錬金術師の樹墨愛


 一瞬、回覧板や宅配便を思い浮かべたが、この家に日中、人が居ないのでそれらは夕方にしてもらっている。

 「その類いでなければなんだろうか?」と不思議に思いながら玄関を開けると、そこに立っていたのは思いもよらない人物だった。

 いや、今一番、思わなければいけない人間でもあった。


「こんにちは。ちょっといいかしら?」


 昨日の放課後、博物館で世話になった樹墨愛が玄関に立っていた。

 最近では珍しい学園指定の皮製のカバンと、来る途中で脱いだのか腕にはコートがかかっていた。


「あっ、あぁ、どうぞ。立ち話もなんだから、よかったら中へ」

「結構よ。時間は取らせないから、このままで」

「あっ、あぁ……」


 有無を言わせぬ冷たい感触に当てられ、気おされれてしまった。

 そもそも、この時間は、まだ学校が終わっていない時間では無いのか?

それより彼女が通っている科は、たしか――錬金科……。


「えっと……樹墨さん、学校は?」

「ちょっと体調が悪くなって早退したの」

「そうなんだ」


 ここまで嘘と分かる嘘を吐かれたのはいつ以来だろうか。

 体調が悪いといいつつ、顔色は健康そのもの。

 ただ、表情が全くない真顔で静かに話すもんだから、怖さがとてつもなかった。


「時間が無いから本題に入るわ」

「分かった」

「あなた、昨日の夜に博物館に来た?」

「!?」


 博物館の偉い人と知り合いならもしかしてと思ったが、同じ学校にこんな魔法使いを知る人間が居たとは思わなかった。

 どうしてバレたんだ?と言う考えが一瞬にして思考を奪い、何も答えられなくなってしまった。

それより、予想はしていたのにドキリと反応してしまうノミの心臓を恨みたい……。


「……その様子だと本当に――」


 樹墨の立っている場所の横の壁が突然波立ち、そこからアインが現れた。

「動くな、錬金術師」

 アインは、樹墨の後ろに立つと首筋にナイフをあて、低く殺気立った声色で問うた。


「錬金術師が、この家に何の用だ? 返答次第では魔法式の実験台にして、二度と人間として活動できないようにしてやる」

「ふふ……詠唱無しの壁抜け。そして、その物騒な物言い――さすが魔法使い、と言ったところかしら?」


 殺気立つアインを挑発する樹墨。

 絶対に止めなければいけない状態なのに、俺が声を出した瞬間にそれが殺し合いの合図になってしまうと思うと、おいそれと声を出すことができなかった。


「ふざけるな、錬金術師。何をしに来たって聞いてるんだ」

「……別に、私は彼とお話がしたくて来ただけよ。でも、あなたが居ることで話す必要も無くなったわね」


 樹墨の一言にアインの怒りは一気に沸点まで上がった。


「殺す!」

「ヤメロ!」


 一触即発の危機。

我が家の玄関を血に染めない為に放った一喝は予想以上に大きく、2人を止めることに成功した。

 しかし、殺意の込められた意識は二人の間で絡み合い、解けなくなった糸の結び目のようになっていた。


「樹墨さん、何でこんな危ないことになってんだ?」

「現時点で危ないのは、どちらかしら?」

「だけど、何で樹墨さんがアインと殺しあう必要があるんだ?」

「魔法使いは総じて危険だからよ。今、この状況を見ても分かるでしょ?」


 ふう、と呆れた様子で、樹墨ため息を吐いた。

 その態度に、樹墨の後ろを取っているアインは不思議に思った。

 相手が動けば、次の瞬間にはチリにする自信はある。

 しかし、それでは後ろに立っている亜樹も傷つける可能性もあるので、殺気を放ち錬金術師の首にナイフを這わせて膠着状態にまで持っていっている。


 「近くに仲間が居るのか?」と思い探索の魔法式を飛ばしたが、引っかかるのは関係の無い一般人のみだ。

そうなると、個人で魔法使いに対抗できる力があるのかとアインは身を引き締めた。


 事実、樹墨の心中は、とても落ち着いていた。

それは、三塚家に来る前に自分の部下に伝令役として近くに潜ませていたのだ。

 アインの生きていた時代であれば探索の魔法式で錬金術師を見つけることができただろうが、時代は進み、古い探索式程度では見つからなくなっている。


 そして、伝令役にはこの会話やアインの状態を記録させて、もし自分に何か遭ったときには、それを元にすぐに行動できるように指示している。


「随分と余裕だな。仲間が助けに来てくれるのか?」

「あらそう? 魔法使いに褒めてもらえるなんて光栄だわ」


 一度、収めた場にまた火がつきそうだった。

この状況を打破しないことには、玄関がとんでも無いことになってしまう。


「全く。下劣な錬金術師が、ご主人様の屋敷にまで侵入しているとは……。今の世はどうなっているのでしょうか」


 この殺気立った二人を何とかしようと手をこまねいていると、開きっぱなしの玄関の外から落ち着いた優しい声が聞こえた。


「誰だ!?」


 背後を取られる形になったアインは、振り返ると同時に今まで樹墨の首に当てていたナイフを声の主に向けた。

 アインの背後に立つ形になった樹墨だったが、それでも気が抜けない状態には変わりなかった。


 それは、アインの空いている手の平が樹墨に向かって開かれていたからだ。

 何かあればすぐに攻撃できるようにしているんだろうけど、その後ろに立っている俺まで巻き込まれることをアインは考えているのだろうか?

 戦々恐々としてしまう。


「アイン様。遅くなり、申し訳ありませんでした」


 逆光で見えにくかったシルエットが玄関に近づくと、次第にその姿を現した。

 黒を基調とし、所々に鮮やかな朱があしらわれた、メイド服を着た女性。

 落ち着いたと言うより、何処か怪しげな雰囲気を醸すメイドは、恭しくお辞儀をした。


「遅れてしまい、申し訳ありません。それと、そこの女錬金術師。コートの下に隠している小刀を放しなさい。闇討ちや不意を突くのであれば、サビ止めの油を完全にふき取ってからにしなさい。しかし、この知識も無駄になるでしょうが……」


 メイドに見破られたからか樹墨は、わざとらしく困った顔をするとコートの下に隠していた小刀を俺に渡してきた。

 見た目に反して重量のある小刀を渡されてしまったが、後処理にめちゃくちゃ困る……。


 なんと恐ろしいメイドだろうか。

 この状況に気軽に声をかけてきて、それが発端となり戦闘が始まれば、最初に血祭りにされるのは俺だったんだぞ。


「お屋敷に到着早々、申し訳ないのですが報告を。ここに来る途中で、ご主人様の屋敷を覗いている不届きな錬金術師が居ましたので捕まえておきました」


 「いかがいたしますか?」とメイドが軽々と持ち上げた物はカバンなどではなく、血だるまになった人間だった。しかも、2人も。

 「生きているのか?」と心配になるほど、2人はピクリとも動かず、なすがままとなっている。


「カイト! リリ!」


 それに、いち早く反応したのは樹墨だった。

今までの落ち着いた雰囲気は無くなり、焦りの表情が現れた。


「これが、お前の余裕か?」


 メイドを自分の仲間と判断したアインは、樹墨に向き直り笑った。


「に、逃げろ、アルス……修正できない戦力差――抗魔術式……だ」


 粘性のある咳をしながら、メイドに掴まれた錬金術師が消え入るような声で言った。

 しかし、体に大分ダメージが行っているのか、ピクリともしない。


「カイト!」


 仲間に駆け寄ろうと一瞬、動くが、自分に向けられているアインの腕に魔法式が浮かび上がると、駆け寄るのを止めてアインを睨みつけるだけで終わった。


「おや、まだ動く力があるのですか?」


 少し驚いた表情で左手に持つ錬金術師を眺め、肘を使わず肩だけの力で持ち上げ、引き落とすと同時に、錬金術師へ膝蹴りを入れた。


「ガアッ!」


 突然の激痛に両手両足を震わし、錬金術師は体を縮めた。


「カイトッ!? あなた、今すぐに二人を離しなさい!」


 表情を全く変えずに、苦しむ錬金術師を見下ろしているメイドに向かい、叫ぶように言った。しかし、メイドは樹墨に目もくれず、俺へ視線を移した。


「この不届き者が、どこから来たのか聞き出しましょうか? 幸い、この屋敷の前に広がる地面は、硬くゴツゴツしているため、金やすりと同じ効果が得られるでしょう。なに、足の指が無くなる頃には、全て吐くでしょう」


 かなりグロイ拷問方法をこのメイドは、さも当たり前のように言った。

次から次へと、色々な事が起こる。

 これがエリィ・アルムクヴィストの言っていた、回る・・という現象なのだろうか?


「とりあえず、あんたが俺の仲間なら、その二人から手を離してくれ。幾らなんでも酷すぎる」

「それが、ご主人様の望みであれば」


 無表情から一転して、柔らかな笑みを浮かべたメイドは無造作に二人を地面に落した。


「どうする錬金術師。頼みの綱はなくなったぞ?」


 睨みつけるだけに留まっている樹墨に向かって、アインは笑みを浮かべながら言った。


「そんな事はどうでもいい。アイン、すぐに退くんだ」


 睨み合う二人を押しのけ、たった今メイドから手を離され地面に倒れる二人の錬金術師へ駆け寄った。


「亜樹、何をするの!?」

「助けるに決まってるだろ」

「何で!? こいつら錬金術師よ! 何で敵を助ける必要があるのよ?」

「敵云々の前に、こんな状態の奴を放っておける訳無いだろ」


 気絶しているのか地面に倒れピクリとも動かない。

だが、息をしているので死んでいるということはないだろう。


「お兄ちゃん」

蹴られた錬金術師の状態を調べていると、庭から美優が駆け寄ってきた。


「美優、大丈夫か?」

「うん。凄い声が聞こえたから、庭で待機してました」


 ピッ、と敬礼する美優。とりあえず無事で良かった。

ちなみに、その凄い声を出した張本人を見ると、少し顔を赤らめていた。


「怪我人を中に運ぶから手伝ってくれ」

「分かったよ」


 俺は蹴られた方の錬金術師を、美優はもう一人の錬金術師(女の子だった)を抱えようとした。


「いけません、ご主人様。この様な者に触れるなど危険です。私が運びますので」


 抱き上げようとしたところを突然、メイドに止められた。

このメイドに任せると危険そうな感じがするが、あの力なら確実に部屋に運べるだろうと任せることにした。


「……じゃ、じゃぁ、頼めるかな。あと、俺はご主人様じゃ無くて、三塚亜樹って名前だから」

ご主人様・・・・。これは、何処に運べばよろしいでしょうか?」

「無視ですか……」


 ここへ来たときと同様に、荷物を持つが如く無造作に掴みズルズルと二人の錬金術師を引きずって家の中へ入っていった。

一応、玄関で錬金術師の靴を脱がしていたが綺麗に揃える辺りメイドっぽい。


 それに押されるように、アインも家へ入っていった。

玄関に残された樹墨は、その様子をただ見ているだけだった。


「客間に運んでくれ。美優、案内頼んだ」


美優は軽く「オッケー」と指で○を作ると、メイドとアインの後を追った。

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