第87話 ゴブリンの群れ ーヴィダルー

 明け方に乗り込んだ馬車は、恐ろしいほど順調にイーヴェの森近隣までやって来た。


「間も無く最初の襲撃地点だ。周囲に警戒しろ」


 荷台から顔を出し馬車夫へと命令する。アンデッドが擬態した馬車夫はゆっくり頷くと再び馬を走らせた。


「ヴィダル様ぁ? なんだかこの森……ぶ、不気味じゃないですかぁ?」


「ザビーネはイーヴェの森は初めてか?」


「名前は聞いたことはありますけどぉ……来たのは初めてですぅ」


「イーヴェの森はな。捨てられた者達の怨念が集まっていると言われている」


「ヒッ!? お、怨念……?」


「もちろんただの言い伝えだ。この森には毒素の強い植物が自生している。知らずに食した者の死体が転がっているんだ。そしてこの音を聞いてみろ」


 耳をすますと、どこからともなく低いが聞こえて来る。


「ヒャアアアア!? な、なんですかこの声!?」


 ザビーネが慌てて貨物の隙間へと潜り込む。


「この声がこの森最大の特徴なんだ。ただ原理は簡単。この森の岩には大量の洞穴がある。そこに風が達ることで唸り声のようになるんだ」


「ほ、洞穴……ビックリさせないで下さいよぉ〜」


「悪かった。そう泣くな」


 ザビーネが潤んだ両眼を何度も拭う。


「だがな。この洞穴に長い年月が加わればどうなるか……広大な地下空間となっている可能性がある。それがゴブリン達の棲家すみかだと考えている」


「え! それじゃあフェンリルの人達を読んで攻め込めばいいじゃないですかぁ」


「いや、あくまで地下空間と言っているだけだ。具体的な場所はこれから確かめる」


「確かめる? どうやってですかぁ?」


「ゴブリンが来れば分かるさ」


「は、はい……」



 ……。



 怨念のような声の中、馬車が進む。原理が分かってから恐れがマシになったのか、ザビーネはすっかり大人しくなり、輸送貨物をチラチラと見ていた。


「気になるのか?」


「すごく立派な品ですねぇ。子供の服まで高そうですぅ」


「交易国家グレンボロウの品だからな。世界中の高級品が集まるさ」


「……こんな服着るのってどんな子なんですかねぇ」


「どういうことだ?」


「ザビーネは孤児だったからこういうのとは無縁だったので分かんないですねぇ」


 彼女の怯えの表情が消える。過去を思い出すような憂いを帯びた顔へと。


「孤児か……どうやってハーピオンの序列を登ったんだ?」


「う、うぅ……」


 言い淀むようにザビーネが膝を抱える。


「言ってみろ。怒りはしない」


「え、えぇと……色んな人を殺しました……人も……ハーピーの仲間も……そうしないと孤児のザビーネは序列を上がれなかったから。どうしても女王に、なりたかったから……」


 ハーピオンは実力主義の国。しかしそれは建前……実際は家柄や生まれの良さが影響するということか。


「……女王になった時、どんな気分だった?」


「ふぇ? ど、どうでしょう……達成感みたいな物もありましたし、自分は特別なんだって……女王なんだから……もう何も怖くないってそんな……感じ」


 彼女が遠くを見るように呟く。


 持たざる者だったからこそ王位を欲したか。そして、心の内にあった幼き頃……過去への恐れ。


 精神の書き換えがこれほどまでに馴染んだのは彼女の本質を引き出したからかもな。


 ……。


 彼女自身がハーピオンの歪みだったという訳か。


「ザビーネ。今から改めてお前の役割を伝えよう」


「つ、罪を償うことですよねぇ?」


「そうだが、少し違う。お前は強者を殺す為に我らの血族となった」


「きょ、強者……?」


「ああ。なら勝てなかった相手だ」


「む、無理ですよぉ……」


「心配するな。その為に今からお前の中の鎖へを与える」


 ザビーネの両眼へ擬態魔法ディスガイズをかけ、その眼を血族になる以前のものへと変化させる。


「命令……?」


「俺の目を見ろ」


 怯える瞳を見つめ、彼女の中に繋がれた魔法の鎖へと命令を下す。



 与える命令は——。



◇◇◇


 馬車がイーヴェの森を離れようとした時、ヤツらの声が聞こえた。


「ギャギャッ!! ものを奪うギャ! 女がいたら連れてくギャ!!」


 大量のゴブリン達が馬車へと飛びかかり、粗末な武器で荷台の布を切り裂いていく。


 このタイミング。やはり棲家はイーヴェの森で間違い無い。


「来ましたよぉ〜!? 早くヴィダル様の魔法でなんとかして下さいよぉ!!」


「この場の者を倒しても棲家は分からない。ここは任せたぞザビーネ」


 擬態魔法ディスガイズの魔法を使い、風景へと溶け込む。


「ちょっと!? ヴィダル様ぁ〜!?」


「お前も早く馬車を出ろ。この狭さでは数に押されるぞ」


「えぇっ!?」



 馬車の外へと飛び出し、ゴブリン達の隙間を走り抜ける。


 ゴブリン達の背後へと周り込んだ頃、馬車からザビーネが飛び出した。



「た、助けてぇぇぇ!!」


「女がいたギャ! 捕まえるギャ!」

「ゴブリン・セイジ様の所へ連れてくギャ」

「ご褒美に分け前貰うギャ!」


「来ないで来ないでぇ!!」


 ザビーネが聖大剣グラムをに手をかけ、斬撃を放つ。


「ギッ!?」


 3体のゴブリンが斬撃の餌食となり、血飛沫が当たりへと飛び散った。


「うわわわわわっ!!」


 ザビーネが放った連続斬撃がさらに敵を仕留めていく。周囲を囲んでいたゴブリン達はその姿にたじろいでいた。


 がむしゃらのように見えて太刀筋はしっかりしている。この状態のザビーネも中々使えるな。



「こ、この女弱そうなのに強いギャ!」

「こういう時は数で押すギャ!」

「ゴブリン・セイジ様のお言葉だギャ!!」

「一旦離れるギャ!」



 十数体の仲間を殺されたゴブリン達が陣形のようなものをとり、ザビーネを取り囲む。


「え? え? え? 何これぇ!?」


「突撃だギャ!!」


 面食らったザビーネへ無数のゴブリン達が飛びかかっていく。


 ゴブリン・セイジの名を言う者もいた……やはり生まれているな。


「嫌ぁ!! 触らないで下さいぃ!」


「うるさいギャ!」

「この数には勝てないギャ!」

「ギャギャギャ〜良い女だギャ!」

「連れてくギャ!!」


 ザビーネがゴブリン達に持ち上げられ、何処かへと連れて行かれる。


 これで、ヤツらの居場所が分かる。ゴブリン・セイジが生まれた群れにとってボスの命令は絶対だ。今すぐ酷い目に遭うことは無いだろう。


 このままヤツらの棲家でザビーネの力を——。


「ヴィ、ヴィダル様ぁ!? 助けて!!」


 彼女が助けを求める。どこにいるか分からない俺を探すように辺りを見回しながら。それは、幼子が周囲の者へと必死に訴えているように見えた。


 ……。


 ザビーネはホークウッド村の者を虐殺したんだぞ? これは罰の側面もある。彼女はこれから死ぬまで俺達に使われる運命。気にすることなど……。



 『女王なんだから……もう何も怖くないって……』



 先ほどのザビーネの言葉が脳裏をよぎる。



 ……ちっ。




 万が一、ザビーネが負けるようなことがあれば助けてやるか。

 


 


 

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