闇の暁

@vazakn

闇の暁

その日はとても綺麗な空だった。


家路を急ぐ人たちの中、蹲る人を見つけてしまったので声を掛けた。

「何かして欲しいことはありますか?」


顔を上げた少女は泣いていた。

瞬間声をかけたことに後悔した。

泣き顔は苦手だ。


「どこか痛いんですか?」


質問を重ねても口から言葉が出ることはなかった。

どうしたものかと周りを見渡すとファミリーレストランが目に入った。

「お食事でもいかがですか?」


少女は大人しく従った。


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一通り注文をしてから彼女を観察した。

特に特徴はない、どこにでもいそうな女の子だ。

縦に装飾が入った白のブラウス、大人しめのスカート、色素が薄い茶色い肩までの髪、学生がよく履いている模範的な靴。

一見すれば学生の休日洋装といったところか…。


「オススメのものを適当に注文したけれど、あれでよかったでしょうか?」

一言も話さないので返ってくるものは期待せず話すことにした。


言葉ではなく頷くという動作で返事をした。

首を縦に振って以降、運ばれてきたドリンクを見つめ動かなくなってしまった。

「どうしてあんな駅前で泣いていたんですか?」


目が大きく揺れた。

率直すぎたのかもしれない。

「悩みがあるなら、よければですけど…聞かせてください」


「………」


またしても、返ってくるものは無かった。



その後も観察していたが、これといって心理状態が出る動きは見られなかった。


「暗くなってしまったので、お家の近くまで送ります。

見ず知らずの人間ですが、また何かあれば連絡してください」


冬は日が沈むのが早い。

中と外界を隔てるガラスの向こう側は黒一色だった。

闇の中は心地良さそうだった。闇の中では何をしても誰にも全てを咎められることがない。

全てを隠す替わりに誰かに知られることもなく、誰かを知ることもない。


田舎の駅前だ、明かりも少なく食事をする人もまばらだった。

しばらくの間居座ってしまったが、そろそろ出る頃合いだろう。

携帯電話を弄る様子もなかったので紙ナフキンに簡単な連絡先を書いて渡した。


「あの」


紙を受け取り、握り締めてからやっと口を開いた。

澄んだ声色で驚くことを言ってきた。

よく見ると髪色と同じで揺れる瞳も色素が薄かった。

綺麗だな、欲しいな、と思った。


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「散らかっているけれどソファにでも座って寛いでください」


泊まる所がないらしいので家に来ることを承諾した。

食事も済ませたし、寝る準備もした。

後やることは決まっている。

風呂だ。清潔は何よりもの安寧となる。


「サイズが無いのでこれでも使って下さい、歯ブラシはこの新しいの。

下着は洗濯機で洗っておくので乾燥したものを取り出して下さい。

時間がかかるのでなるべくゆっくり入って下さいね、あとはご自由に」


「わかりました」


まるで手懐けられている飼い猫のようだと感じた。


彼女が風呂に入っている音を聴きながら部屋の掃除と寝る準備をさらに整えた。

窓のカーテンを開けると、さらに闇は濃くなっている。

街灯もロクに無い道に面しており、灯といえば道路を走る車のものくらいだ。

マンションで壁もしっかりしているし、窓を開けなければ外の音が中に入ることもなく内から出ることもない。

虫の声がうるさい程に聞こえる。


「せめて その一生の最期くらいは 美しく鳴いていればいい」

そんな一言が漏れた。


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お風呂場の音が止んだ。

終わったらしい。


「おかえり。ソファで寝るので、敷いてある布団を使って下さい。

おやすみなさい」


彼女はまたもや物言わぬ人形の体で、言われるがまま布団に入った。

本当に人間だろうか?

電気を消す。

窓は閉めているが、まだ虫の声は聞こえてくる。闇だけが見える。

それから数分後…、疲れていたのだろうか、ゆっくりとした寝息を立てて、彼女は眠ったようだった。


今日のことを思い返す。

駅のホームから溢れ出す人々の影、空とよく似た瞳…。

   

「…さて…」


やろう。


手に持っていた丈夫な縄を確かめて、音を立てないように起き上がる。

座る形になったまま安らかに眠る塊に目をやる。


何も知らない哀れな羊。


疑うことを知らない憐れな少女。


そっと覆いかぶさるように移動する。

寝息は乱れていない。図太いのか、信じ切っているのか。ここまで簡単なのも珍しい。

拍子抜けしてしまいそうだ。


首に優しく縄を通す。近くだからわかるが、整った顔をしていたらしい。

成長した先を想像すると、ここで摘んでしまうのは僅かばかり惜しい。

「………」


するする、するすると…首に一周させた縄をきつく詰めていく…

縄が布を擦る音だけが室内にこだまする。

笑みも何も浮かばない。ただ、少女の顔を見ていた。

「………」

程よい巻きつけ具合になったタイミングで一呼吸置く。

これは下になっている彼女の眠った顔を焼き付けていたいからだ。

それから次の歪んだ顔を目に移さないよう、目を閉じる。もうここからは見たくない。


「………っ」


一気に力を込めた。

喘ぐ声が聞こえる。

いつもそう。いつも苦しそう。

いつも泣いている。いつもこうだ。

だが今日は長く続かなかった。


視界が明滅し、身体は撥ねた。

相手ではない、己の体が。


気付くと、出会ったばかりの女の子が上に見えた。

首の縄は解かれている。どうやら失敗したらしい。

左手にはスタンガン、右手にナイフを持っていた。

動こうとしても、手錠や紐、コードで縛られているのか全く身動きが出来ない。

終わったな、と思った。


「ねぇ、お姉ちゃんの仇として、死んで?」


直ぐに痛みはやってきた。

通電と、胸の中心が燃え、炎が吹き出ていくような感覚。

視界が白と黒で切り替わり、次第に明るみが失せていく。

再び闇が覆い尽くそうとしている。


彼女はまたもや泣いていた。

その顔に重なるのは、数週間前に摘み取った女性の面影だ。

仇…、報いを受けたということか。


「さようなら」


「………」

さようなら。

言う筈の言葉は届くこともなく、痛みと共に意識は途切れた。

或いは、心地よい眠りに誘われ、目を開けていられなかった。

彼女の、あの空に似た瞳がただただ、闇の中で瞬いていて、綺麗だな、とそう思った。





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