第19話:如蛾赴火(蛾の火に赴くが如し)
「ここがそのビルか」
目の前にそびえるのは……普通の商業ビルだった。
1階と2階には居酒屋、3階と4階にはそれぞれパブとクラブが入っている。
ここは肥田が連絡してきたビルだ。
名前は……ドラゴンゲートビルディング。
……連中にとってはこれがかっこいい名前なんだろうか。
まあいい、ビルの名前などは俺にとっては何の関係もない。
どうせ今日の昼過ぎには忘れているだろう。
「さて行くか」
(ちょっと待ってください。本当に行く気なんですか?)
「当たり前だ、そのために来たんだぞ」
(しかしなんでこんな時間に?)
「肥田が言うには金が集まるのはこの時間帯らしいからな」
現在は平日の午前8時、確かに犯罪組織が活動する時間としてはいささか不似合いな気もする。
一般的な外食産業は午前中に仕入れをするからそこに現金を紛れ込ませるにはこの時間しかないのだろう。
警察もこんな時間に動くとは思わないだろうから金を動かすのに都合が良いのかもしれない。
「ゴチャゴチャ言ってないでさっさと行くぞ」
いかにも普通の商業ビルらしく警備員はいない。
「確かに5階は空きフロアになっているな」
フロア案内を確認してエレベーターに乗り込んだ。
(ちょ、ちょっと待ってください!いきなり乗り込むんですか!?)
「それがどうかしたのか?」
(犯罪組織の拠点なんですよ?警備がついてるかもしれないし、万が一待ち伏せされていたらどうするんですか?)
「どうするもこうするも邪魔する奴がいたら排除するだけだ。女神のくせにずいぶんと心配性だな」
(べ、別にあなたの心配をしてるわけじゃありません!一般論を述べているだけです!)
そうこうしてるうちにエレベーターが止まった。
ベルの音と共にドアが開く。
「ここが5階か」
照明の消えた薄暗い廊下の先にドアが見える。
「警備すらいないのか。犯罪組織のくせに不用心だな。
ドアは押すだけで開いた。
部屋の中には……数人の男たちがいるだけだった。
現金も、それらしいものすら見当たらない。
……本当にここで合ってるのか?
「マジかよ。本当に来たぜ」
男の1人が意外そうな声をあげる。
「一つ聞きたいんだが、ここは凶龍連合が資金洗浄をしている場所で間違いないんだな?」
「マジかよ!本当に来たのかよ!」
俺の問いに男たちが更に嬉しそうに叫んだ。
「言っている意味がわからなかったのか?ここは凶龍……」
「あーわかってる。わかってるって」
男は俺の背後に回るとドアを閉めて鍵をかけた。
「そろそろ気付いてるよな?お前は嵌められたんだよ」
やはりそうか。まあわかってはいたことだが。
(やっぱり罠だったじゃないですか!だから言ったのに!)
「うるさいな。そのくらいここに来る前から織り込み済みだ」
「おいおい、ずいぶんと余裕じゃねえか。自分の立場がわかってんのかよ」
男たちが立ち上がって周りを囲む。
「お前らに言ったわけじゃないんだが……まあどっちにしろ同じことか」
辺りを見渡すと部屋の奥からもぞろぞろと男たちが出てきた。
総勢……15、いや20人と言ったところか。
「吐影はいないのか」
男たちの中に吐影 龍はいなかった。
龍二と龍三の姿も見えない。
「はあ?吐影さんがお前如きを相手するわけねえだろ!」
スマホを掲げた男が叫ぶ。
どうやらこの場を撮影しているようだ。
おそらくその動画は吐影の元に送られているのだろう。
まずは敵の実力を確認したいというわけか。
「つまり……まだ本気じゃないということなんだな」
「なんだぁ?てめえ、この人数でまだ本気じゃねえって言いてえのか?頭おかしいんじゃねえのか?」
男たちの間に殺気が走る。
こいつらは自分たちがあて馬にされていることに気付いていないのだろう。
「まあいい、どちらにせよやることは同じだ。吐影がいない以上さっさと終わらせるぞ」
「ふざけんじゃねえ!終わんのはてめえの方だ!」
怒号と共に男たちがかかってきた。
◆
「神那先ィ、お前はどう見るよ」
吐影がタブレットから顔をあげて神那先の方を見た。
「強いね。流石は龍二くんと龍三くんをやっただけのことはあるよ」
神那先が前髪をいじりながら答える。
タブレットには森田が十数人を相手に大立ち回りをしている様子が映されている。
「これほどの強さなら龍でも無事には済まないかもね」
「ハ、俺がこいつ如きにやられるかよ」
煙草を弾きながら吐影が言い捨てる。
「当然だね。まあ元々正面からやり合おうなんて気はさらさらないんだけどさ」
「だな。あいつにはせいぜい踊っておいてもらおうじゃあねえか。その間にこっちは仕上げといこうや」
吐影がスマホで各所にメッセージを送る。
「腕っぷしだけじゃこの世界は渡り歩けねえんだよ。結局は相手をどう支配するかなんだぜ、森田くんよお」
タブレットに送られていた映像が途切れた。
◆
「じゃ行ってきま~す」
「気を付けるのよ~」
母親に見送られながら朱音は家を出た。
「そういえば今日はあいつ、なんかやけに早く出ていったわね」
人気のない住宅街を歩きながら1人呟く。
あいつとはもちろん兄の衛人のことだ。
「ふん、私にはあいつが何をしてようと関係ないんだから!」
朱音は兄のことを気にかけている自分に憤慨するように頭を振りながら歩く足を早めた。
「だいたい、あんな奴がわたしの兄のわけ……あれ、シロじゃない?」
目の前に現れた白猫に朱音は驚いたように足を止めた。
それは朱音が時々餌をあげてる野良猫だった。
「どうしたの~こんなところで」
しゃがみこんで白猫に手を伸ばす。
シロと呼ばれた白猫はニャアニャアと鳴きながら前肢をジタバタ動かしている。
「お腹空いてるのかな?でも今は猫缶持ってないのよ」
シロに意識を集中していた朱音は後ろで黒塗りのバンが音もなく停まったことに気付かなかった。
サイドドアから出てきた男たちは朱音の背後に忍び寄る。
「シャアアツ!」
朱音がシロの威嚇音に驚いて振り向いた時には既に口を手で押さえられていた。
闇に飲まれるようにバンの中へと引きずり込まれる。
バンは来た時と同じようにすばやく走り去った。
住宅街が再び静けさに包まれる。
それは十秒にも満たない出来事だった。
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