02 小説のヒロイン


 それは小説というには、あまりに断片的で。


 短すぎる数行だけの文字が綴られていた。


 伝わったのは、限られた情景。


 放課後の教室であること。


 そして二人の少女が見つめ合っているということ。


 そして――


「あたし、朱音あかねのことが好きなのっ」


詩苑しおん、私の方こそずっとあなたのことを……」


 ――あたしと同名の子が、これまた氷乃と同名の子に告白しているシーンだったということだ。



        ◆◆◆



「あなた、見たわね……」


「え、えと、その……」


 氷乃ひのがゆらりと長い手足を振って近づいて来る。


 目の前に立たれると、氷乃に見下ろされる。


 あんまり気付いてなかったけど、どうやら氷乃は身長もあたしより随分と高いらしい。


「どうして勝手に見たと聞いているの」


「な、なんのこと……?」


 思わず視線を反らし、うそぶいてしまった。


「とぼけないでっ」


 あたしの腕を掴まれ、持ち上げられる。


 重力に従ってノートがパラパラと揺れる。


「あなたの持っているこのノート、私の物よ。さっきコレに目を通したのを見ていたんだからっ」


 非難めいた瞳と、荒々しい口調。


 いや、でもこんな所に置いたままのそっちにも落ち度があるよね?


 それに……

 

「ああっ、これ氷乃のだったのか。へえ、クールなあんたもこんな恋愛小説とか書いたりするんだ?意外すぎ」


 本人自ら告白してきたのだから、間違いない。


 これは氷乃の小説だ。


「……れ、恋愛だなんて。しっかり読んだってことじゃない」


「しかも、いきなり告白シーンとか意外に可愛いとこあんじゃん」


「やめなさいっ」


「は?」


 制止の声が掛かって顔を上げると、氷乃はなんとも歯痒そうな表情を浮かべていた。


 いつものクールな氷乃とは思えない、感情が浮き彫りになっている。


「私を語ろうとしないで」


「は、はは……」


 まあ、そうなるよな。


 自分が書いた小説を目の前で、それもあたしみたいなヤツの感想なんて聞きたくはないだろう。


 これは面白い。


 あたしを無視してきたヤツが、あたしを無視できなくなったのだ。


「ていうか人のことは無視するくせに、恋愛小説とか拗らせすぎだし。なに、本当は構ってちゃんだったりとかするわけ?」


「……黙りなさい」


 氷乃は顔を俯かせて長い黒髪で表情を隠している。


 怒りに震えているのか、羞恥心で悶えているのか。


 どっちにしても気分はいい。


「いやいや、人前では黙っておいて頭の中は結構変態なんだなと思ってさ」


「……変態はあなたの方でしょう?」


 いやいや、あたしに弱みを握られたからってその言い分は苦しすぎ。


「氷乃には負けるって」


「そう、ならこれを見なさい」


 すると、氷乃はスマホをかざして画面を見せつけてくる。


 そしてそこに映っていた写真を見て、あたしは息を呑んだ。


「そ、それ……」


「ええ、全部見ていたのよ」


 そこに映っていたのは、ノートに鼻を近づけて匂いを嗅ぐあたしの姿だった。


「そ、そんなのどうしようと……」


「クラスの皆にあなたのことを“氷乃のノートを盗み、匂いを嗅いでる女”と吹聴してもいいのよ?」


 冷や汗が出て来た。


「な、なんてことを……っ」


「あなたいつも一人でいるわよね。そんな子がこんな卑劣な行為に及んでいると知られれば、どうなるかしらね……?」


 ちっ、ちがうし。


 まだクラスに馴染めてないだけで、これからだしっ。


 しかし、それはともかくこんなことが知れ渡ればクラスにあたしの居場所は完全になくなってしまうだろう。


 何より質が悪いのは、やってしまった行為自体に虚偽はないということだ。


 悪気はなかったのに、あたしの落ち度がすごいっ。


「自分の立場が理解できたかしら?」


「……くそっ」


 終わった、完全に終わったあたしの学校生活。


 がっくりとうなだれ、思い描いていたはずの新生活に思いを馳せる。


「……それで、なんだけど」


 しかし、これ以上あたしの何を追い込みたいのか。


 氷乃は話を続ける。


「なに」


「この小説を読んでどう思った?」


「……は?」


 いきなり、何を聞いてきてるんだ。


「小説に関しては黙ってなさいって、言ったの氷乃だよね?」


「シーンを切り取られての感想は聞いていられないけど、総評なら許すわ」


「総評……」


 なんだ、その無駄に難しい注文。


「率直な感想でいいわ。正直に言ってちょうだい」


「は、はぁ……」


 思ったままのことを言っていいってことだよねぇ……?


 って言われてもなぁ。


「告白シーンだけじゃ何とも言えなくない……?」


 その前にも後にも小説は書かれていない。


 そこだけの展開しか描かれていない小説の感想は、正直無いに等しい。


「い、言ってくれるわね……私だって悩んでいるのに」


「……はぁ」


 聞かれたから答えたんですけど。


 それより手、離してくれない?


「それだけ言うなら、どうしたらいいのか教えてもらおうじゃない」


 いや、だから聞かれたから答えただけなんだけど。


「……もっと仲良くなる過程から書けばいいんじゃない?」


「仲良くなる過程?」


「学校が舞台なら、出会って遊んだりとかして……それから告白みたいな流れでいいと思うんだけど」


 ていうか、そういうのにあたしが憧れてるだけだったりするけど。


「……あなた――」


 氷乃の視線が鋭くなる。


 まずい。


 バカなわたしだって分かることを、氷乃が分からないわけがない。


 それを踏まえて悩んでいるに決まっている。


「――それが私には分からないのよ」


 うーん。


 どうやら違ったようだ。


「……なにが分からないって?」


「恋愛や仲良くなる過程、そのものよ」


「それが分からなきゃ、小説は書けないんじゃない?」


「……」


 がくんとうなだれる氷乃。


 あ、あれ……?


 傷付けた?


 もしかしてあたし、傷付けちゃった?


「その……ほら、身近な友人関係を思い出していけば書けるって……」


「私が一人でいることは、あなたも知っているでしょう?」


 ……ああ、そうでしたねぇ。


「じゃあ、今までの経験で……」


「過去のことなんて思い出したくもないし、それを書き起こすなんて絶対に御免よ」


 この方はさっきから何を言ってるんでしょうねぇ?


「そ、そう……。なら他の方の小説などを参考にされては如何かと……」


「だからそういったものを読んでも理解できないのよ。もちろん現象としては捉えられるけど、そこにいる登場人物の気持ちを理解できない」


 ……え、氷乃ってロボットなの?


 そんな怖い事、言う?


「……それは困ったなぁ」


 もうあたしはどうすることも出来ない。


 とにかくこの手を放してもらっていいですか?


「いいわ、これ以上の恥なんてないのだから」


「はい?」


 氷乃は一人でブツブツと言って、自分で納得している。


 どうしたどうした。


「あなた、私の創作を手伝いなさい」


「……氷乃って、冗談言うのな」


「私が冗談を言うような人間に見える?」


 いや、全く見えませんけど。


 でも、冗談にしか聞こえないことを言ってくるので。


「えっと……でもあたし小説とか書いたことないし……」


「断る気?」


「まあ……」


「断れると思ってるの?」


「えっ……」


 氷乃がスマホをかざす。


 “断れば、バラす”


 暗にそう示していた。


 青ざめるあたしの表情を見て、氷乃は満足げに頷く。


「さあ、これで分かったでしょう?あなたに拒否権など最初からなかったのよ」


「……具体的になにをすればいいわけ」


 わたしは白旗を振った。


「決まっているでしょう」


 氷乃は口元に笑みを浮かべ、蠱惑的な表情を覗かせる。


「私の小説のモデルになるのよ」


 やっぱり意味がわからなかった。

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