第11話 あんな女の何がいいのよ



 クローネがトレイを手渡すと、何日もエサにありついていない肉食獣のような勢いでパンにかじりついた。


 私たちは唖然とした。一瞬でパンが消えた。サテラは幼児のような不器用な握り方でスプーンをもつとオートミールをかっこむ。相当熱いはずなのだが、躊躇がない。


 数秒ほどでオートミールが胃の中に流し込まれていた。


 そんな勢いで食べたせいか、周りにはパンくずやオートミールが飛び散っている。なんて汚い食い方だろう。どんな育ち方をすれば、こんな行儀もくそもない食べ方が身に付くというのか。


 眉をひそめた私は、犬女が周りに飛び散ったものを指ですくって舐め取っているのを見て、さらに不愉快な気分になった。


「美味しかったか?」


 クローネの言葉はやけに優しかった。


 胸がムカムカする。


「……うん」


 アップル酒を飲みながら、サテラが言った。


「よかった。すごい食べっぷりだったから驚いたけど、食欲はあるみたいで安心した」 


「……あなた、とても優しい。美味しいご飯もくれた」


「料理をつくったのは俺じゃないけどね。あと、俺のことはクローネでいいよ」


「わかった。クローネ」


 ――気安く呼んでるんじゃないわよ!


 そう怒鳴りつけたくなったが、歯を噛み締めて我慢する。口内で、バキバキと音が爆ぜた。


 こらえろ。こらえろ。こらえろ。


 まだこいつを排除する算段をつけていない。感情に任せて暴れては駄目だ。そんなことをしたらクローネに嫌われる。あいつは、私が他人を傷つけることを好まない。見られてはいけない。バレてはいけない。


 あいつに嫌われたら、生きていけない。


「……さて、そろそろ君のことについて訊きたいんだけど」


 私の心情など知らないクローネは、穏やかな表情でサテラに尋ねる。


「君はどこから来たんだい?」


「……剣闘場」


「剣闘場?」


「……オルマテラ」


 クローネの眉根がぴくりと動いた。


 それだけで察する。どうやらオルマテラを巡る情報がノルドブルクにも入ってきているようだ。クローネはおそらく薬を買いに行くときに、その噂を小耳に挟んだのだろう。


 オルマテラが、壊滅したという噂を。


「ということは、君はアイゼンベルクから来たんだね?」


 サテラが首肯する。


 アイゼンベルクは、ヴォールテール共和国とハイネ公国と国境を接する王国である。オルマテラから逃げ出した犬女は、混乱に乗じてハイネ公国側へ逃亡したのだろう。そう考えるのが自然だ。


 オルマテラからヴォールテール共和国との国境までは距離がある。危険を冒してでも、ハイネ公国側へ逃げるのが一番合理的だ。


 しかし、それは――モンスターの生息地に足を踏み入れるということで、虎穴に入ることを意味する。


「……」


 この犬女、間違いなく強い。


 ハイネ公国に入って、ヴォールテールの国境沿い近くまで逃げていたのだから、相当な数のモンスターに遭遇してきたはずだ。


 だというのに、目立った外傷を負っている様子もなかった。あれだけの距離をほぼ無傷で逃げおおせたのだから、少なく見積もっても中級冒険者以上の実力はあるだろう。


 ――厄介だ。消すのも手間取るかもしれない。


「……それは大変だったね。ここは安全だからゆっくり休むといいさ。アップル酒を飲んだら、薬もあるから飲んでおいてくれよ。身体が少しは楽になるはずだ」


「……ありがとう」


 クローネと目があった。


 私はうなずく。外に出て話そうということだ。


 「リーネの家」から出ると、私から口火を切った。


「……で、どうするの?」


「どうするって言ってもなあ」


 クローネが後頭部を掻きむしりながら、困り顔を浮かべる。


「さっき街中で小耳に挟んだんだけどさ。オルマテラって壊滅したらしいぜ」


「そうなの?」


 知っているが知らないふりをする。


「ああ。黒いドラゴンが突然街を襲ったらしい。おそらくは《幻魔》級だろうって話だ。そんな化け物が王国内に現れるなんて信じられない話だけど……そのドサクサに紛れてかなりの数の奴隷が逃亡したって話だ」


「ふぅん。あいつもその一人ってわけね」


 ギロリと睨みながら言ってやると、クローネの口元が引き攣った。


「あんた、わかってて助けたでしょ? どういう神経してんのよ。逃亡した奴隷を匿うのが罪だってこと知らなかったなんて言わせないわよ」


「わかってる。もう少し静かにしてくれ。周りに聞かれたらまずい」


「なにがわかってんのよ? わかってたら、普通宿になんて連れ込まないでしょ」


「……ああするしかなかったんだよ。放っておくこともできないだろ? 助けたときはどんな事情があるか知らなかったわけだし」


「アホか。犯罪をおかして逃げていただけかもしれないでしょ? そんな言い訳、魔警団や魔法騎士の連中が聞いてくれると思ってんの?」


「そ、それはそうだけど……」


 クローネは言葉に詰った。


「……呆れるわね。あんた、もう少し考えて動きなさいよ。お人好しにもほどがある」


「……」


「あんな得体のしれない奴、信用なんてできないわよ。はっきり言うけど、関わらない方がいい。すぐにでも手放すべきよ」


「逃がすっていうか?」


「今となっては、そうするしかないでしょう。魔法騎士や魔警団に引き渡すにしろ、匿った罪はとわれてしまう」


 合理的に言えば多少の罪を覚悟してでも引き渡すのが一番リスクは小さいが、それではクローネが納得しない。逃がすのはあくまで譲歩した案である。


 もちろん、ただで逃がすつもりはない。あいつはクローネと私の名前を知っている。余計なことを漏らさないよう『世界の大狼ヴェルト・フント』のエサにでもしてやるつもりだ。


「……」


 クローネは思案しているようだった。


 何か気に食わないことでもあるのか。それとも、あの女を手放したくない理由でもあるというのか。


 ふつふつと怒りが込み上げてくる。


 あんな女の、何がいいのよ。



 

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