第9話 謎の少女



 私たちはオークの死体に倒した証としてギルドナンバーの焼印を押すと、周囲の探索に出た。


 さっきの二匹は群れとかなり離れていたのだろうか? 白鷲は一向に反応しない。


 もしくは、白鷲には見えないところに隠れているのか?


「森の奥か」


 クローネが近くの森を見てつぶやいた。森の中に入ると、オークのものとおぼしき無数の足跡を確認できた。明らかに二体分以上ある。


 間違いない。この奥にいる。


 私は白鷲の召喚を解除し、鎧獣だけを残した。クローネがロングソードを引き抜く。


 息を吸い、気を引き締めて侵入する。オーク以外にもモンスターが潜んでいる可能性が高い。白鷲の索敵が使えない以上、慎重になる他なかった。


 木々がざわめいている。怪鳥が慌ただしく鳴いていて、迷い込んだものを不安にさせることを楽しんでいるかのようだった。


「……気のせいか?」


「いえ」


 私も気づいていた。


「血の匂いがするわ。そんなに遠くない」


 嗅ぎなれた臭いだ。間違いない。生臭く、鉄臭くもある生命を脅かす臭い。それもおびただしい量の――。


 クローネがつばを飲んでいた。ロングソードを何度も握り直している。


 臭いの正体はすぐに明らかになった。


 天井が巨大な枝々に覆われた、開けた場所。薄暗いその空間には無数の怪鳥が飛びかっていた。その下には原型を留めていないオークの死体が折り重なるように倒れている。


 無惨だった。


 首をねじ切られたもの、手足があり得ない方向に曲がっているもの、腹を引き裂かれて光沢のある内蔵を撒き散らしたもの――。天につき上がった白い棒状のものはすべて骨だ。折れて身体の内側から突き破られている。


 死体処理場でも、こんな酷薄な光景はつくられない。化け物たちから流れた大量の血で、辺りの緑は赤黒い色で染め抜かれ、血の霧が薄くかかっているほどだった。


 この空間だけ、温度が違う。粘りつくような熱気に、息が苦しくなるほどだった。


「……なにがあったんだ?」


 クローネが口を手で押さえながら言った。


「冒険者がやったとは思えない」


 同感だ。せっかくの素材をこんな粗末に扱うわけがない。


 では、一体なにがこんな殺戮をおこなったのか?


「おい、あそこを見てみろ」


 クローネが何かを見つけたようだ。指をさした方向を見遣ると、オークの腕の近くにうずくまっている人影があった。


 信じられないことに、そいつはオークの腕に喰らいついているようだった。


「うげぇ……オークの肉を食べてるわよ。しかも生で……」 


 煮ても焼いても食えないことで有名なオークの肉を。あんなまずい肉を食うなんて、舌がどうかしているのではないか。


「モンスターではなさそうだが」


 クローネも戸惑っている。


「たぶん……というか間違いなくあいつがオークをやったんでしょうけど、なんか気味悪いわね」


「見た感じ、獣人族だよな?」


 そいつの頭には犬のような耳がついていた。よく見るとお尻の方にも、ふさふさした尾が伸びている。


 クローネと目を合わせ、ゆっくりと歩く。近づくにつれて、だんだんと人影がはっきりとしてきた。無造作に伸びた長い白髪と、華奢な体躯は明らかに女性のものだ。


 その女が身にまとう服は、使い古した雑巾のごとくボロボロで、返り血を浴びて黒く変色しているようだった。


 胸がざわつきだした。


 嫌な予感がする。この女と関わり合いにならない方がいいと、頭の中で警報がやかましく音を立てていた。


 そのことをクローネに告げようとしたが、遅かった。


「なぁ、君……」


 クローネが声をかけてしまった。女の耳がぴくりと動いたかと思うと、数秒固まり、やがてゆっくりとこちらを振り返った。


 同性の私から見ても、可愛らしいと思える少女だった。顔は小さく眠そうな琥珀色の瞳が印象的で、吸い込まれそうな輝きは美しいと思えた。ただ、無造作に伸びた髪と口元にこべりついた血がすべてを台無しにしている。


 少女は、じっとこちらを伺っていた。いや、正確に言うとクローネを見つめていた。呆気に取られたクローネは、琥珀色の瞳に吸い寄せられているように動かなかった。


 その頬を、思いっきり抓ってやった。


「い、いてえな! なにをする!」


「ぼけっとすんな! 気を抜いたら何をされるかわかんないわよ!」


「いや、しかし……」


「ほら、構えなさい!」


 女はいつの間にか立ち上がっていた。おぼつかない足取りだったが、こちらに向かってくる。私の後ろに控えていた鎧獣が警告を発するように、のどを震わせた。


「……」


 女はとうとう剣の間合いまで踏み込んできた。私が錫杖を振るおうとすると、女が突然うつ伏せに倒れ込んだ。


 私たちは思わず顔を見合わせる。


 女が、苦しげにつぶやいた。


「……熱い」


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