第105話 哀れな勇者へ

 ヒューメニア国内に地点記録魔法ウェイポイントが打ち込まれた……。


 それは、国内へ直接軍隊が送り込めることを意味する。


 突然敗北という事実を告げられたヒューメニア兵士達は動揺を隠せない様子だった。


 レオンハルトが空へと向かい聖剣の炎を放った。


「騙されるな! これはヤツらの策略さくりゃくだ! 今この場で引けば本当に我が国は蹂躙じゅうりんされるぞ!」


「そうだ! 敵の宣言なんて信用するな!」

「強化兵士はやられてもまだ我が軍の方が有利なのは変わらない!」


 兵士達が口々に叫び、攻撃を再開する。


「残念だったな。その程度の策略で我が軍の指揮は落ちんぞ」


 レオンハルトが聖剣を構えた時。再び上空の使い魔達から声が聞こえた。



 それは若い女性の声・・・・・・。兵士達は皆耳を疑った。



それは彼らにとって馴染みある声だったから。



『ヒューメニアの兵士達よ。私の声を聞きなさい』



「マリア様の……声?」

「なぜマリア様が!?」


 その場の兵士達は皆混乱した。それは声だけでなく口調や雰囲気に至るまで……全てが王女マリアそのものだった。


『先程魔王軍の者が伝えた通り、我が国へ地点記録魔法が打ち込まれました。これは紛れも無い事実。家族や友のことを想うのであれば、戦闘を今すぐ止めるのです。私が決して、皆を死なせは致しませんから……』


「ど、どうする……?」

「マリア様がこうおっしゃってるなら事実なんじゃ……?」

「い、いや! マリア様はハーピオンと同盟を組もうとしたんだぞ! 俺達を裏切って!!」

「で、でもそれってこの時の為じゃ……」



『あーあー1つ付け加えておくが、マリア王女は自身の身をかえりみみず妾達へ交渉を持ち掛けた。彼女がいなければ王国は既に火の海じゃぞ!」


 兵士達にざわめきが起こる。


 その光景を見てヴィダルは思う。


 一般の兵士達にとって崇高な理念などは持ち合わせていない。あるのは家族や仲間への親愛。本来であればそれを守る為に戦う。だが、この状況は彼らの家族が人質に取られたも同じ。その状況で戦時の士気向上は効力を発揮しない……と。


「聞くな! これは連中がマリアを語っているのだ! ヤツらの策略にハマってはいけない! 私を見ろ! 私を信じろ! 勇者レオンハルトに付けば必ずこの戦争に勝利することができる!」


『レオンハルトを信用してはなりません。奴は他種族の者をさらい人体改造を施しました。そんなことをする男が率いる国に未来はありますか? そんな男が貴方達の家族を犠牲にしないと言えますか?』 


 兵士達は皆一様に困惑の顔をする。皆が敬愛する王女マリアの言葉。それがレオンハルトを信じるなという。


 それも、彼女の言う「人体改造」という言葉。


それは強化兵士達の活躍を目の前にした一般兵士達にとって、真実と同義だった。


「貴様ら! 戦場で命を守られておきながら私を裏切るのか!?」



 誰1人レオンハルトの声に応えない。



 その沈黙が、兵士達の答えを表していた。


「ぐ……っ……う……!?」


 レオンハルトが何も言えなくなる。強化兵士の大半を失い、他の兵達は彼を見放した。



 1人。



 彼はこの広い戦場でたった1人となった。



 これが……デモニカの言った言葉の意味。この数刻で、戦況は一変した。それは勇者レオンハルトが犯した罪ゆえの結末。


 「王女マリア」というヒューメニア人に信頼される人物が口にして初めて意味を成す真実。



「レオンハルト。貴様に1つだけ希望をやろう」



 魔王デモニカが両手を広げ、勇者へと語りかける。


「一騎打ちだ。我らで真の殺し合いをしよう。貴様が我を殺せば良い」


「一騎打ち……だと?」


 レオンハルトが天を仰ぐ。


「ふざけやがって……! 過去だけではなくこの時代においても私を愚弄する気かぁ!!」


 勇者レオンハルトが憎悪の籠った瞳で聖剣を構える。


「貴様に真実を告げてやろう。我ら女神エスタであった時……貴様に王位を譲ろうと考えていた」


「なんだと……? 今更そんな嘘を!!」


「だが」


 デモニカがレオンハルトの言葉を遮る。そして、哀れみの表情で勇者を見据えた。



「私の見込み違いだったようだ。貴様のような哀れな男は王の器では、ない」



「……っ!?」


 せきを切ったかのようにレオンハルトがデモニカへと走り出す。


「仕留めてやるぞデモニカぁ!!」


「……こちらのセリフだ。貴様を地獄へと叩き込んでやろう」


 デモニカが両手を交差させ、再び竜巻を発生させた。


渦巻く双獄炎ヴォルテクス・インフェルノ


 放たれた二対の炎の竜巻がレオンハルトを飲みこうと迫る。


「無駄だぁ!」


 聖剣フレイブランドが眩く光り、炎の竜巻を吸収する。



 レオンハルトがデモニカの懐へと飛び込みその剣から獄炎の技を放つ。


獄炎斬ごくえんざん


「……ちっ」


 彼女が黒い翼を使い、剣の軌道を逸らす。しかし獄炎がその翼をへと灯り、黒い翼が焼き尽くされていく。


 デモニカが回転の力を加え強烈な蹴りを繰り出す。フレイブランドを盾に攻撃を防ぐレオンハルト。そのまま彼は後方へと吹き飛ばされていく。


 空中で身を翻した勇者はフワリと大地へ着地した。


「やはりな! 魔王様自身に炎を無力化する能力は無いようだ!」


「……」


 デモニカが自らの炎で翼を燃やし尽くす。灰となり崩れ去る翼。数秒後、新たな漆黒の翼が彼女の背中に生える。


「ほう。そのようなこともできるのか」


「我の火は再生を司る。燃やし尽くそうとしても無駄だ」


「ならば近接斬撃で仕留めてやろう!」


 レオンハルトが再び突撃する。


地獄炎フラム・インフェルノ


 魔王の青い炎を放つ。しかし勇者は一切の迷いなく炎へと向かって行く。


「何度も同じことを! フレイブランド!!」


 再び光輝くフレイブランドが魔王の炎を食らい尽くした。


「死ねぇ!!」


 魔王が勇者の斬撃を紙一重で避ける。聖剣の放つ炎のオーラが彼女の長い髪へと焦がす。


 彼女がその手に炎を灯す。


「させるか!!」


 レオンハルトがデモニカの腹部を蹴り飛ばした。


「くっ」


「古傷が痛むか!? 貴様は裏切られたと思っているだろうが、私の受けた屈辱に比べれば遥かにマシだろうが!!」


「……情け無い男だ。己の価値を見誤り他責の念に囚われるとは」


「黙れ!!」


 レオンハルトがデモニカの腹部に深々とフレイブランドを突き刺した。


「ぐ……う……」


「はははは!! これで貴様の死は確定だな! 私の勝ちだ!!」


 レオンハルトが勝利を宣言した時、デモニカは不敵に笑った。


「ふふふふふふふ。この時を……この時を数百年待ち侘びたぞ」


「……? 何を言っている?」



「貴様の苦しむ顔を見ながら殺せる所をな!!」



 魔王の放つ殺気にレオンハルトは距離を置こうとした。


 しかし……。


「な……んだと!? 抜けん!?」


 魔王を貫いたフレイブランドはその腹部からピクリとも動かなかった。


「残念だったな。今の我はあの時とは違う」


 レオンハルトが聖剣へ意識を奪われた瞬間。デモニカが、その首筋に喰らい付いた。


「がああああああああああっ!?」


 もがき苦しむレオンハルトの首を掴み。デモニカはその緋色の瞳で彼の目を覗き込んだ。


「勘違いするなよ。こんなもので簡単に殺す訳が無いだろう」


 魔王が鮮血に染まった口元を拭い、その指先に火を灯す。


「これが最後の火だ。レオンハルトよ。貴様の力で止められるか?」


「無駄……だ……私には……フレイブランドが……ある」


「それはどうかな?」


 デモニカが小さな火を勇者へと与える。


 空中をただよう弱々しい火。それが、ゆっくりと空中を漂い、勇者へと向かう。


「フ……レイブランド……火を……」


 しかし。勇者の問いかけにフレイブランドは答えない。


「な……なぜ、だ……?」


「我の炎も過去より強くなっておるからな。聖剣様も腹が満たされているのであろう」


「バカな! フレイブランド! その火を喰え!」


「無駄だ。我が意味も無く魔法を打ち続けたと思ったか」


 レオンハルトが逃れようともがき、デモニカの顔を殴り付ける。しかしその攻撃は一切ダメージを与えなかった。


 勇者の表情が変わる。先程まで僅かに残っていた戦意が消えようとしていた。


 それとは対照的に、勇者の体へと火が灯る。


「く、くそ!」


「聖剣の力を使えぬただただの人間である貴様には消せん」


 徐々に小さな火が燃え上がり、レオンハルトを燃やし尽くす炎と変わる。


「ぐああ"ああああああああああっ!!」


「どうだ? 貴様の得意な炎の味は?」



「ぐっう"ううううはははははははは!!」



 炎に包まれながら、レオンハルトが狂ったように笑い出した。


「意味も無く……と言ったな? 私も同じだ!! 魔素をただ強化兵士を作る為だけに使ったと思うか!?」


 レオンハルトが片手を上げ、呪文を唱える。



 次の瞬間。



 屍となった強化兵士達から黒い霧……魔神竜の魔素が噴き上がり、レオンハルトへと集まって行く。



「ははは、はははははははははは!! 私は! 私はぁ!! 人を超えるぞ!!」



「……そこまで堕ちたか」


 デモニカが距離感を取る。



 レオンハルトだったものは膨大に膨れ上がり、黒い影となっていった。

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