第3話 邪羅

 誰かに抱えられた。

 ミドリが目を開けると、リュウが怒った。


「このバカ!」


 空の中心を、彼は小さな雲のかけらに乗りすべっている。そん悟空ごくうみたいだ。

 手には乳白色の八宅盤はったくばんをにぎっている。これも能力だろうか。

 気持ちいい風がほおをかする。


「私飛んでる! すごいすごい!」

「能天気なヤツ」

「助けてくれたの?」

「おのぼりが悲惨な死に方をするのを見たくなかったからな」

「ありがとね」


 笑顔で言うと、彼はなぜが頬を少し赤らめた。

 不意に、ごぉんと低い鐘の音が。

 にわかに空が暗くなり、雲が黒くなる。


「?」


 桃園や崖の上から、先生や生徒たちのあせったような声が聞こえた。


「みなさん、邪羅じゃらが来ました。落ち着いて避難ひなんしてください」


 天玉城てんぎょくじょうから小さな雲がつぎつぎやって来る。雲に乗っているのはリュウと同じ、首のつまった中華服に赤い笠をかぶった少年たち。

 後頭部のみつあみをたなびかせ、口々に叫んでいる。


邪羅じゃら守衛しゅえいに任せて。娘娘ニャンニャンたちは早く逃げろ」


 リュウも急いでミドリを雲の上におろし、腰の剣をひきぬいた。彼が手にしている八宅盤はったくばんが、ぼうっと金色に光る。その輝きは剣にも移る。


「リュウ、邪羅じゃらってなに?」

「そのくらい勉強しておけ」

「ごめん」

いんの気以外排除することを至上にしてる一族だよ。陛下を滅して自分たちがこの世の神霊しんれいになろうと、よくちょっかいをだしてくる。おまえ、少し雲につかまって耐えられるか?」

「う、うん」


 ごぉん、ごぉんと、おどろおどろしいまでの鐘の音は、黒雲と一緒に徐々に近づいてくる。

 やがてその雲の形は、するどい牙の、龍のような化け物の顔に変わった。

 大口を開けてせまってくる。

 リュウたち守衛は小さな雲をり、暗い空をつっきった。光を帯びた剣をふるい、化け物を切ろうとする。

 化け物の牙のあいだから、激しい風が吹きすさぶ。骨をたたき割る固いひょうが飛んできた。


「くっ」


 巨大な黒雲が人の指の形に変わった。守衛たちをなぎはらい、地上に落としていく。


「……!」


 黒雲はリュウにも肉薄した。彼はすぐさま雲の指へ剣をふりおろす。が、すぐに再生し、追いかけてくる。

 何度リュウが指を切り、どんなに白雲を走らせ逃げても、黒雲はしつこい。

 次第にリュウはつらそうにハッ、ハッと息をしはじめた。剣の刀身の金色の輝きもくすんでくる。

 そういえば先生が言っていた。無理して活力かつりょくを使いつづけると、身体からだに負担がかかり、ひどい場合には死んでしまうと。


(どうしよう。このままじゃリュウが死んじゃう。助けなきゃ)


 透明な八宅盤はったくばんを、祈るように両手でにぎりしめた。

 チートなんかない。それでも、リュウを助けなければ。

 走馬灯というやつか、先生の授業がやけにクッキリ思いだされる。

 体内の陰陽いんよう五行ごぎょうを調和させるにはまず呼吸。ついで瞑想めいそう。自分の中の感覚を完璧につかむ。

 熱いのか。寒いのか。怖いのか。興奮しているのか。

 一番強く出ている自分を、自分のなかで静める。

 ミドリの円盤がぼやっと、白銀に光った。鼓動のように点滅する。

 リュウの剣と八宅盤の金の光も、共鳴するように鼓動する。


「これは……」


 ふたつが同時に発光した。

 いなずまのような光は、黒雲をつらぬきふきとばす。

 衝撃でミドリも宙にふっとばされた。


「きゃ!」


 リュウがヒュンっと白雲を走らせ、落ちるミドリを抱きとめた。


「おまえってやつは」


 彼の安心したような顔に、少しだけうれしいと感じるのは、気のせいだろうか。



 

 上から様子を見ていた女の子や守衛しゅえいは、おどろきと興奮につつまれる。


「ミドリ、あんな力を持っていたの?」


 先生もおどろいていた。


「めずらしいこと。あの守衛とミドリの力が調和したのだわ」


 リンはじっとリュウとミドリを見つめる。

 胸のうちのチクリとした痛みと、わずかにちらつく黒い炎。

 光に散らされた黒雲のカケラが、すぅっとリンの背後についたことには、誰も気づかない。



 


 天玉城てんぎょくじょうは、そそりたつ岩々に建てられた宮の総称だ。宮のなかには、長年使われずにさびれた『冷宮れいきゅう』という場所がある。



 空が白みはじめた早朝、ミドリは先日見つけた冷宮れいきゅうの裏手で、一生懸命透明な八宅盤はったくばんをふっていた。


「えい! えい!」


 活力かつりょくを発動させようと練習している。ここは誰も来ないからうってつけの場所だ。

 努力のかいあり、炎がチロチロと出たり、水でばんがしっとりぬれるようにはなった。

 ただ、それだけだった。


「何度やってもこの前みたいにできないなあ」


 やはりミドリはチート能力を持っていたようだ。が、使えないなら意味はない。


「はああ。なんでうまくいかないんだろ」


 それに、リンのことも気になる。

 今朝も練習に誘ったが、断られた。彼女は最近無口で、ミドリのこともさけている。

 なにか悪いことをしてしまったのだろうか。


「……ま。なやんでてもしょうがないよね。えい! えい!」


 ふたたび八宅盤をふるう。

 考えこんだりなやんだりするのは性にあわない。

 早く自分のチート能力を開花させ、先生やリンたちの役に立てるようにしよう。

 リュウの役にも。

 最近は彼から活力について教えてもらっている。ぶっきらぼうだけどなんでも答えてくれる。それに読書が好きだったり、花をめでたり、意外と繊細なところもある。彼の新しい一面を発見すると、なぜだかうれしかった。

 ヒソヒソ。

 ふと、くぐもった声が聞こえた。


(誰?)


 ここには誰もいないはずなのに。


「……先日のあれはファン兄上がよこした邪羅じゃらですね」

 

 声のでどころは、しっくいがはがれ落ち、蜘蛛くもの巣がはった冷宮れいきゅうの壁。

 冷たいそこに耳をあてた。


「ちがう。おまえは私を疑ったな」

「そういうわけでは」

「おまえのせいで私はこんなことになった。父上にも見捨てられた。おまえだけは味方だと信じていたのに」

「もうしわけありません」

「つぐないになにをしてくれる?」

守衛しゅえいの俺にわたせるものなんて……」


 そこで気づいた。あの声。


(リュウの声……)


「……誰だ!」


 怒号とともに、壁からドスッとするどい剣先がつきでた。


「きゃっ!」


 ミドリはのけぞる。

 冷宮からドタドタ足音がし、表側からリュウが来る。


「こんなところで……」

「練習! 活力の練習してたの」


 八宅盤をふり、大声をだす。


「今の話、聞いていたか?」


 聞かれたくなかったのか。


「ううん。練習で一生懸命だったから……」


 リュウは舌打ちし、ミドリの手首を乱暴に引く。


「もう二度とここに来るな」

「ごめん」

 

 


 冷宮の隙間すきまから、リュウが娘の手を引いているのが見える。

 このあいだ邪羅じゃらをよこしたとき、彼が雲に乗せていた子だ。

 大事そうに守っていたな。では、あれはリュウの大事な『もの』なのだろう。

 目を細めた。

 

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