そんなふたりのささやかな日常
雪待ハル
そんなふたりのささやかな日常
「マジであり得ない」
「はいはい」
「この豆、苦みが強めのヤツじゃん・・・私キリマンジャロって言った・・・」
「まあ聞きなさい」
「何」
「今回買ってきたマンデリンは牛乳との相性が抜群なのよ・・・!」
「・・・・・・」
「つまり!?カフェオレにするとめっちゃ美味しい!!」
「・・・・・・」
「さ、さっそく淹れてみましょ」
「はあ・・・分かったよ」
☆
「あっ誰か来た」
「いいよ、わたしが出る」
「うん・・」
「はーい!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「頼んだ覚えのない荷物だったから丁重にお断りした」
「こわ」
「怖いね~どうなってんの日本」
「ねえ、マダムが通販とかした時は事前に教えてね。貴女がいない時は私が受け取っておくから」
「うーん、大丈夫よ。わたし基本通販とかしないから」
「・・なんで?」
「直にお店に行って品物見て買うのが好きだから」
「・・・・そっか」
「うん。――あっそうだ思い出した。ちょっと待って・・・・・・・・・・・・これこれ!スーパー行ったらプリンアラモードが値下げしてたの!食べましょ!」
「あっ美味しそう」
「でしょー?わたし甘いものに目がなくって。アンタは?」
「私も好き」
「よかった!じゃあコーヒー淹れてくるわ」
「いいよ、私淹れるよ。マダムはさっきお客さん対応してくれたから」
「そう?じゃあお願いするわね」
「うん!」
☆
「ねえ・・・・どうしよう・・・・」
「何が?」
「この納豆、賞味期限三日切れてる・・・・これ食べて大丈夫かしら・・・・」
「私は普通に食べるけど」
「まじで!?」
「まあ・・・三日程度なら別に」
「そっか・・・・」
「マダムが抵抗あるなら、私があるやつ全部食べるけど」
「いや、それは・・・アンタに食べさせるならわたしも・・・」
「貴女変なところで気ィ遣うね。じゃあこうしよう、私は今冷蔵庫にある納豆3つ全部食べる、その代わりに今度オムライス作って」
「・・・そんな事でいいのかしら」
「そんな事!!!??」
「えっ」
「マダムの作るごはんめちゃくちゃ美味しいんだよ!?その貴女が作ったオムライスなんて・・・最高に決まってるじゃん!!」
「・・・・・・・」
「マダム?」
「・・・ふっ、あははは!そっか、それならその取引、受けましょう」
「うん。楽しみにしてる」
☆
「・・・これをこうして。はい、これで糸くずフィルターの掃除は終わり」
「なるほどー」
「洗濯機を一回回す毎にこれの掃除をこまめにするの」
「そうだね、一回分の糸くず結構量ある時あるもんね」
「これさえ守ってもらえたら、洗濯機使いたい時に使ってもらっていいから」
「分かった」
「洗剤や柔軟剤の詰め替えはここ。なくなりそうだなって思ったら教えて」
「うん。・・・ねえ」
「ん?」
「私・・・・これからはスーパーの買い物に付いて行ってもいい?」
「それは・・・・」
「本当は、まだ人が怖い。でも・・・いつまでもこのままマダムに頼りきりなのは・・・」
「・・・あのね。これはある人に言ってもらった言葉なんだけど、『焦って物事がいい方向に進んだ人を私は見た事がない』って」
「・・・・」
「アンタの気持ちは嬉しいわ。でも・・・そうね、無理は禁物よ」
「うん・・・」
「今はここで、心にたんと勇気を蓄えてちょうだい。そうして・・・暖かくなったら、一緒にスーパーに行きましょ。甘いものいっぱい買って、帰りに喫茶店でコーヒー飲んでからのんびり帰るの」
「うん・・・分かった。私、頑張る」
「あら、そんなに気張らなくていいのよ?せっかくなんだし、炬燵でみかん食べて、ゴロゴロしてテレビ見てればいいのよ」
「マダム」
「ん」
「・・・ありがとう」
「どういたしまして」
☆
「・・・・・・・ふう」
「どう?どう?」
「すごかった」
「でしょー!?」
「この、主人公とライバルの関係だけじゃなくて、先輩や他校の選手との関係性までみっちり描かれてて、作者の熱意を感じた」
「そうなの!!話が進むにつれて、どんどん新しいキャラクターが登場するのに、どの人も魅力的で、読んでてわくわくするのよね」
「ねえ、マダム・・・・私、漫画家になりたいかもしれない」
「突然!?」
「いや、思いつきで言ったんじゃなくて。前からずっと思ってて・・・実家にいた頃からずっと。漫画とか小説とか、物語のおかげで私は心まで死なずにここまで生きて来られたから」
「・・・・」
「あの地獄を生き延びて、今マダムのところにいる。ここにいると深く呼吸ができるの。それは貴女のおかげで・・・物語のおかげなの。だから」
「そうなのね。それなら、勉強が必要ね」
「うん・・・分かってる」
「分かってるならよろしい。――――アンタの書いた物語、読めるのを楽しみにしてるわ」
「うん・・・!」
☆
「シクラメン?」
「そう。綺麗だな~って思って買ってきた」
「うん、綺麗」
「えーと、何何・・・?咲き終わった花や枯れ葉は取り除く・・・水やりは葉を持ち上げて、球根や葉に水がかからないようにそっと土に与える・・・なるほど」
「はい!」
「うん?」
「私、シクラメンの世話する」
「いいの?」
「これも勉強」
「ふーん。・・ふふっ、そっかーじゃあお願いしよっかな」
「任された」
「ではわたしはオムライスを作ります」
「!!」
「おっいい顔。腕によりをかけて作るわね」
「早く食べたーい!」
「お花担当、シクラメンのこと忘れないように~」
「やべっ忘れてた」
「こら」
「ごめーん!」
☆
「37度4分・・・」
「うう・・・ぞわぞわする・・・」
「寒気もするのね。・・・熱がこれ以上上がるようなら、病院へ連れて行くからね。分かっててね」
「うん・・・」
「はい、頭上げて・・・はい、いいわよ」
「氷枕だあ・・・冷たくて気持ちいい」
「スポーツドリンクここに置いとくからこまめに飲むように」
「ありがとう・・・」
「何か食べたいものある?」
「キムチ鍋・・・」
「おっいいわね。じゃあ材料買って来るから、休んでて。すぐ戻るから」
「うん・・行ってらっしゃい。気を付けて」
「うん。行ってきます」
そう言ってマダムは部屋を出て行った。
ぱたぱたと忙しない足音が聞こえ、やがて玄関のドアが閉まる音と鍵をかける音が聞こえた。
「・・・・・・」
ここに来て半年が過ぎた。
たったの半年、けれど私にとってはかけがえのない6か月。
世界へ向かっていくための勇気を蓄える、私の居場所。
マダムがいてくれたから、今の私がいる。
私の、大切なひと。
家族でもない、友達でもない、不思議な同居人さん。
あのひとがくれたものを、いつか大人になったら返すんだ。
力をつけて、強くなって、恩返しするんだ。
そのために今はまず、熱を下げて元気にならないといけないな。
(マダムに読んでもらう物語・・・実はもう考えてるんだよね。早く形にしたいな)
そう考えたらおぼろげな意識の中でも自然と笑えて、へにゃっと笑いながら私はゆっくりと眠りについた。
☆
「・・・・・・・・・?」
ふと目覚めたら、カーテンは開けっ放しで窓の外は真っ暗だった。
部屋の中も真っ暗で、外の街灯の灯りでかろうじて物の輪郭が見える。
部屋の外から物音はせず、人気も感じられない。
「・・・・ッ!!」
ぎゅ、と心臓が縮んだ。
――――マダムが帰って来てない。
私は急いで起き上がった。大丈夫、元々微熱だったし、眠ったら熱は下がった気がする。
(探しに行かないと)
何かあったのか。
彼女の身に何かあったら、私は――――
「ただいまー!マジでごめん、遅くなった・・・っ」
玄関のドアの鍵が開く音、ドアが開く音、彼女の声。
私は知らず止まっていた息を吸った。
ぱたぱたと忙しない足音が近付いて来て、部屋のドアが開いて。
マダムがそこにいた。
「ごめんね、結――」
「うわああああああんおかえりいいいいいいいいい」
「――――っ!!」
私は布団から立ち上がって彼女に飛びついた。
彼女は驚いたようだが、私の体をしっかりと抱き止めてくれた。
ぎゅ、と背中に腕が回される。
「・・・心配かけたね。ごめん。ごめんね」
「ほんとだよおおおおおおおもおおおおおお!!」
ぽん、ぽん、と優しく背中を叩く手のひらの感触。
「あのさー、高校時代の苦手な知人にエンカウントしちゃってさー。そいつに捕まっちゃってなかなか逃げられなかったのよ。めっちゃ疲れた・・・・」
「そうだったんだ・・・・・お疲れ様」
「うん・・・」
でもキムチ鍋の材料はしっかりゲットしてきた!と笑顔になるマダム。
「遅くなっちゃったけど、今から急いで作るからね。それまでアイス食べてていいよ」
「急ぐと危ないからゆっくりでいいよ」
言葉を交わして、私は布団へ、彼女は台所へ。
彼女が買って来てくれたアイスクリームは抹茶味で、私の好きな味を分かっていてくれている事が嬉しかった。
・・・そしてそれ以上に、彼女が無事に帰って来てくれて、嬉しい。
(ほんとうに、よかった)
部屋の中で一人アイスを食べながら、私はこっそり泣いた。
☆
「ん~~~今日もカフェオレが美味しい」
「美味しいわね~」
「雪かきの後だから尚更温かさが沁みる・・・」
「そんなアンタに!」
「ん」
「昨夜眠れなくてこっそり作ってみたの。ガトーショコラよ」
「わあ・・・!美味しそう!」
「そうでしょうそうでしょう。さっそく食べましょ」
「うん!・・・でも最近眠れないの?」
「そうなのよね。寒いからかしら・・・」
「・・・・・・」
「結―、皿とフォーク持って来てー。わたしは切るから」
「はーい」
☆
雪がしんしんと降り積もる。
せっかく雪かきした道路も、あっという間に真っ白だ。
私はきっちり着込んでアパートから出た。
マダムには家にいていいと伝えてある。
(眠れない、か・・・)
ざく、ざくとスコップで積もった雪をすくい上げながら考える。
自分はこのように、今はもうアパートの目の前の道路までなら出られるようになった。
前進している。確実に。
その手ごたえを感じながら、黙々と除雪作業を続ける。
(今なら、マダムの付き添いで病院へ一緒に行く事だってできる)
・・・本当にできるか?考えてふと手を胸に当てる。
どくん。どくん。鼓動が鳴る。
私が生きている証。
『無理は禁物よ』
彼女の声が響く。
そうだ、無理して付き添っていざ病院でたくさんの人の中でパニックになったらかえって彼女の足手まといになる。
(じゃあ、今の私にできることは)
ざく、ざく。ひたすら頭の中で考えながら手を動かした。
☆
「マダム」
「お疲れー。何度も作業して疲れたでしょ、こっちおいで」
「マダムは病院に行った方がいいと思う」
「結?」
「私、ここで貴女の帰りを待ってるから。おいしいごはん作って待ってるから」
「・・・・・」
「いつか私はここを出て行くけれど、それまでは私は貴女の同居人。だから私は自分にできる事ぜんぶやって貴女を支えるよ」
「・・・・・・結」
私の名前を呼んで。
彼女は、ちょっぴり悲しげに微笑んだ。
☆
そうしてやや強引に彼女を病院へ行かせたら、職場でのストレスが原因と言われたそうだ。
いつも私の前ではにこにこご機嫌な顔を見せていた彼女。
それはきっと、一生懸命に頑張ってそうしてくれていたのだ。
私は悔いた。彼女の頑張りに気付けなかった事を。
けれど職場での出来事には、私は手出しできない。
それは彼女自身が何とかする事。助けを求めるとしても、その相手は私ではない。
だから、私は自分の事をしっかりする。体調管理。メンタル管理。
自分は非力だ、それは痛い程分かってる、だからこそ。
これは彼女のためじゃない、彼女の事が大好きな自分のためだ。
「いただきます」
「いただきます」
二人で食卓を囲む。両手を合わせて、挨拶を。
彼女はいつも楽しそうに話しかけてくれる。自分よりも歳上の大人がそうしてくれる、その事がどれだけ救いになっていたか。
(・・・マダムは)
私のこと、どう思ってるんだろう。
『よかったら、うちへおいで』
そう言ってくれたあの日。
そこから共に過ごしてきた。
ほんとうの気持ちを隠すのが上手なマダム。
貴女の、本音は、
(それを思うと怖いけど)
それでも。
それでも、彼女と一緒に笑い合った日々は私にとってきらきらした宝物なのだ。
他人の気持ちなんて分かりはしないけれど、それが私にとっての真実だ。
いつか私はここを出て行くけれど。
それまでは貴女は一緒にいると楽しい、離れると寂しい、そんな不思議で誰よりも大切な、私の同居人だ。
だから、さよならのその時までどうぞよろしくね。
「おっ、この卵焼き美味しい。アンタ腕上げたわね~」
「ふふっ、でしょでしょ?」
・・・でも今は、できるだけさよならの時のことは考えたくないなあ。
おわり
そんなふたりのささやかな日常 雪待ハル @yukito_tatibana
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