って欲しい。


 せっかく二人で食べてるのに、これは如何なものか。


「氷乃、こういう時に軽快なトークを弾ませるのも仲良くなる過程には大事なんじゃない?」


「……それもそうね」


 氷乃は大きく息を吐きながら、わたしの問いに答えた。


 そんな疲れることでもあっただろうか。


 とにかく氷乃はナイフとフォークを置いて、あたしに視線を向ける。


「それで、何を話すの?」


 それを含めて氷乃に丸投げしてたんだけど……。


 どうやら氷乃も突然のトーク力はないらしい。


 とは言え、あたしも基本的に会話下手。


 気の利いた話題とか咄嗟に出るほど器用ではない。


「氷乃の小説のヒロインって……なんであたしなの?」


「……小説のために会話をしようとしているのに、小説の話をするの?あなた?」


 “正気?”と言わんばかりに氷乃の目つきが険しくなる。


 あ、まあ……かなりメタ的ではあるかもしれないけど。


 話題を提供したんだから感謝してくれ。


「あ、いや、何でかなと思って気になってたから……」


 氷乃は息を吐いて肩の力を抜く。


「別に、他意はないわ。隣にいたのがあなたで、身近な人の方が題材に出来ると思ったから、そうしただけ」


「あ、はあ……あの氷乃の小説って恋愛ものなんだよね?」


「……」


 じろりと睨まれる。


 面と向かって恋愛とか言われるのは好きではないらしい。


 多分、恥ずかしがってるんだと思う。


 顔つきは怖くなるだけだから、分かりにくいけど。


「だったら、何?」


「どうして相手があたしなのなかって……。主人公が氷乃なら、相手は男の子でいいんじゃないの?」


 氷乃が人との好意を学ぶための物語なのならば、その存在は身近な存在である必要はあると思うけど。


 でも、同性である必要はないのではないだろうか?


「性別なんてどっちでもいいのよ、これは創作で架空の物語なんだから」


「でもそれだと、どっちかというと友情の方に近くならない?」


 女子同士、それも距離の近い二人は友情を育んでいくのが自然だと思う。


 まあ、あたしと氷乃で友情が生まれるかと言うと、かなり疑問ではあるが。


 やはりこの関係性は壊れている様に思える。


「……あなたって、結構硬いのね」


「はい?」


 氷乃はどこか吐き捨てるように言った。


 でも一体、何に対することを硬いと評されたのだろう。


 体のことかな?


 たしかに、全身は固い方だけど……それをまだ氷乃には知られていないはず……。


「いいわ、別に。あなたにそこまでの理解を求めてはいないから」


「なんだよ、その言い方」


 少なからず協力しているのに、そんな突き放す言い方はないんじゃないだろうか。


「……」


「なんか言いなよ」


 氷乃は面白くなくなるとすぐに黙り始める。


 無視で他人を遠ざけるのは彼女の常套手段だけど、それはズルいと思う。


 人の気持ちを知りたいなら、もっと寄り添わなければダメじゃないだろうか。


 けれど空気がちょっとだけ重くなったのは、あたしにも責任がありそうで。


 だからこれ以上、口を開くことも出来ない代わりにお弁当の箸を進める。


 沈黙を誤魔化すように食べるお弁当はすぐに空になった。


「食べるの早いのね」


 意外にも、沈黙を破ったのは氷乃からだった。


 ……いや、そもそも沈黙を生み出したのも彼女からか。


「うん。よくお母さんに怒られる、もっとゆっくり食べなさいって」


「そのお母さんの言う事、分かる気はするわ」


 すると氷乃は自身のトレーをあたしの前に押し出してくる。


 半分以上残っているハンバーグ定食。


「……氷乃、これは?」


「私、もう食べられないから。あげる」


「え、えっと……」


「“全然余裕”、なんでしょ?」


 言いましたよ、言いましたけど……。


 なんだかそれは女子として色んな意味で敗北を意味すると言うか……。


 いや、最初から氷乃相手にすると全てにおいて負けているのは百も承知だけど……。


「どうしたの。あれだけ豪語しておいて本当は食べられないってわけ?」


「あ、いやそうじゃなくてさ……」


 氷乃が使ったナイフとフォーク。


 当然、ハンバーグを食べるにはそれを使うのが自然な流れ。


 でも、それって間接キス的な……?


「それとも私が口にした物は食べられないとか?」


「あ、いや、そういうわけでもないんだけど」


 いや、待て待て。


 あたしもあたしで何を狼狽えている?


 女同士なら食べ物や飲み物をシェアするのは自然な流れじゃないか。


 それをあたしは間接キスくらいで何を躊躇っているんだ。


「なら食べなさい。同じものを食べるのって、距離を縮めるのには丁度いいでしょ?」


 それに、これは氷乃からの指示だ。


 これは小説のためで、そうしないとあたしの恥ずかしい行為が拡散されてしまう。


 だから、何も考えずに食べればいい。


 あたしはトレーを自分の方に寄せて、ナイフとフォークを手に取った。


 そのままハンバーグを切って、口に運ぶ。


 フォークを抜き取る際に、唇と舌が触れていく。


 それはきっと氷乃も同じことをしたであろう行為で。


 もぐもぐ、と咀嚼してお肉を胃に落とし込む。


「どう、美味しい?」


「……うん」


 正直、味はよく分からない。

 

 全然ちがうところに意識が向いてしまって、味覚はどこかに吹き飛んでしまった。


 おかしい。


 こんなことで味覚を忘れるあたしは自分らしくないなと思ったりする。


「やっぱり間接キスって同性同士なら意識しないものなのね」


「……っ!?」


 へえ、と氷乃はさして面白くもなさそうに言ってくる。


 でもこっちの内心は言い当てられたみたいにドキッとする。


「……あ、ああ。女子同士でそんなこと意識するわけないしっ」


 精一杯の白々しい演技を発動する。


 ていうか氷乃も確信犯でそんなことやってきたのか。人が悪い。

 

「もし意識するようなら友情ではない感情を覚えている、そういう指標になるのかしら」


 友情ではない何か?


 何かって、なに?


 よく分からないままに、ハンバーグはすぐに完食した。

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