第一章 黒龍エピデミーの心臓

第1話 アイファズフト・ルトラーラ






 聖剣をぶち折りたい。


 私とクローネの幸せな未来のために。





 


 

「冒険者っていうのはいい職業よね。そう思わない? リーナ」


 私は右目の眼帯を取りながら、感情を抑えた声をゆっくりと発した。


「いつ死ぬか分からないって言われていて、それが常識なんだから。だから、居なくなっても誰も疑わない」


 するりと眼帯の紐が解ける。空洞の右目。そして、氷柱つららのようだとよく言われる青い左目。その両方で睨みつけると、小さな悲鳴が聞こえた。


 きっと鳥のさえずりだろう。ちらりと見上げると、小鳥が飛んでいた。青空をおおい尽くす木々が、風に揺すられて慌ただしく音を立てている。


 冒険者の街ノルドブルク近郊にある森林の奥。初級冒険者向けの採取クエストなどが行われる場所だが、私と泥棒猫がいるのはビギナーが滅多に近づかない数少ない危険地帯だ。


 強力なハイオークの縄張りで、中級冒険者以上でなければ命が危うい。そんな所で、私達は追いかけっこをしている。


 泥棒猫には足がなかった。大腿部から下がなく、肉の断面から骨が剥き出しになっている。足がないから追いつくのは容易い。


 大量の血が尾を引くように地面を汚し、鉄臭い匂いが鼻を突いた。くさい。でも、誘き寄せるにはいい匂いだ。


「……ひ、ひう! 助けてぇ! だれか、誰かああ!」


「無駄なこと止しなさい。誰も来ないことが分かっているから、あんたらパーティをここに誘導したんだから。それくらい考えればわかるでしょ?」


「いやああ! たすけて、助けてぇ!」


 ピーピーうるさいな。誰も来ないって言ってんのに。


「あ、ハイオークなら来るかもね」


 私がそう言うと、泥棒猫は沈黙した。そしてすぐにうずくまってガタガタ震えると、死にかけの馬みたいな声で泣き始めた。


 自分の末路を悟ったのだろうか。それとも絶望に耐えきれなくなったのかな?


 可哀想に。でもね、あなたが悪いのよ。


 私のものに、手を出そうとしたあなたがね。


 そのとき、背後からびきりと枝を圧し折るような音がした。空間に黒い亀裂が走り抜け、巨大な瞳がうずくまる泥棒猫を妖しく凝視した。


「……あっ」


 いけない。せっかく撒き餌したのに。


 その瞳が現れた瞬間、森を包んでいた清涼な空気が一挙に重苦しい生暖かさに包まれた。言うなればぬるま湯に沈み込むような息苦しさ。


 鳥が、ぎゃあぎゃあと鳴きながら一斉にその場を去った。さっきまで遠くに感じていたオークの群れの気配も消えてしまう。


「もー、せっかく掃除してもらおうと思ってたのに、何してくれんのよ! あんたが出てきたら、雑魚ハイオークなんかこの場に近寄れるわけないでしょ!」


 瞳は動かない。よほど腹が減っているのだろう。巨大な瞳孔は開きっぱなしだった。


 これだから子供は……我慢することをしらないんだから。


「……ひ、ひいいいぃっ!」


 顔を上げた泥棒猫が悲鳴をあげた。極寒の地に身体を置いてきたかのように全身を震わせて、小水までこぼしている。


 無理もない。そこにいるのは絶望を具現化したような存在……魔の最高位である《幻魔》だ。上級モンスターのさらに二つ上、階層の一番上に位置する神に等しい化物。


 ただの二流冒険者がどうこうできる存在ではない。蟻と像に等しい力の差がある。


「……な、なんで。なんでなのよっ!」 


 泥棒猫が、やけを起こしたように叫んだ。頭に生えた猫耳がピンと伸びる。


「わ、私。アイファちゃんには何もしてないのに……。ど、どうしてこんな酷いことされないといけないの?」


「……は?」


「だって、そうでしょ! 私、身に覚えがないんだもん! 私がなにしたっていうのよっ!」


 私は泥棒猫に歩み寄り、髪を掴み上げ、顔の近くまで引き寄せた。


「《幻魔》に睨まれながら、私に威勢を吐いたその度胸は褒めてあげるわ」


 鼻同士がくっつく距離で、怯える泥棒猫に淡々と声を吐いた。


「わからないの? 自分のやったことが? なんで、私に痛めつけられているのか理解していないのね? なら、その鳥頭に分かるように教えてやるわよ」


 泥棒猫の首を揺する手が止まらない。


 内なる衝動が、このまま首をへし折れと叫ぶ。でも、駄目だ。こいつに罪を自覚させないといけない。


 己が犯した罪を――。


「クローネに近づいた」


「……え?」


「クローネをパーティに勧誘した。私からクローネを奪おうとしたからよ」


「は……? そ、そんなつもりは」


「それだけじゃない。クローネの身体を四回も触った。クローネの食べていたものを横から奪い取った。クローネとこっそり二人で出かけようとした。クローネに私の悪口を吹き込んでいた。クローネにクローネに……クローネにクローネにクローネにクローネにクローネに……。クローネを誘惑したでしょ。私の、大切な大切な婚約相手を」 


「ひっ」


「殺すぞ、クソ女。私達の間に、割って入ろうとしやがって」


 怒りに任せてクソ女を張り倒した。


 私は立ち上がり、冷たい声を発した。


世界の大狼ヴェルト・フント


 背後の瞳から殺気が膨れ上がる。振り返るとともに、空間が音を立てて崩れていき、黒い亀裂は巨大な裂け目へと変わった。獰猛な牙が覗く。


 そこから現れたのは、一つ目の子供の大狼だった。世界を破壊する力をもつと言われる《幻魔》は、怯えて動けない二流冒険者を恍惚の瞳で見つめて、滝のごときよだれを流した。


「喰っていいわよ。ただし、跡形も残さないようにね」


「い、いやあああああっ! やめてぇ!」


「さよなら、泥棒猫」


 世界の大狼ヴェルト・フントは、獰猛な唸りをあげて、泣き叫ぶ泥棒猫を実に容赦なく食い千切った。


 巨大な口の先で持ち上げ、バタバタと暴れる泥棒猫にゆっくりと牙を食い込ませる。血飛沫が舞う。絶叫が、木々を揺らさんばかりに木霊する。私は欠伸をした。退屈な惨殺だと思った。


 やがて、悲鳴は聞こえなくなり、巨大な狼の口は裂け目へと消えてゆく。黒い亀裂は徐々に徐々に閉じていき、そこに残ったのは涼やかな森の緑だった。


 私は、ゆっくりと伸びをして深呼吸する。血の香りを吸った安らかな森の空気は、まるでハーブとスパイスをそえた鳥の丸焼きのように刺激的で美味しく感じられた。


 掃除は終わった。


 クローネに近づく泥棒猫は、これで一匹いなくなった。まったく……掃除するのも楽ではないのだから、湧いてこないでほしい。殺すのは一番効率がいいけどその分リスクもあるんだ。


 ただでさえ聖剣のことで頭を悩ませているのに――。


 ため息をついて、もう一度空を見上げる。空洞の右目には、快晴の青さは映らない。光さえ飲み込む闇だけを映す。 


 私は、アイファズフト・ルトラーラ。


 隻眼の忌むべきハーフエルフにして、魔の力をもつ忌みものたちの王。


 光に狂わされる勇者と、殺し合いをする宿命をもって生まれてきてしまった者。


 神の定めた因果に立ち向かい、運命を変えるために、私は必ず聖剣を破壊する。


 愛するクローネを、勇者なんかにはさせない。




 

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