第18話:張られた罠

 肥田の目の前で斧が床に突き刺さった。


「ヒィィィッ!」


「どういうことだ神那先かなさき


 吐影が部屋の奥に顔を向ける。


 既に肥田に対する興味は失っていた。


「そいつを殺すのは今じゃなくていいという意味さ」


 部屋の奥からやってきたのはこの場にいるのが不釣り合いなほどに線の細い男だった。


 しかし周りの男たちが一斉に距離を取ったところからも彼 ― 神那先 ― がこの組織でただならぬ地位にいることがわかる。


「君、肥田と言ったっけ?君は森田に命令されてここに来たということはつまりスパイするつもりだったということで合っているかな?」


 神那先が肥田に尋ねる。


 見た目と同様に落ち着き払った物静かな口調だ。


「は、はい、あいつは滅茶苦茶強くて……逆らえなかったんです」


「うんうん、そうだろうね。そうだと思っていたよ」


 神那先が微笑みながら頷く。


 吐影はそんな神那先の態度に納得がいっていないようだ。


「だからどうだってんだよ。そいつが薄汚えネズミってことに変わりはねえだろうが」


「だからこそ、さ。この肥田くんは森田のスパイとして送り込まれてきた、それが重要なんだ。彼は森田と接点を持っている、こういえばわかるかな」


 神那先の言葉に吐影が微かに眉をあげた。


「神那先ィ、お前の言ってる意味がわかってきたぞ。つまりこいつは奴をおびき寄せる餌ってことか」


「そういうこと」


 神那先が肥田の肩に手を置く。


「肥田くん、ここまで言えば君にもわかってきただろ?君には二重スパイになってもらう。僕らの情報を流すふりをして森田を誘導するんだ。良いね?」


「は、はい……でも……」


「君に選択肢があるとは思わない方が良いよ。それもわかるだろう?」


 肥田の目の前には斧を手にした吐影が仁王立ちになっている。


 断ろうものならその場で頭をかち割られてしまうだろう。


 肥田は自分が袋小路に迷い込んだことを悟った。


 断っても断らなくてもその先にあるのは破滅だけだ。


 もう思考することすら無駄に思えてきた。


 今はとにかく一分一秒でも生きながらえる道を進み続けるしかない。


「はい……わかりました……言う通りにします」


 肥田に他の選択肢などあるはずもなかった。





    ◆





 スマホが鳴った。


「もしもし、森田さんですか?」


「肥田か、首尾はどうだ?」


「なんとか忍び込めましたよ。でも今の俺は一番下っ端だから掴める情報なんかたかが知れてますよ」


「それでいい、こっちも準備があるからな。それじゃ、何かあったらすぐに知らせるんだ」


 どうやら肥田は上手いこと凶龍連合に入れたようだ。


 これで計画は一段階進んだことになる。


 次の一手のために準備を進めておかないとな。


(……それで、あなたは何をしてるんですか?)


 エレンシアが不思議そうに聞いてきた。


「何って、買い物だが?」


 俺が手にした籠には安いデジタル時計が大量に入っている。


(それは見ればわかります。なんのためにそんなものを?)


「この時計は安い割に正確なんだ。なんでもこの世界ではテロリストが時限爆弾を作る時のタイマーにも使われているらしい」


(ま、まさかあなた!この世界でテロ行為を!?)


「そんなわけあるか。この時計には質のいい水晶が使われてるから簡易的な魔道具を作るのにぴったりなんだ」


(なんだそういうことですか……って、そんなに大量の魔道具を用意してどうするつもりなんですか?)


「まあそれは今後のお楽しみという奴だ」


 俺は虚空に向かって笑みを返すとレジへと向かった。





    ◆





「森田さん!ついに掴みましたよ!」


 肥田が凶龍連合に忍び込んで1か月ほど経ったある日、遂に連絡が来た。


「凶龍連合はオレオレ詐欺やら闇金で稼いだ金を毎月所有してるビルに集めてるそうです。今その住所を送ります


 スマホに送られてきた住所は街の繁華街にあるなんの変哲もない雑居ビルだった。


「このビルは中のテナントも全部凶龍連合の息がかかってます。そこに卸す食材に現金を紛れ込ませて運び込んでるらしいですよ。実際には最上階の空きフロアに集めてるんだとか」


 なるほど、それなら怪しまれることなく集金できるというわけか。


「今月の集金は1週間後の金曜日です。たぶんそのビルが凶龍連合の本拠地だと思います」


「よくやった」


「言っときますけど俺が漏らしたなんて絶対にわからないようにしてくださいよ。俺だってばれたら絶対にぶっ殺されちまう」


「わかっている。その日は体調が悪いとか適当にごまかしてそのビルには近づかないようにしておけ。あとは俺がやる」


「マジで頼んますからね!これはトイレに行ったふりしてかけてるんでもう切りますから」


 そう言って森田からの電話は切れた。


「ようやく準備が整ったようだな」


 俺はスマホの画面を見ながら笑みを浮かべた。





    ◆





「ようやく準備が整ったようだな」


 吐影が凶悪な笑みを浮かべる。


「こんな感じで良かったでしょうか?」


「上出来だ。なあそうだろ、神那先よぉ?」


「もちろんだとも。これで森田はあのビルにやってくるだろうね」


 神那先がいつもと変わらぬ落ち着いた声で頷く。


「へ、馬鹿な野郎だぜ。自分が騙されているとも知らねえでよ」


「騙しているわけじゃないよ。現にあのビルはそういう目的で使っていたんだしね。ただし先月までだけど」


 凶龍連合が所有しているビルは全部で3棟、それらを不定期に切り替えながら資金洗浄を行っているのだ。


 神那先の頭脳が設計した組織運営と犯罪計画を吐影の暴力と恐怖による支配、これが凶龍連合の強さだ。


 この組織力をもってすれば多少腕に覚えがあっても敵ではない。


 現に今までも調子に乗った半グレにケンカを売られたりシマを荒らしたとヤクザに因縁をつけられたことだって一度や二度ではない。


 そして吐影と凶龍連合はその全てを退けてきた。


 今ではこの街で彼らに逆らうものは皆無と言ってよかった。


 今回も今までと何も変わらない、吐影はそう信じていた。


 あの森田というガキも一週間もしないうちに勘弁してくれと泣きついてくるはずだ。


 ソファにふんぞり返りながら吐影は満足そうに煙草をくわえた。


 側に控えていた男が即座に火をつける。


「なんにせよこれであいつも終わりだ。俺の靴を喜んでなめるようになるまで躾けてやる」

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