第12話 赤丸ほっぺ
あまりにも楽しみにし過ぎたのか、翌朝、俺が目覚めたのは朝の五時だった。いつもは七時に起きてメシを食うので、それより二時間ほど早い。とはいえ、とっくに教会の信者は動き出していて、パタパタ歩く音がするから二度寝も不可能。退屈を極めた俺は、小夜に役立ちそうな本を片っ端から読んでいく。そうしたらあっという間に七時を向かえ、七時半にはお付きの信者により朝メシが届けられた。
このお付きの信者は何故か俺と一緒にメシを食いたいらしく、何度も「食堂で召し上がりませんか?」と誘ってくる。だがお断り。どうせ食前の祈りとかがあるし、静かに食わないと怒られそうだし、ヘタすりゃ食後も祈るんじゃないだろうか。俺にとってメシはそこまで時間を掛ける代物では無い。よっぽど熱いモンじゃなければ五分で食い終わる。この辺は身体の本職が物騒だからだろう。いくら組織の長とはいえ、戦場でノロノロ食っていられない。
俺は朝メシを済ませたあと、また小夜に関しての本を熟読。そろそろ読み終わってしまうので新しいものをダウンロード購入。その時に気づいたのだが、こんな端末でもブラウジングくらいは出来るらしい。俺は二百年前の小夜が飽きもせずマウスをカチカチ、キーボードをカタカタやっていたのを思い出しつつ、あちこちのサイトを眺めた。俺が欲しい内容については玉石混合という感じだろうか。でもまぁ、それを言ってしまえば書籍だって同じだ。暇な時には、ネットも使って情報収集しようと決める。
その頃には丁度いい時間だったので、小夜の病院へ向かった。
今日は病室が開いており、中で看護師が作業をしていたのでお互い一応の挨拶。
小夜はカプセルの中で赤いクレヨンを持っており、画用紙に丸を描いている。この段階で俺は「ミミズじゃねぇのか! すげぇ!」という状態だ。
看護師がカプセルを開けると、小夜はむくりと起き上がって俺を指差した。
「あー」
「何だ?」
「あーあー」
小夜がしつこく俺を指し続ける。よくよく小夜の指先や視線を辿ってみると、どうやら俺の顔に注目しているようだ。
そこで俺は、やっと気づいた。
「お、お前まさか……俺の赤丸ほっぺを描いたってのか……!?」
「うー」
「派手な血腫で良かったと思ったの初めてだぜ!」
最初は色すら認識していなかったのに、ちょっと手間を掛けてやれば、こんなに進歩するものなのだ。俺はとても感動し、小夜の頭を撫でる。最初は優しく撫でていたのだが、だんだん力強くなり最終的にはわしゃわしゃと。
小夜は黙ってそれを受けていたけれど、ある一点を境にいきなり暴れ始めた。カプセルから落ちてしまいそうで慌てふためき抱きしめると、俺のほっぺが本気で噛まれる。かなり痛いが、それどころではない。
この物音を聞き、病室の隅でコンピュータらしきものを操作していた看護師が走ってきた。
「どうしましたか!?」
「あ、頭を撫でたら暴れたんだ!」
「カプセルを押さえてますから、とりあえず中に入れてください!」
「おうよ!」
俺が小夜をカプセルに突っ込むと、すぐに蓋が閉じられた。小夜はまだ暴れている。看護師はカプセルの脇にあるタッチパネルをピピッと操作してから、俺に止血用のガーゼを渡してきた。俺は頬を押さえながら小夜の様子を見ていたのだが、五分ほどで小夜が大人しくなり、十分も経てば眠ってしまう。
そのまま寝かせておけばいいのに、看護師はカプセルを開け、小夜の身体を拘束した。浮いた小夜の腹と両手首と両足首が、半透明の柔らかそうな材質で包まれる。これで小夜が目を覚ました時、いきなり暴れ出しても安全と言えば安全だ。しかし俺は何となく、あの小屋で首輪を嵌められていた小夜を思い出してしまい嫌な気分になる。
なので、看護師に頼んでみた。主な内容は「小夜が目覚めるまで様子を見ているから拘束を解いて欲しい」だが、『この患者の場合、こういった時には拘束』など決められており難しいと断られる。まぁ職務の忠実な遂行ご苦労さんというところだ。あとは担当の医者に直談判するしか無い。そう看護師に告げると「いま外来をやっているから、意見を言うついでに貴方も診て貰った方がいい」と勧められた。そういえば、頬の傷からは未だ出血している。
俺は担当医がどこの診察室に居るか判らないので受付へ向かった。そこで五番の診察室だと教えられ、頃合を見計らい扉を開いてやれと思ったが――何というか、混みまくった待合室から発せられる圧力で思い留まる。
(……まぁそうだよな、みんな具合が悪いところを待ってんだ。こりゃ担当医に会うまでは時間が掛かるな)
そう思っていた俺が、次の患者として看護師に呼ばれる。どうやら奇跡の存在である俺は高待遇らしく、待合室では少々気まずい思いをした。でもまぁ、教会の系列の病院だし、俺の格好も格好なので許してくれよという感じだ。
診察室では、まず俺のほっぺが治療された。ちょっと傷が深いと言われたので「縫うのかな」と思っていたら、ピピッと何かの器具を当てられて終わりだ。雰囲気としては、コンビニのレジで買い物をした時にスキャンするような物に近い。それで出血は止まってしまい傷口もくっ付き、でも歯形の痕だけ残っているから隠すという意味でテープが貼られた。
俺は自分の治療と同時に、暴れた小夜の様子を話してみる。あと、拘束を解いて欲しい旨も。しかし担当医は難しい表情を返した。
「あとで小夜さんを診察しますが、伺った様子だと――クスリの離脱症状での混乱、もしくは頭を撫でられてフラッシュバックが起こったんじゃないかと思いますね。肛門の傷が上がってきている段階でもありますし……そちらの刺激が偶然に重なった可能性も高いです」
「りだつしょうじょう? ふらっしゅばっく……?」
「ああ、前者がクスリから抜ける時に起こりやすい不愉快な症状、後者は簡単に言えば嫌な過去を思い出して取り乱す事です」
「なるほど……嫌な過去か」
俺は自分の手のひらを見つめる。デカくてゴツい手だ。こいつを使って撫で回すまで小夜は普通だったから、何となく後者の方が近いように思えた。
あのギタギタにぶっ壊した小屋では、小夜の頭を押さえつけてアレコレしたと容易に推測できる。現在の小夜が、その記憶を持ちながら俺に頭を強く撫でられ、偶然だとしても同時にケツへの刺激が走ったら、フラッシュバックとやらが起こっても仕方ない。病院で平和に過ごすようになった小夜からすれば、小屋での生活はさぞかし辛くて『嫌な過去』だ。
そういえば、過酷な生活を送っていた小夜は過去と現在の境目が曖昧に思える。ケツの手術後は、痛みから男を迎え入れているのと勘違いして、股を開きっ放しにしていた。
(あの状態よりは幾らかマシだが……それを乗り越えても、フラッシュバックとかいう新たな敵が来るのかよ。ったく、小夜が幸せになるまで、どんくらい掛かるんだ?)
俺はその辺も踏まえ、少々考える。
(……うーん、頭を撫でただけで問題が出るなら、小夜には気安く触らない方がいいかもしれねぇな。親愛の情は言葉や態度で伝えてやるか。あとは性を連想させるような刺激も厳禁だ……絵本なんかで「王子様がお姫様にキス」とかいう内容もありそうだが、本当に落ち着くまで排除しねぇと)
悪気こそ無いが、不始末を仕出かした自分の手をぎゅっと握り締める俺に対し、医者は続けた。
「クスリの緩和剤は引き続き使用します。あと小夜さんは、こうやって他害――他人に怪我をさせましたから、世話をする看護師の安全も考え、ある程度の拘束は必要でしょうね。この攻撃が自分に向かう事もあるんですよ。そうなったら一番危険です」
「はぁ? 何で自分が嫌な思いをしてるのに、自分を攻撃するんだよ?」
「……それだけ滅茶苦茶な心理状態に陥っていると考えてください。とにかく、私が後ほど小夜さんの様子を見て、必要ならば拘束は続けます。貴方は奇跡の存在と伺ってはいますが、医者の判断も信じてください」
担当医が俺に「信じろ」と視線を合わせてくる。これがヤブなら文句の一つも出るが、小夜はマシになって来ているので何も言えない。つまり拘束については俺が口出し可能な分野では無いのだ。
でも納得し切れない俺に気づいたのか、担当医は優しげな声で言った。
「拘束が長期間に及ぶ事は無いと思いますよ。症状が落ち着くまでの辛抱です」
「そ、そうなのか? じゃあ早く落ち着かせてくれ、でないと忘れちまうかも……!」
担当医が俺の言葉に興味を示したので、俺は小夜にクレヨンを握らせた事を話す。黒一色のミミズ絵だった所に花を見せたら使う色が増えたとか、俺の赤丸ほっぺを描くようにもなっている、などなど。この中に担当医が知らなかった情報もあるらしく、電子カルテの入力装置が忙しそうに動く。
「いやぁ、これは私も嬉しいですね。小夜さんの世界が、短い期間でどんどん広がっている」
「でもよぉ、しばらくクレヨンを持たせられねーみてぇだし……そしたら、全部やり直しになるんじゃねぇかなって……」
「……うーん、せっかくの発達なので惜しいですが、今後の方針は私が診察してから決めますので、本日の所はお引取りを。後ほど教会へ連絡を入れます」
まぁ確かに診なければ何も決められないだろう。担当医の意見は全て「診察してから」に帰結する。俺は早く小夜を診て欲しかったが、まだ外来中で他の患者が待っているし、小夜はすぅすぅ眠っており急ぐ状態でも無いから諦めた。俺は大人しく教会へ戻り、病院からの連絡を待つ事に決める。
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