父と子と精霊の御名によって~In nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti.Amen.~
けろけろ
第1話 奇跡の人
俺はある日突然、エクソシストになっていた。しかもカトリックの総本山、バチカン市国の教皇直属『異教徒殲滅部隊』とかいう物騒な組織の長として。更に言うなら俺は一回死んだらしく、身体を起こしたのは自分の葬儀の真っ最中。何か知らんが俺は白い花に埋まり、額と両手が油だらけ、あちこち水濡れ、口の中に渋めのワインと水気のないパンが入っている。
俺の周囲では偉そうなヤツらが、震えながらも手を合わせていた。
「おおお、これぞ奇跡! 主よ!」
「復活と共に現れた、その頬の紅は聖母の涙か!」
当時の俺は状況が把握できず、ただただ首を捻っていた訳だが。
後からこの辺の事情を知り、さすがの俺も驚きを隠せなかった。
(おかしいぜ? 俺は確か同棲中の恋人――小夜とのマンションで昼メシを食ってたはずじゃ……?)
どうしても納得行かないので、自分の記憶を丁寧に辿る。だが何も出てこない。
(情けねー! そのうえ、無宗教な俺が信者の立場かよ!)
悲しみに暮れる俺だったが、性別や強面な顔つき、体型には変わりがないようで、それだけは少し安心できた。俺の右頬には紅くて丸い血腫があり、ちょいとコンプレックスだったりするのだが、そんな物まで元のままだ。
(いや待て、俺はどう見てもアジア人だろ。それが教皇直属『異教徒殲滅部隊』って……ちょいと設定に無理を通し過ぎじゃねーの!?)
無理といえば、俺は男なのにシスターの恰好をさせられていた。身体のヤツがひっそりと女装趣味だったらしく、「最期くらいは……」と死ぬ前にシスターの服を着て、そのまま棺桶に入ったのだ。俺は身体のヤツに呪われているのか、教会が用意したシスター服以外を着る事が出来ない。無理やり着ても、バリーンと服が八つ裂きになる。
(そうか、もしかしたら本当に身体のヤツから呪われたのかもしれねぇな。天国だか地獄に行く前に、通り魔みたいな感じで)
でもまぁ、死ぬほどの状態だった身体は俺が中に入ったせいか元気だし、身体のヤツの記憶で異国の地でも言葉に困らずやっていける。一体今の俺は何語を喋っているんだろうか。それでも稀に遭遇する、何を言っているのか判らないヤツには、取り敢えず十字を切り「In nomine Patris, et Filii, et Spiritus Sancti.Amen.」で構わない。これだけは図書室みたいな場所で本を見て、言葉が通じない人間の為にそれらしい事を――みたいな感じで覚えた。ちなみに意味は『父と子と聖霊の御名によって。アーメン』、つまりは『父ちゃんとガキと霊の名前を言っとくからな、アーメン』だ。なぜ父ちゃんとガキと霊が偉そうなのかは不明だが『アーメン』ってのは掛け声みたいなモンだろう。これを言っておけば大抵済むから便利だ。
およその状況が判明したところで、俺は日本に戻りたくなった。当たり前だ。特に小夜が恋しい。携帯に掛けても『その番号は存在しません』としか返って来ないので、かなり心配でもある。
幸いにも俺は一度死んで蘇り、しかも頬に聖母の涙を持つ奇跡の存在。その俺が「夢に誰かが出てきて、日本に行けと言われた」なんて伝えれば、すぐ日本行きに必要な物が用意される。随行者を断るのには苦労したが「せめて空港までは奇跡のお姿を下々に見せないでください」とかいう緩い条件で手を打った。俺は着替えと大金が詰まったトランクを持ち、条件通りというか、俺を大げさに覆い隠すカーテンがある教会の車で出発。しかし空港に着いた俺は「へ?」という気分になる。
そこはちょっと、いや、かなり変わった空間だった。大きな船がひっくり返ったようなデザインの建物、あっちこっちに飛んでいる銀色のショッピングカートと人間、透明でぺったんこな癖に練り歩くロボットみたいな存在。
ぽけーっとそれらを見ていた俺にも銀色のカートが寄ってくる。幾つかの言語を喋っているようだが、その中の一つに俺でも判る内容があった。要は『パスポートをこの穴に入れろ』だ。
(パスポートか、確か財布に入れたと聞いたような……そういやぁ、普通は財布サイズじゃねぇと思うが)
俺は二つ折りの財布をぱかっと開く。すると、一番手前のカード入れにクレカみたいなパスポートが入っていた。俺はそれをカートに言われた通り差し込む。その途端、カートから軽快なメロディが流れた。
「初めまして、ご利用ありがとうございます! お荷物をどうぞ!」
「うお! カートが喋った!」
「言語確認! 私は案内ロボットです。お荷物を私のカゴへお入れください。両足はこちらのプレートへお願いします!」
「そうか、すげぇな……この空港……世の中は広いっつーか」
とりあえず俺はトランクをカゴに入れた。それから、持ち手部分の真下に伸びた板に乗ってみる。足型の模様がついているから、多分ココで間違いないはずだ。
「これでいいのか……?」
「はい、あとは搭乗チケットをお見せください!」
「……お前さん、どこに目が付いてんだ?」
「軽く私へ向けていただければ――かしこまりました!」
そう言うと、俺ごとカートが浮かんだ。俺も飛んでいる人間の仲間入りだ。
「……安全運転しろよ、落っこちたらタダじゃすまねぇ」
「お客様の周囲には、いわゆるバリアが張られております。大丈夫ですよ!」
「ホントか? ……って、マジだ! 透明なのに何かがあるぞ! 囲まれてらぁ!」
こんなモンは映画やマンガでしか存在しないと思っていたのに、カート風情が楽々こなすとは。
俺がひたすら驚いている間に移動は進み『4E搭乗口』と書かれた場所に着く。普通は、この手前でトランクを預けたり保安検査を受けたりする訳だが、カートはすいすいと進んだ。荷物はカートが運ぶとしても、身体検査くらいは受けるべきじゃなかろうか。テロリストでも紛れ込んだら、どうするつもりだ。
「おいおい、このまま飛行機に向かっていいのかよ。普通ホラ……色々と調べんだろ? 荷物とか身体とか」
「お客様のセキュリティに問題は無いとの事です!」
「……いつ調べた?」
「保安に抵触しますので、お答え出来ません!」
「俺が保安について気に掛けたら、保安に抵触するって……どういうこったよ」
俺はカートごと飛行機へ近づいていく。その飛行機だって俺が思っている物とは全然違った。まず翼がかなり小さいし、胴体もやけに細長い。不審に思って他の飛行機を見ていたら、無音で垂直に離陸を開始、次の瞬間ふいっと消える。かと思えば、別の飛行機が急に空中へ現れ、同じく垂直に着陸した。
(なんだこりゃ……?)
かなり戸惑いつつも俺は移動を続け、そのまま飛行機もどきの中へ。飛行機の内装はシンプル過ぎて、小窓も椅子も無い徹底振り。ただただカートを持った人間がずらずら並んでいるだけだ。なんだかスーパーのレジで会計を待っている気分になった。「この状態で離陸するとどうなるんだ?」と考えていたら、既に日本へ到着したとカートに教えられる。時間は計っていなかったが、どう見積もっても移動速度が尋常じゃない。
俺は脳内を「なんだこりゃ……?」にさせたまま、引き続きカートに案内された。日本の空港も本国と同じ雰囲気で、違いを挙げるなら周囲が何となくコンパクトに纏まっている程度か。
俺はぽけーっと『普通の空港』を思い起こしていたのだが、この間も移動は続いている。うっかりすれば、そのまま空港の外へ放り出されそうだったので、カートに声を掛けた。
「おい、ちょっと両替したいんだが」
ここでカートがしばらく黙り込む。故障かなと心配していたら、明るい声が返って来た。
「言語チェンジ完了!」
「なんだよそれ」
「では両替に参りましょう!」
カートが進路を変えてくれたので、俺はトランクの金を用意する。着いた先の両替所でも、相手は当然のようにロボット。ただし人間の女みたいな格好をしていた。
「おいロボットの姉ちゃん、これ日本円にしてくれねぇか?」
「かしこまりました。しかし私は人型なのでロボットでなく、アンドロイドです」
「あっそ……そりゃ悪かったな」
日本だからかアニメ風の女性型アンドロイドに「現金になさいますか? プリペイドカードになさいますか?」と聞かれたから現金を選ぶ。でも、差し出された札の色と柄が俺の記憶と違った。かなりカラフルだし、札に印刷してある人物が福沢諭吉じゃない。全体的に妙な雰囲気なので、偽札を掴まされた気持ちになる。
「なぁコレ本当に日本円か?」
「はい、間違いございません」
「うーむ……」
そこに次々と他の客が来た。みんな偽札もどきを受け取っても普通の表情だから、俺の方が納得せざるを得ないようだ。なので微妙な感情と共に、自分の財布へ金を仕舞った。
(あー、なんだこりゃも極まれりだな……)
いよいよおかしいと思った俺は、空港を出る前に情報収集しようと決意する。
「おいカート、次は売店に行け。新聞とかを売ってる場所だ」
「新聞……ニュースが得られる紙媒体ですね。少し違いますけれど似たようなものを入手できます!」
案内された売店には新聞が置かれていなかった。並べてあるのは十数本の黒い線と『このケーブルはニュースONEのデータです』みたいな案内だけだ。困っている俺に、売店のアニメ風アンドロイドが無料の端末を寄越した。こりゃあスマホによく似ている。
(で、これをどうすりゃいいんだ……?)
俺は注意深く他の人間を観察した。すると、皆が皆ケーブルを自分の端末に挿し込んでは抜き、去っていく。金を支払っている素振りも見せないから、どうやら無料のようだ。
なので俺はありがたくデータを入手して、傍らのソファに座った。勝手にマッサージを始めたソファを鬱陶しく思いつつ、すいすいと操作し画面を見つめる。そこで現在の日付けが目に入り、奇声を上げそうになった。
(せ、西暦2,223年!? マジかよ!?)
俺の知っている世界と、この世界が全然違う理由――ってのが判明した瞬間だ。
本来ならすぐ気づくべき事柄なんだろうが、教会での暮らし振りに違和感が無かったので、空港に来るまでは考えてもみなかった。まぁ、ああいう所は伝統を重んじ、変化を嫌うモンだろうから、昔風の暮らしを守っていたとしてもおかしくない。
それにしたって残念なのは、二百年という時間の経過だ。人間は長生きしても百年くらいで死ぬから、もう友人や親兄弟、そして――小夜にも会えない。
俺は一瞬だけしょんぼりしてしまったのだが、すぐに思い直した。
(よくよく考えりゃあ、医療も進歩してるだろうから小夜は生きてるかもしんねー!)
俺はまたもやカートに案内され、ポジティブな気分で空港から出る。コイツとの別れは空港を出てすぐの場所。パスポートを吐き出しながら「ご利用ありがとうございました!」の挨拶付きだった。いやいや、こちらこそ感謝の気分だ。多分コイツが居なかったら路頭に迷っている。
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