06 孤高でいる為に


 体育の授業。


 短距離走のタイムを計るのだそうだ。


 何が悲しくて、こんな晴天の中で走らなければならないのか。


 甚だ疑問であるが、授業なのだから仕方がない。


 春の陽ざしは陽気だが、風はほどよく冷たい。


 寒いとまではいかないけれど、涼しいくらいの気温のため皆がジャージの上下に身を包む。


 遠目に見える男子生徒の中には半袖の子もいたりするけど、正気じゃないなと思う。


 そんな中、わたしの横を誰かが通り過ぎる。


 氷乃ひのだ。


「えっ……」


 通り過ぎた氷乃の後ろ姿を目にして、声を漏らしてしまう。


 氷乃はジャージの上を着ているものの、下はハーフパンツだった。


 女子の中でもそんな恰好をしているのは陸上部のガチ勢くらいなのに。

 

「うわ、氷乃さん足長……」


「なのに細すぎじゃない?」


「わたし、このクラスで足を晒さないことを今決めた」


「あ、それうちもだわ」


 氷乃の恰好にクラスの女子もヒソヒソ話が止まらない。


 普段の氷乃は制服の着こなしもしっかりしていて、スカートの丈は膝下、ソックスはふくらはぎまで覆っている。


 それが今は太もも部分以外のほぼ全ての素肌が晒されているのだ。


 その圧倒的なスタイルの良さを惜しげもなく。


 皆がそれに釘付けになっている。


 同じ女子として、あんな足に生まれたかったと皆が羨望の眼差しを向けているのが空気で分かった。


 そして、あたしは自分のジャージの裾をたくし上げて、ふくらはぎを見てみる。


「……ふっ」


 思わず自分で吹いてしまった。


 氷乃の足を見た後だと、自分の足が潰れたパンのようだ。


 悲しい、けれど笑ってしまう。


 ていうか笑ってやり過ごすしかない。


 あたしは可哀想な足を隠して、先生の号令に従い整列することにした。







「……はぁはぁ」


 肺が酸素を求めている。


 あたしは最初の組みで走ることになった。


 そして、あたしはぶっちぎりだった。


 ビリの方で。


 くそぅ……ビリで一番呼吸荒いとか、どういう羞恥プレイなんだ。


 こんな見せしめを当たり前のようにやるから、体育は嫌いなんだ。


 どうあっても埋めようのない実力差を公衆の面前で晒す、それが体育。


 憎い、憎くて仕方ない。


 けれど悪態をつける友達もいないあたしは、とぼとぼと隅っこに待機することに。


 動いた後で体も熱いので、陽ざしのない場所に腰を下ろす。


 こんな隅っこの日陰に潜んでいたら、きっと誰も気付かないんだろうなぁ……そんなことを思ったりする。


 出番が終わってやることのないあたしは後の人達の走りを眺めることにした。


 その中に一人、頭と腰の位置が異様に高い女の子がいる。


 氷乃だ。


 シルエットだけで分かってしまったけど、決して変態ではない。


 それだけ氷乃のスタイルが一線を画している証拠だ。


 ――パンッ


 と、スタートの合図が鳴る。


 氷乃は長い手足を振り、大地を駆ける。


 その動きには無駄が長く洗練され、速かった。


 あんなふうに風を切れたら、どんなに気持ちがいいだろうかと思う。


 氷乃はぶっちぎりでゴールしていた。


 トップで。


 その後ろには陸上部の女の子もいた。


 本職の人より速いとか、デタラメすぎる。


「……」


 そして氷乃は肩を上下することもなく、息一つ乱さず涼しい顔で歩く。


 他の子たちは息を乱し、疲れた表情を浮かべていると言うのに。


「何をしているの?」


「……はい?」


 あたしに話しかけてくる人がいる。


 氷乃だった。


「あら、こんな単純な会話も理解できなくなってしまったの?義務教育からやり直す?」


 ……聞き返しただけで辛辣だなぁ。


「いや、こんな隅にいるあたしを見つける人がいると思わなくてビックリしただけ」


「……あら、そうだったの。さっきからこんな所に隠れて何をしているのかと気になっていたのだけれど」


 “気になっていた”


 それはあたしに関心を持ってくれているようにも聞こえる。


「そんな目立ってた?あまり人目につかないようにしてたんだけど」


「さあ……。私の視界にはコソコソと大衆から逃げ惑う不思議な子が見えて、走るのに集中できなくて大変だったわ」


 ……ううん。


 こいつはいちいちあたしを蔑まさなきゃいけない病気でもあるんだろうか。


 話題を変えよう。


「氷乃、走るの速かったじゃん」


「ええ、まあ、これくらいはね」


「“これくらい”で陸上部より速いと嫌味じゃん」


「そういうあなたは遅かったわね」


「……うるさい」


 なぜこっちは褒めているのに、そっちはけなしてくる。


 自分が一番分かってることとは言え、第三者の口から底辺の結果を伝えられるのは気分としては良くない。


「あまりに洗練されていない動きは、新鮮に映ったわよ」


 皮肉交じりで煽られている。


 くそ……もういい。


 こんな悪口は耐えられないと、腰を上げようした瞬間だった。


 驚いたことに氷乃はそのまま腰を下ろした。


 あたしの隣に。


「え……氷乃?」


「なに」


「なんで、ここに座ってるわけ?」


「……驚いたわ。自分が先に座っていただけで、この範囲を占有していると思っているの?ここ学校の敷地よ?」


「いや、そういう意味じゃなくて」


「それなら、あなたにとやかく言われる筋合いはないわ」


 同じように芝生の上に、体育座りになる氷乃。


 同じ位置に腰を下ろしているのに、足が随分と奥に着く。


 素足を晒している膝下がこれまた長く、細く、伸びている。


「何よ、そんな足ばっかり見て。言っておくけど、毛の処理とか下らないこと聞いてきたら怒るわよ」


「思ってないし」


 急に生々しいことを話題に出すな。


 何となく想像しちゃったじゃないか。


「氷乃がハーフパンツになると思ってなくてさ」


「こっちの方が走りやすいでしょう?」


 うーん。


 もちろんそうなんだけど。


 走りやすさを優先してハーフパンツになるほど、体育の結果なんて追い求めている子も少ない気がする。


 ていうかみんな割とどうでもいいと思っているはずだ。


「氷乃、そこまでして速く走りたかったわけ?」


「意外?」


 あたしの言葉のニュアンスで意図を汲み取ったのか、その真意を氷乃は聞き返してくる。


 本当、察しがいいのも考えものだ。


「なんか割と……こう冷めてるのかなって」


「別に熱くはないわよ。走らないで済むなら、走りたくもないし」


「なら、なんで……?」


 ますます、よく分からない。


「大事でしょ、結果って」


「……結果、ねえ」


「ええ、私みたいな社会性のない人間から結果を取ると、本当に何も残らなくなる。だから、これくらいはしっかり残しておかないとね。自分の立ち位置を守るためよ」


 確かに氷乃がぼっちだと揶揄されないのは、誰よりも美人で優秀で他者を寄せ付けない実力があるからだ。


 それは氷乃自身もよく自覚していて、そのために結果を求めているらしい。


 そして、その言葉があたしには耳が痛すぎる。


「実力がないあたしはどうすれば……」


 だからこそ氷乃のようには扱われない孤独なあたし。


 人生ままならないと、肩を落とす。


「あなたにはそれでいい要素があるじゃない」


「えっ、なに、それっ」


 そんなポジティブな要素、あたしのどこにあった?


「……いえ、明言は避けておくわ」


「えっ、なんで」


「それを知ると、あなたがその素養を失ってしまいそうだからよ」


「意味わかんないんだけどっ」


 氷乃はそれから絶対そのことについては教えてくれなかった。


 妙に視線を泳がしながら、口に出しにくそうにしていた雰囲気だけが妙に印象に残っている。


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