噛み合わなかった二人、噛み合う人生
瀬戸 夢
第1話.帰省
バスがのどかな田舎道を走る。乗客は俺を入れても3人しかいない。
市街地を抜け、だんだん民家が少なくなっていく。橋を渡ったところで一気に視界が開けた。一本道の両側にはどこまでも田園風景が広がっている。
田植え前の水がはられた田んぼが、鏡のようにキラキラと澄みきった空を反射している。そんな見慣れた風景は、たった一年ぶりだというのになぜだか懐かしく感じた。
「ただいまー」
ガラッと戸が開くと、ヒョイと母が顔を出した。
「あら、おかえり。バスで来たの?」
「うん」
「連絡してくれれば駅まで迎えに行ったのに」
「時間もあったし、たまにはバスも悪くないかなぁと思って」
なんとなく、そんな気分だった。
「そうなの。まぁ、夕方までゆっくりしなさいな。お昼は食べてきたんでしょ?」
「うん。新幹線の中でね」
物置となったかつての自分の部屋に入ると、適当に積まれたダンボールの脇にキレイに布団が敷いてあった。きっと母が押し入れから出して、干して敷いてくれたのだろう。
荷物を置き居間に降りると、待っていたかのように母がすっとお茶を出した。
「ありがとう」
「向こうを何時に出てきたの?」
「10時過ぎかな。東京駅はいっぱいだったよ」
いつものように、仕事がどうかだの、ご飯はどうしてるのかなど他愛もない話をしていると、急に母は何かを思い出したように少し顔を上げた。
「そうだ……」
「どうしたの?」
「あんた聞いてる?」
「なにが?」
「美咲ちゃんのこと」
あまり聞きたくなかった名前が、まさか母の口から出てくるとは思わなかった。
『
中学から一緒になって同じ陸上部で汗を流し、部活を引退した三年の夏に彼女から告白され付き合うようになった。
彼女は明るく活発な
俺たちはそのまま同じ高校へ進学し、卒業後は大学に行くため俺だけ上京した。
俺は彼女に一緒に上京してほしかったが、彼女の家は父親がおらず、姉や二人の弟もいたので娘を大学に行かせる余裕はなかった。
結局、彼女は家計を助けるため、事務員として地元の建設会社に就職した。
この時ほど自分の無力さと、抗えない現実があることを思い知らされたことはない。
遠距離になっても交際は続いた。俺は休みの度に帰省し、彼女もたびたび東京に会いに来てくれた。
その頃は、会う度に俺は彼女を激しく求めた。なんとなく、彼女を誰かに取られるんじゃないかという漠然とした不安があって、その裏返しだったのだと思う。
しかし、やはり学生と社会人。価値観の違いから気持ちのすれ違いが多くなり、くだらないことで喧嘩することが増えていった。
お互いだんだんと連絡を取らなくなり、そして、俺が就職すると一気に疎遠になった。特に海外研修でイギリスに赴任したのが大きかったと思う。
いつか迎えに行くと彼女に言っていたが、結局その約束は果たされることなく、最後はよくある自然消滅という形で俺たちの恋愛は終わりを告げた。
俺はこれまでの人生、異性との付き合いは美咲だけだった。そのため、別れた後、女性の誘い方も分からないし、なにより慣れない環境に疲れきっていて、とても新たに恋人を作る気にはなれなかった。そうして今現在、恋人はいない。
「美咲がどうしたの?」
「あんたやっぱり知らなかったのね。同窓会に行く前に伝えられてよかったわ」
母のその言い方に何か悪い予感がした。
まさか亡くなったとかじゃないよな……。
「美咲ちゃんね、今度結婚するんだって」
「えっ!?」
俺は母の言葉が一瞬理解できなかった。怪我や病気などの方向で、俺が待っていたからというのもある。
「8月にね、挙式って話よ」
小さい町で更に学区が一緒だと、誰が亡くなっただの産まれただの、そして結婚するだの、そういった話は結構伝わる。まぁ、母親たちのコミュニティーの広さは侮れないといったところだろう。
結婚? 美咲が結婚? 俺じゃない
まさに、ガーンという文字が頭の中を駆け抜けたような感覚だった。
そうか、そうだよな。別れたってことはそういうこともあるってことだよな……。
別れて約一年。俺にとっては海外赴任など激動の一年で思い返すと逆に一瞬だったが、彼女にとっては結婚を決める十分な時間だったのだろう。
もしかしたら、俺と別れる前から結婚する奴と、いい感じになっていたのかもしれない。まぁ、さすがに美咲は浮気するような奴じゃないから、二股なんてことはないと思うが。
元カノの結婚を聞いて、俺はまたあの頃のように、彼女に置いていかれた気分になっていた。
彼女を地元に置いていったにもかかわらず、先に就職して社会に馴染んでいっている彼女に、逆に自分が置いていかれている気がしていた。
彼女から送られてくる、同僚たちと写った会社の忘年会や慰安旅行などの写真を見ては、俺と彼女の世界の違いを感じていた。
「……そうなんだ。まぁ、めでたいことなんじゃないの」
これが今の俺に言えるギリギリの言葉だった。
「あんたも早くいい人見つけなさいな」
そう言って母はふぅと小さくため息をついた。
夕方になり、軽トラで兄に同窓会の会場のホテルまで送ってもらうことになった。
助手席で外の暗闇を見つめながら、俺はぼーっと美咲のことを考えていた。
中学・高校の時はよくデートをしたし、一緒に映画もたくさん観た。
大学に入ると、連休を利用して沖縄に旅行に行ったり、ブームに乗ってあちこちの山にハイキングにもよく出掛けた。
どんな場面にもキラキラと輝く彼女の眩しいほどの笑顔があって、それらの思い出は未だに俺のスマホの中のフォルダに大事に収められている。
もう消した方がいいのかもな……。
別れた後も、彼女と撮った写真や動画を未練がましく俺は消せないでいた。
思いを断ち切るためスッパリと消してしまおう。そう思う反面、別れてすぐに別の男とあっさり結婚する彼女への小さな復讐心から、しばらくは残し続けようとも思った。
別に何か犯罪めいたことをしたいわけではないが、夫が知らない彼女の過去を、ひっそりと握っているという優越感に浸っていたかった。我ながら
「松光ホテルでいいんだよな?」
「うん」
「しかし、お前らの同窓会いいところでやるんだな」
「そうなの? こんなもんかと思ってたけど」
「そんなことはないさ。俺らの時は町民ホールだぜ。あのボロボロの」
このGWに行われる中学校の同窓会に、最初俺は前向きに参加する気になれなかった。もちろん、同級生に会いたいという気持ちはあるが、それを差し引いても美咲と顔を合わせたくない気持ちが大きかった。
しかし、俺は今年の秋には再びイギリスに赴任することが決まっている。そのため、なんとなく、ここで会っておきたい気持ちになった。
もし美咲に会ったらどんな顔をすればいいんだろう。てか、美咲は来るのかなぁ。
彼女と顔を合わせたくないような、最後に会ってお祝いの言葉を言っておきたいような、どっちつかずの気持ちだった。
「兄ちゃん、ありがとう」
「おう。もし帰り足がなかったら、11時くらいまでは起きてるから電話しろ」
「うん、ありがとう。じゃあ、いってくる」
「楽しんでこいよ」
兄を見送り、俺は意を決してホテルのエントランスに向かった。
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