5 富士見豆腐店
それから数日後、ツクシは再び倉河の街を歩いていた。今日は、観光客の多い甘酒横丁を抜けて住宅地に出る。この辺りは街並み保存条例もあり、マンションや雑居ビルはなく、昔ながらの商店街が残っている。そして四つの町の合併後、地酒や甘酒、醤油、味噌などの地場産業が息を吹き返し、にぎわいを取り戻している。あの桜山の駅の横にあったナンデモマートと言うコンビニもあるのだが、古い倉を改装して造ってあり、ぱっと見ただけではコンビニには見えない。中をのぞけば、彩り鮮やかな 陶器、磁器、漆器や箸、等の食器類だけでなく、いろいろな調味料も置いてあった。確か前に見たナンデモマートは農業関係の便利な店だったみたいだけど…。
また町中が電柱を廃止して地下に埋めてあるので、すっきりして見通しももいい。
「ただいまあ、ツクシ帰りました」
「お、ツクシちゃんおかえり」
「ついさっき、大きなトランクが届いたわよ」
「私の7つ道具と紙の作品を運んだんです。きっとそれだわ」
ここが村の住宅情報で見つけた下宿先、富士見豆腐店、昔からやっている地元の豆腐店だ。御主人は富士見大さん、奥さんは富士見よねさん、中学生の娘の富士見かなちゃんもいる。
昔ながらの木造の趣のある豆腐店に入って行くと、こぎれいな店内に豆腐や油揚げ、納豆などが並ぶ、横は小さな豆腐工場、奥は住宅になっていて、工場側の一部屋がツクシの部屋、富士見一家は2階に住んでいる。
空いている部屋などを使って民泊等も流行っているが、ここの町では、その家の仕事をやればやるほど下宿代が安くなると言う村人得点の下宿補助制度があり、ツクシはここで半値以下で下宿することができた。
最初は豆腐屋と言うから、朝早くから豆腐作りを始め、きつい作業をこなさなければならないのかと思っていたが、調べると昔とは全く違っていた。なんと豆腐もカルガモバス販売や御用聞き販売、ネット販売が主になり、早く作る必要がなくなったのだ。
「いやあ、中村長さんのおかげで今はいろいろ楽になったよ」
今は普通に9時ころから豆腐作りを始めるのだと言う。最初に新しく入れた機械で国内産有機大豆を微細にすりつぶす。こうすると廃棄物になるおからも出ず、食物繊維たっぷりの豆乳が出来上がるのだと言う。その濃い豆乳が高値で売れるほか、その濃い豆乳を使って作る豆腐や油揚げが大評判、ネットで高値で取引されるのだ。午後になると3回に分けて出荷、地元の住民に売る4倍の量を売り切るのだと言う。
今は大人気の富士見豆腐店だったが、昔は倒産寸前だったと言う。30数年前にこの地域でもスーパーストアーが開店し、そこでは富士見豆腐店の3分の1から5分の1で大量生産の豆腐などを売りだした。徐々に売り上げが減っていったが、それでもしばらくは持ちこたえたのは、この伝統と歴史のある町の料亭や旅館で先代の職人気質が造り上げた豆腐が好まれたためである。しかし、街全体の景気が落ち込んだ時期に料亭が何軒も閉店、同じころ先代も亡くなり、まだ青年だった大さんが引き継いだものの店は傾くばかりだった。
だが町起こし活動が始まった時、アドバイザーで来ていた今の村長に大さんが相談したところ、当時の中年男は、次のようなことを言ったと言う。
「富士見豆腐店の伝統や職人の技術は認めるよ。だけど、それだけじゃ大量生産で安売りするスーパーには勝てない」
「…やはり、そうですか…」
「だが、もしも君が修行して、他にない本当においしい豆腐を作ることができたら、値段が高かろうが、面倒だろうが、どんなことをしたって俺が売りきってやるよ」
村長の目は熱く燃えていたという。
大さんは日本中の豆腐を調べ、勉強し、そして今のおからの出ない豆腐を工夫した。もちろん大豆を微細なまでに粉砕するための最新の機械は値段も高く、おいそれと買える代物ではなかった。だが、その豆腐や豆乳がおいしいと確信した村長は、企画書を書き、申請書を何枚も用意し、町起こしの補助金から資金を工面してくれたのだ。
そして完成したおからの出ない濃い豆腐、村長さんはOECのネット販売で大々的にアピールしてくれて、そして今に至るのである。
「あの頃は娘のカナも小さかったし、どうしたもんかと思っていたわねえ。でもなんとか持ち直し、今はけっこう儲けがでるようになったわね」
「あったぼうよ。富士見豆腐店は不死身だい!」
富士見大さんは、そう言って胸をどんと叩いた。
「そんな村長さんが下宿を世話してくれと言ってきた娘さんだ、ただ者じゃあないとは思っていたよ」
ツクシが、パソコンが得意だと申し出ると、ネット関係の事務仕事の依頼が店主の大さんからあった。ネットの注文をまとめ、作る豆腐などの数を出して、その一方で消費者の要望や苦情を受け付け、お店の手作りの様子や消費者への声を発信する仕事だ。うまくやれば売り上げにも直結する。だが、事務関係のソフトはOECの共通ソフトで高性能、キャッスレス決済でしかも自動集計機能も高く、管理も楽だ。また、ここの豆腐は大評判でクレームもほとんど来ないので、やってみるとかなり楽チンで、これで下宿代が半値になるとは大当たりだなと思った。
「いやあ、本当にツクシ君はパソコンが早い。事務管理が本当に楽になったよ。これで豆腐作りに専念できるってもんだ。本当に助かるよ」
亭主の大さんがそう言うと、おかみさんのヨネさんが言った。
「本当にツクシさんがよくやってくれて助かるわ。あら、あんた、今日は発酵塾の日じゃなかったっけ?」
「あ、そうだった。あのう、ツクシさん、悪いけど夕食後2時間ぐらいの会合なんだけど、もしできるなら、いちど一度顔を出しちゃくれねえか」
大さんは、ちょっと遠慮しながら話しかけてきた。最近の若者は町内会の会合なんかに出たがらないと聞いていたので、断られるかと心配だった。でもツクシは笑顔で答えた。
「はいはい、村長から聞いてますよ。発酵塾は志の高い人の集まりだから一度は出た方がいいって。とくに塾頭の津栗さんはできる人だから、よく顔を売っておきなよってね」
「へええ、さすが村長だ、ちゃんと見ていてくれるねえ」
「だから私、今日絶対行きますので、よろしくお願いします」
「よしきた。じゃあ、夕食が終わったら、そろそろ出かけるぞ」
今日の夕食は冷ややっこに豆腐と油揚げの味噌汁、焼き魚と引き割り納豆だった。
「富士見豆腐店は納豆も何種類か造ってるけど、この引き割り納豆は一番好きかな」
ツクシがそう言うと、大さんは感心した。
「以前発酵塾で納豆菌の多さを調べたことがあったんだけど、くだいて表面積が一番多い引き割りが抜群に納豆菌が多い、2倍近くあるって分かってさ。一番納豆臭いのも確かなんだが、さすがグルメだねえ、ツクシちゃんは!」
そうか、発酵塾はそんなことも調べるのか、楽しみになってきた。
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