掌編集『青めく流星』
六月 碧
遠雷
「柊木夏美、売りやってるんだって」
効きの悪いクーラーにうんざりしながら、いつも一人で食べているとも知らずに母さんが作ってくれたお弁当を平らげ、イヤフォンを耳にした時だった。
「売りってぇ、パパ活? 援助交際?」
「どっちも同じでしょ。……で、誰に聞いたの」
「裏垢がバレたらしいよ、クラスメイトに」
私は動揺を抑えながら、無音のイヤフォンを着けたまま窓の外へ顔を向け、机をくっつけて食事している三人の会話に聞き耳を立てた。
見上げた青空の向こうから、灰色の分厚い雲が迫っているのに気付く。雨になるの? 朝はあんなに晴れてたのに。
「うちにもそんなことする子いるんだぁ。なんかショック〜」
「私達が知らないだけで、案外一杯いるんじゃないの。……けど、それだけで売りをやってる証拠になるのかな」
「あの子去年の暮れ辺りからやけに身なりが派手になったでしょ。つるむ同級生のタイプもガラッと変わったし」
心が、ズキリと痛む。
確かに夏美はある日から私に見向きもしなくなり、日進月歩でそれはそれは綺麗になっていった。
「今じゃ有名人だもんねぇ。同級生どころか一年も三年も教室にちょっかいかけに来るんだってぇ」
「そういうのは一切相手にしてないらしいけど。……裏ではオヤジどものお世話してるとなると、ファンが減るか、むしろ増えちゃうか、見ものだね」
「さあ。どっちにしろ、軽蔑しちゃうわ」
三人はそう話しながらようやくお昼を食べ終え、別の話題に移っていった。
夏美とはもう関わりが無い。自分には関係の無い話だ。
頭ではそう考えようとしていたけど、胸の中が何か複雑なモヤモヤとした黒い感情に覆われるの感じた昼休みだった。
自分には取り柄が無い。だから、自分に自信が無い。そんな私は可哀想なオーラでも出ているのか、人から同情されやすく、誰かしらに手を差し伸べられてきた。そして、信用して掴んだその手を、すぐに離されてもきた。
「傘、持って来なかったの?」
放課後、校門近くの喫茶店の軒先で雨宿りをしていると、待ち焦がれていた人が声をかけてきた。
「……天気予報、見てなくて」
「そっか。俺は別にいいけど、そっちは嫌だよな。相合い傘、なんてさ」
照れ臭そうに言う彼に、私は勢いよく首を振って答えた。
「嫌じゃない。いいの?」
「まぁその、たまにはそういうのもありじゃないか。なぁ?」
私は彼の肩まで届かないおでこごと、体を腕にくっつけた。
「うん。あり!」
学校に友達がいなくても。私には彼がいる。いつか、今までみたいに彼がその手を離す時がくるとしても。今彼は、私だけのもの。
喫茶店を後にして、傘に叩きつけられる雨音すら心地良く感じながら、私達は駅へと歩き出した。
しばらく行くと、雑貨屋の前に人影が見えた。
あれは……夏美!
私は思わず彼の影に身を隠した。
「あら。お二人さん」
夏美の両肩は濡れていて、手に傘は持っていなかった。
「柊木。お前も傘、忘れたの?」
「今朝あんなに天気良かったから。まさかこんなにどしゃ降りになるなんて思わなくてね」
彼の言葉に夏美は笑みを浮かべて見せた。
「待ってろ、そこのコンビニでビニール傘買ってきてやる」
「え、い、いいよ! ちょっと!」
夏美の制止も聞かず、彼は私に傘を預けると豪雨の中を走り出した。
「相変わらず、良い奴だね。彼」
二人でその後ろ姿を見送りながら、夏美は半分呆れたように言った。
「……夏美。売りしてるって、本当なの?」
私が意を決してそう言うと、空がピカッと光ったと同時に、夏美はバカにしたように高らかに笑った。
「アッハハハハハ! 久しぶりに会った第一声がそれ? あんたらしいよ、友梨。……くたばれ」
そう吐き捨てるなり、彼女は私の顔を見ることなく、雨の中を飛び出して行った。
蒸し暑さを洗い流すような激しい雨に打たれながら遠ざかる夏美の背中を見送る私の耳に、さっき光った遠くの雷の音が響いてきた。
「杉咲友梨、二股かけてるんだって」
「えー、うっそぉ! そんな風に見えない〜」
「私も聞いたよ。彼氏がいるらしいけど、昨日別の男と相合い傘で帰ってるの見た子がいるんだって」
「そう言えばさ、柊木夏美とあの子、仲良かったのに友達辞めたの、男が原因らしいよ」
「なになに〜。どういうこと?」
「柊木、ずっと好きな男がいたんだって。杉咲が間を取り持ってたらしいんだけど、その男が杉咲に惚れちゃって告白したら、杉咲はまさかのOKしちゃって柊木大激怒、ってわけ」
「うーわ、最悪。柊木が売りとかやりだしたのって、そのショックが原因じゃないの?」
「え〜。信じらんなぁい」
「柊木を応援するふりして色目使ってたわけだ。いやー、女って怖いね。……あ。また雷鳴った。くわばらくわばら……」
—了—
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