24 赤い月

セクシー美女、アンミツが二人を追いかけて飛び込んだのは、大浴場に直接つながるゲートだった。普段なら浴衣姿の温泉客が手拭いを持って入っていく口だ。中は今、非常灯だけが点灯する薄暗い空間だった。だが細かい地図まで頭に入っているアンミツは苦も無くすいすいと追いかけていく。ちょうど現在は「浮世絵ウィーク」ということで、廊下や和風の着替え室には壁いっぱいの歌川広重の東海道五十三次の浮世絵が貼られ、巨大な男風呂には北斎の神奈川沖のあの大波と富士山が、女風呂には赤富士の巨大な壁画が、薄暗い光の中でぼんやりとそびえていた。

イチゴの鉢を抱えた二人はさらに奥へと駆け込んでいったようだった。足音が遠ざかっていく。

「一体どこへ行こうっていうのかしら?」

追いかけるアンミツ。やがて二人の足音は、ジェット風呂や岩盤浴、打たせ湯薬湯ぶろなどがある31種類の特殊なお風呂のスパワールドを走り抜け、水着ではいれる温泉プールやウォータースライダーを横に見ながら、ついに探検風呂に入り込んだようだった。

「月光さん、奴らはどこに行くのか、まだまだ奥へと走っているわ!」

「わかった、すぐに追いつく。夏さんも後ろからきている。警察がすべてのゲートを封鎖し、腕利きのパトロール舞台が俺たちのすぐ後ろから追いかけてきている。アンミツさん、無理なことはするなよ」

「わかったわ、でも、奴らの目的がわかるまではがんばります」

いよいよ探検風呂だ。ここも男女関係なく、水着で自由に探検できる場所だ。造花とも思えない見事なランの花やたくさんの観葉植物、さらにカラフルな熱帯のインコやゴクラク鳥、ハチドリなどの鳥ロボットが目に鮮やかな足湯通路を進む、そして珍しい数々の熱帯魚の池や熱帯魚の群栄が美しい水槽を眺めながらお湯につかれる熱帯魚ゾーンを通り抜け、迫力のピラルクや電気ウナギなどの巨大魚がいる怪魚ゾーンを抜けると、そこは大人気のワニの池だ。池のそばを通りかかると2メートルほどの小型ワニロボットが水に入ったり、口を開けたりと、愛嬌たっぷりにお出迎え、そしてさらに奥に行くと、お湯が噴き出し、波が揺れ、7メートルの本物そっくりのワニロボットが姿を現し、ガォーと吠えるのだ。そんなアトラクションを味わいながらお湯を楽しめるのである。

今は薄暗い照明の下、巨大なワニがぼんやりと水面に浮かんでいて、かえって不気味だ。

「一体どこまで行く気なの?」

ところが探検風呂ゾーンを過ぎると、目の前には大理石の大きな階段と大型エレベータが見えてきた。アンミツの目の前で二人がガラス張りのエレベーターで上に昇っていく。

「もしかして…」

アンミツは大理石の階段を軽やかに昇って追いかけて行ったのだった。

そのころミニバンのツクシと池橋の前では次の反応が起きていた。

「ウオオオーン」

「オオカミ1号だわ。農園側に何かが近づいてきたみたい」

すぐオオカミロボのところに走り出すツクシ。温度センサーが反応しているようだ。農園の近くの藪の中に体温を持った何かが隠れているらしいが、肉眼ではどうも何もわからない。

「ウウウ、ガルルル」

オオカミロボ1号も若干改良されて、吠えるたびに身をかがめたり、首を伸ばしたりしている。ツクシが糸を引いて動かしているのだが、暗いところで見ると、本物そっくりだ。

だが農園の薮の中に隠れたものはまだ用心深く動こうとしない。

「ええい、それじゃあ、オオカミロボ2号、出動よ!」

すると2台目のオオカミの眼が光り、唸り声をあげたかと思うと、農園の外側に向けて一直線に空中をすべるように移動を始めたのだった。

「ワオオオオオン、ワオオオオン!」

ビニールハウスの壁と、農園の外側の木の幹を結び、約10メートルのワイヤーを斜めに張ってあった。滑車でその下にぶら下がって、自分の重さで斜めのワイヤーを地面すれすれを、すべるように進んでいったのだ。原理は簡単なのだが、薄暗い中で急に動き出すとすごい迫力だ。場所は少し離れていたが、茂みの中の巨体が、驚いて動いた。

「デ、デカイ!なんなの、あれ!」

オオカミロボのライトに照らされ、藪の中から飛び出したのは、あの巨大なイノシシ、アラシだった。しかもアラシは、少し離れた茂みの中にザザザと一度逃げ去り、また、そこで身を潜めているようだった。

さすがのツクシもオオカミロボのライトに一瞬浮かび上がった2メートル近いアラシの巨体を見て恐怖を感じ、ひるんでいた。するとそこで今まで黙っていた池橋が急にしゃべりだした。

「ツクシさん、僕にアイデアがあります。オオカミロボ3号を出動させましょう」

池橋は何を考えているのか?、ツクシと大イノシシのにらみ合いはまだまだ続いていた。

同じ時、控室でも緊張した時が流れていた。モニター画面をにらミツける吉宗先生。いぶかしげに見上げる有賀タミ、そして村長は静かにその男を見つめていた。

「あなたの天才的な論文は、実に見事だった。しかも環境に配慮しながら人類が永続的にこの地球で生きていける方法を提案していたのは、新しかった。だが、その考えが実現に移されたとき、今までの資本主義とは相いれない要素があることは、あなたにもわかっていたはずだ…。あなたにどうしても聞いておきたいのは、あなたの理想は素晴らしいが、私たちは仲良くできないのか、あなたは私たち側に歩み寄ることはできないのかということだ」

すると村長はにこやかに答えた。

「できると思うよ。なんなら村の生産物を葛飾ストアーで売ってもらっても構わない。きちんと手順を踏めば安売りだってできるかもしれない。うちのプリン工房でも、形の崩れたケーキなんかをアウトレットや特売で、捨てたりしないで安売りしてるしね」

村長の意外な言葉に男は感心したようだった。

「いやあ、村長さんは頭が柔らかな人らしい。最初から歩み寄ってくれるとは思わなかった」

村長は慎重に答えた。

「私は自分の考えがまったく新しいものとは思っていない。あえていうなら君たちと同じ資本主義の次のステップに過ぎない。大量生産、大量消費、人口を際限なく増やし、環境を破壊していく。その方向を変えられないかという一つの試みでしかない」

するとモニターの男は大胆な選択を迫ってきたのだった。

「…あなたたちの組織OECは、先日磯貝町と提携を結び、新しい漁船のクラウドファンでぃんぐをはじめ、新鮮な魚のネット申し込みも始めた。そして今度は森中町とイチゴの品種改良をはじめ、さらに結びつきを深めようとしている。私たち葛飾ストアーは、全国にチェーン店のネットワークを持つだけでなく、アメリカの小売り大手や、ヨーロッパのいくつもの老舗ブランド企業とも太いパイプでつながっている。我々と一緒になれば世界中を相手に商売ができる。そこで提案だ。森中町など地方の町や村とつながるのを1次停止して、我々と手を組まないか」

どうも冗談で言っているのではなさそうだった。村長は一瞬黙ってしまった。

「我々と手を組むなら、イチゴの鉢は返す。でも森中町との提携はそこで終わりにしてほしい。いかがだろうか。あなたの方式が世界と手を組む絶好のチャンスだ。もうけもでかいぞ」

すると村長はきっぱりと言った。

「私はもうかる商売のためにOECをやっているわけではない」

「では一体なんのために」

「幸せな村を、幸せな暮らしを作りたいのだ。自然に囲まれ、暖かな家族がいて、仲間がいて、村の人の名前はみんな知っていて、みんな助け合う、そして、いつも笑顔があふれていて、大事なのはその村で十分に食っていけることだ。農業でも漁業でも町工場でもいい。じぶんのやりたいことをやり、みんなの役に立ち、正当な報酬をもらい、生きがいを持って生きることだ。生産者と消費者が直接つながり、笑顔で支えあう暮らしだ。そのためにOECのシステムは存在する。農業でも何でも手作りのものを作っている人たちが、貧困に落ち込まないための経済システムなのだ」

そして一息ついて村長は言った。

「だから…、あなたの提案に対する答えはノーだ」

男は一瞬黙ったが、すぐに続けた。

「それは残念だ。だがあなたの理想は分かった。あなたとはまた会って話す余地があるのかもしれない。でも…。それならば、イチゴはもらっていくよ。森中町との提携は、これで終わりだ」

そして葛飾内蔵は、かたわらにいる女に合図を出した。

「荒川君、予定通りキマイラを呼んでくれ」

「かしこまりました」

そして画面はプツンと消えた。

アンミツが大きな大理石の階段を登り切ると、そこはあのローマの大浴場だった。ここは水着で男も女も一緒にくつろげる社交場だ。それぞれ別の効能のある、春、夏、秋、冬のはーぶ風呂の壁には実際にローマの貴族の別荘にあったといわれる華麗なモザイク画が復元されていた。そしてこの2階のゲートを一歩出れば、そこは緑に囲まれた「神殿露天風呂」だった。涼しい夜風に吹かれ、ライトアップされた白い神殿がまばゆく光っている。大理石でできた巨大な噴水、見事なライオンの口から流れ出たお湯は、足湯にもなる美しい水路を作り、その周囲には小さな滝や打たせ湯も工夫され、大理石の柱や神殿を囲んで立ち並ぶいくつもの石像と広々とした浴槽へと流れていく。そしてそれらの中心には一段高くなった大きな大理石の舞台があり、ここでお楽しみの演劇や音楽界が行われるのだという。インスタ映えがすると、最近は若者にも人気のスポットになっている。

「いたわ!」

大理石の舞台のそばにイチゴの鉢を抱えた二人を見つけたアンミツはある予感を感じながら舞台へと近づいて行った。

「あ、あれは何?」

ところがその時、遠くから低い振動音とともに何かが近づいてくる。見上げると、赤い月の方向から黒い金属製の物体が近づいてくる。

「一体何なの?」

すると、舞台の向こう側からゆっくりと階段を昇ってきたアイドル風の娘とあの葛飾内蔵が答えた。

「君たちもがんばったが、間に合わなかったな、多目的ステルススパイヘリ、キマイラだ。残念だが、君たちとはここでおさらばだ」

そう、道路を封鎖しても無駄、奴らはこのローマ風呂の神殿露天風呂の大舞台にスパイヘリを着陸させて逃亡する作戦だったのだ。普通のヘリとは違う、ドローンのような静かな振動音の黒いヘリは、あっという間に大舞台に接近し、大舞台の中心へと滑らかに着陸した。

このヘリは大きな音を出さずに低空を飛ぶことができ、ステルス性能も高く、今のように無人飛行もできるし、有人飛行で小型ミサイルを発射することもできる。さっと葛飾内蔵が飛び乗り、荒川伊代とともに操縦席に着くとみんなを呼んだ。

「急げ、すぐに飛び立つぞ!」

舞台の周りに舞い起こる風、イチゴの鉢を抱えたまま、スパイヘリに近づく二人の姿が見える。

「あきらめるな,まだ勝負は終わっていない!」

その時、舞台の横から、階段も使わず、ポーンと大舞台に飛び乗った一つの影があった。

「月光さん!」

それだけではない。あの白装束の真加田宮夏もすぐそばまで追いかけてきていた。そして月光は、スパイヘリに近づくと、二人を鋭い目で見据えて気迫を込めてこう言った。

「二人とも、ヘリに乗りたいなら俺を倒してからにしろ」

するとミスターGが舌打ちをした。

「く、ここまで来て追いつかれるとは?!」

ミスターGはすぐに自分の分の鉢を下に置き、トモコちゃんにたくし、そのまま突進していく。

「ハァー!」

月光の蹴りの連続技がさく裂、押されながらも太い腕でガードをしてここぞとばかりに鉄拳を繰り出すミスターG、一進一退の激闘だ。

だがその時、バキューンと威嚇射撃の音がした。矢場刑事の声が響いた。

「あきらめろ、ここまでだ」

警察の足音が聞こえた。ついにこの神殿露天風呂に警察が追いついたのだ。

さてイノシシ撃退作戦のツクシも佳境を迎えていた。

オオカミロボ1号でもすごい出来上がりだったが、2号3号となるとどんどん手馴れて来て、簡単に組み上げられる骨格の上に、オオカミの頭や毛皮を印刷したやわらかい梱包紙をシワシワにしてかぶせて止めるだけの簡単組み立てで、本物そっくりな仕上がりになっていた。自然な出来なのに、低コストで組み立ても画期的に時短になっていた。

「じゃあ、行きます、オオカミロボ3号、出動!」

目が赤く光り、また大きな声で吠えながら、農園の中をスピードを上げながら進んでいった。だが2号とはまた、違う。

「あ、このままじゃぶつかる!」

ツクシがそう思った瞬間、3号はさっと角を曲がり、碁盤目のようになった真っ暗な農園の道をぶつからずに進み、しかもイノシシのいる茂みにあっという間に近づいて行った。

「ワオオオオン、ガルルルル!」

「え、こんな真っ暗な草の生えた道を、どうやって動かしてるの?」

自分で作ったはずのオオカミロボ3号の信じられない動きに、ツクシは目を見張った。実は農園で収穫物を運ぶ運搬ロボがあるのだが、かごやガードなどをすべて外してもらい、モーター部分とタイヤ部分を、直接改良したオオカミボディにくっつけたのが3号だったのだ。これを思いついたツクシは2号より長い距離を進めるぐらいで考えていたのだが、それは違った。

「ツクシさんのアイデアで、運搬ロボとオオカミボディを合体させたんですが、運搬ロボはもともと人工衛星からのGPSで誤差なく農園の碁盤目の小道を動いているんです。このモニターに映っている農園の碁盤目を指定するだけで、周りが真っ暗であろうとも、相手がイノシシであろうとも追いかけていくことができるんですよ」

なるほど、オオカミロボは真っ暗な農園の道を、スピードを上げながらイノシシのアラシへと近づいて行ったのだ。

「ワオオオオン、ガルルル!」

だがさらにそこで、池橋は次の手を打った。

「催涙弾発射!」

アラシの隠れている藪の中に催涙弾が撃ち込まれる。

「ブオオオオ、グガガガアア!」

たまらず飛び出す大イノシシ、さらにそこに追い打ちをかける。

「発信タグ弾発射、よし、うまくくっついた、画面上にイノシシのマークが現れたぞ」

そしてとどめだ!

「爆竹壇発射!」

バンバン、パパパパパン!

さすがの大イノシシも、これにはぶったまげた。

「ブギー、ガガガウ!」

走り出すアラシ、イノシシのマークが山の奥目指して一気に逃げ去ったのだった。

「やったあ!」

ツクシのアイデアが、思わぬ効果的な害獣撃退ロボットを誕生させたのだった。ツクシはこれをきっかけにさらに低コストで丈夫なオオカミボディづくりに貢献し、高性能のロボやドローンと組み合わせて、画期的な害獣対策へと乗り出すのだった。

「グレイローズ、覚悟しろ。これで終わりだ」

警察の突入部隊の先頭に立って走ってきた矢場刑事が鋭く叫んだ。大舞台へと階段から警察の突入部隊がついに昇ってくる。

立ち尽くすトモコちゃんとミスターG。その隙を塗って、アンミツが二つのイチゴの鉢を確保する。

「灰原薔薇代、いや本名、鶴倫子、逮捕する」

矢場刑事が手錠を取り出す。だが二人は最後の抵抗を示した。

「あちち!」

なんと、倫子ちゃんは、高出力レーザーポインターで、またもや矢場刑事の差出した手を焼き、ミスターGはボールペンに仕込まれた小型のボウガンで月光の肩を突き刺したのだ。ひるむ二人、その隙をぬって、ミスターGが押さえ込もうとした警官をふっ飛ばし、暴れまわり、今回はアンミツではなく、白の姫真加田宮夏の肩をガシっと抑え込んだのだった。

「動くな、動くとこの娘の命はないぞ!」

怒鳴るミスターG。

「ひ、卑怯な!」

矢場刑事たち、警察の動きが一瞬止まった。だがなぜか月光の顔は焦っていなかった。その答えはすぐにわかった。

「ドオリャアアア!」

何が起こったのか、鋭い掛け声とともに、あの巨漢のミスターGの体が宙を飛び、大舞台にたたきつけられていた。

なんとつかみかかったミスターGの手を一瞬にしてつかみ返し、逆関節技をかけて、気合一閃、合気道の投げ技で投げ飛ばしたのだ。

「夏さんは、真加田宮流相木柔術の師範なんだ。おれでも戦ったらやばいよ」

月光がそう言った。

だがその騒ぎの間にグレイローズことトモコちゃんは、荒川伊代に助けられてキマイラに飛び乗り、キマイラは動き出した。

ババババババババ!。

地面から少し浮かびながら、スパイヘリは胴体を大きく振った。

「危ない、逃げろ!」

ばらばらと散り散りになっていく警察隊。だが、ミスターGはもう宙に浮かびだしたスパイヘリに飛び上がってしがみ付き、無理やり乗り込んでいった。ヘリの操縦席から葛飾内蔵が声をかけた。

「また会おう」

イチゴの鉢は二つとも取り返したが、一味は全員ヘリで飛び立っていた。

そしてそのままスパイヘリキマイラは赤い月の浮かぶ暗い空へと舞い上がって行ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る