異世界A‘ 〜暗黒異世界に転移したけど帰りたくないので能力バトルする〜

Meg

第1話 ライオンの少年

「神様、どうか私をA世界に転生させてください」


 廃屋はいおくの暗い映画館。ドアに引っかき傷と血の跡。

 十字架を首にかけた少女は、息をあらくし、ひざまずいて祈る。指の爪は半分はがれていた。

 ドアは結局、びくともしなかった。

 この空間にいるせいで、全身の皮膚が赤くただれ、じょじょに溶けはじめている。

 スクリーンには、白い空間の奥に立った、人の映像が。パシャ、パシャ、パシャとフィルムが回るたび、人はだんだん拡大されていく。


『どこ行くの? ママから離れないで』


 音声が流れた。

 パシャっとスクリーンいっぱいに、女性の笑っている口元の画像が映る。

 白い背景が深紅に染まった。


「終わった」


 少女は十字架をにぎりしめ、ぎゅっと目をつむる。

 スクリーンがにわかに膨らんだ。膨張しきったとき、向こう側からいきおいよく突き破られる。

 鮮血が飛び散った。


「心臓ゲーーーッット!!!!」


 血をびっしょり浴びた異形が、じゅわじゅわ身体からだを溶かしながら飛びでた。

 頭はライオン。たてがみの肩から下は人間の少年の身体からだ。指からはするどい爪が生え、心臓のような脈うつ臓器の塊を持っている。

 ギャーっという悲鳴の音声が耳をつんざいた。血まみれのスクリーンのなかの女性の口元が、痛みを訴えるかのようにゆがんでいる。

 少女は気絶した。


 

 劇場のドアが、外からぶち破られる。


「やっと開いた」


 十字架を首からぶら下げた、背の高い眼鏡の少女が、水銀に変質した足でドアをけやぶったのだ。ポニーテールがゆれている。


「てつめ先輩。俺やりました!」


 心臓を持つライオンの少年がほこらしげに笑う。

 彼女は倒れている少女を見、血相を変えた。


 

 

 パトカーの集まった劇場周辺を、警察が封鎖する。

 警官は手から光を出して写真を撮ったり、身体からだを綿にして清掃をしている。


「おーいこっち。光精こうせい族着て」

「こっちは綿精めんせい族」


 映画館のオーナーが、警官にしぼられている。


「リフォームだけ? 以前の建物でしょ? なんでカースド検査して建て替えなかったの?」

「すみません。こんなことになるなんて思ってなくて……」

「カースドが出るわけだ。高い罰金払うことになるよ」


 青ざめておびえた人々が、早足に通り過ぎた。


「神よ。お助けを」


 誰も彼も、首にかけた十字架に祈る。

 街中にも、まるで標識のように十字架が建っていた。

 世界は世界とちがって、約8割が特殊な精霊せいれいの力を生まれつき持ち、約9割がキリスト教、らしい。

 神なんていないのに。

 頭がライオンの少年、獅子谷ししがや無敵むてきは、冷めた目で祈る人々を見る。その間、胸の大きな女性に注射をされた。


「うん。もう大丈夫。それにしても獣精じゅうせい族は身体が強いね」


 溶けつつある身体がいえる。ライオンの顔をひっぱがし、人間の頭を出せば、全身の皮膚も元にもどった。


「終わったー」


 硬すぎる一撃が頭蓋骨に落ちた。


「って」


 げんこつをくらわせたのは、手をなまりに変えた、背の高い眼鏡の少女。


獅子谷ししがや! カースド駆除士くじょしが一般人に危害を加えるな!」


 しかられ、ずぅんと気分が落ちこむ。力がはいらなくなり、ふらふらと倒れた。

 横から女性が支える。


無敵むてきくん大丈夫?」

「もうだめです……」


 無気力な無敵は、優しくたずねたその人の胸に、デレデレしながら顔をすりつける。やわらかくていいにおい。天国だ。

 背の高い少女はますます怒り、ひきはがしてぶんなぐろうとした。


「スケベ野郎!」

「てつめちゃん落ち着いて。無敵くんはわざとやったんじゃないよ」


 女性がおっとりと言うので、てつめは鉛の腕をもとにもどし、おろした。


「でもかおる社長、こいつは一般人を……」


 横から毛布をはおった少女が口を出す。


「私、その人に助けられたんです。カースドの心臓の血清けっせいで体調ももどったし」


 劇場にいた子だ。


「ほら。てつめちゃんは金精きんせい族で身体の形変えられるんだから、頭もやわらかくね」


 てつめはイラついたようにそっぽを向いた。

 胸の大きな女性は、笑顔で無敵の頭をなでる。


「無敵くんは今日もがんばってくれたね。すごいよ。偉いよ」


 少女も言う。


「ありがとう。あなたのおかげで助かった。一緒にいたママとパパは、死んじゃったけど……」


 女性二人に味方され、無敵の気持ちは少しずつやわらいでいった。

 身体もシャキッとする。


「へへ。やっぱこっちの世界のがいいや」

「こっちの世界?」

「……いや。なんでも」

(言っても信じてもらえないだろうからなあ。俺が転移者だってこと)


 


 

 転移前の世界は最悪だった。

 家では体格のいい父親が、いつも力まかせになぐるのだ。


『このできそこないが!』


 母親は無敵に無関心。代わりに仏壇ぶつだんの十字架を一心に見つめ、祈っていた。

 学校に行けばいじめられた。不良になぐられたり、けられたり。

 なにをやってもうまくいかない。なにをやってもどうせダメだ。

 なにに対しても、やる気がわかなくなった。

 楽しいと思えることがひとつもない。

 だけどあの日……。


 


 学校の教室中には、大体生徒の描いた図工の絵だの、筆で書いた習字だのがはられている。

 無敵の教室もそうだった。

 そのすべてが授業中、突然ぐにゃりと姿を変えた。

 朱色の『死』の文字に。

 教室中がパニックになるなか、赤い『死』の文字は一つの紙の上に集合し、形を変え、色を変え、コウモリの羽根を生やした黒いヤギの形になり、紙からとびでた。

 黒いヤギは逃げまどう生徒や先生に、つぎつぎ牙をつきたてる。

 無敵が壁ぎわでぼうぜんとしていると、となりに闇の底のような、暗い暗い穴が空いていた。

 あの化け物が飛びだしてきた位置。

 もしかして、ここに入ればあの化け物の世界に行けるのではないか。

 自分をなぐる父親や、いじめてくる同級生から、逃げられるのではないか。

 怖かった。が、生まれて初めて勇気を出した。

 無敵はその壁の穴に飛びこんだ。





 走る電車の中を、テラテラと黒いタイヤが、いくつも猛スピードで走ってくる。

 ホイールはギョロリとした目玉。回転しながらケラケラ笑っている。


「気持ち悪い」


 手足を鉄の刃に変えたてつめは、おそってくるそれらをかたっぱしからまっぷたつにする。

 頭をライオンに変えた無敵も、爪でタイヤのゴムをかっさばく。

 そのたびに黒いタイヤは鮮血をまき散らした。血が皮膚にかかると、じゅわりと溶ける。

 てつめも無敵も、タイヤの血を浴びないように戦っていた。あの血を浴びる危険だが……。


「はは。ははは」


 無敵は無性に楽しい。

 この世界では、初めから無敵に力が備わっていた。その力により、化け物と戦えている。

 こんなこと、転移前の世界じゃありえなかった。

 戦いながらてつめが舌打ちする。


「バカにしてるのか? おまえ」

(いけね)

「先輩、なんでカースドは古い建物に現れるんですか?」


 話題を変えた。


「訓練所で講義あったろ」

「すいません、座学は全部ぼーっとしてました」


 舌打ちされた。


「カースドは古い建物に好んで潜伏しているんだよ。姿を現さず、まるでウィルスのようにな」

「なんで連中は生まれてくるんでしょうか?」

「詳しいことはわかってない。一説には昭和時代に、人の中の精霊の血を工業製品に使用して、後始末をせず汚染物質を環境中に垂れ流したのが原因だとも……」

「よくわかんねえっす」

「ほんっとおまえは……」


 とりわけ早く走るタイヤが、てつめに肉薄する。てつめは反射的にタイヤを切り裂いた。

 パックリ割れた目玉のホイールは、ひときわケラケラ笑う。してやったりとでも言うように。

 バケツをひっくり返したような鮮血が、てつめにかかりそうになる。

 とっさに、無敵はライオンのあしで跳び、てつめを抱きしめてかばった。

 無敵は背中に大量の血をかぶる。じゅわじゅわと皮膚が溶けた。

 痛みは唇を噛んでこらえる。


「おまえ……」

「先輩、早く心臓取って。多分今のやつが親玉……」


 てつめは急いで無敵をおろし、切り裂いたタイヤから心臓を引きずりだした。

 心臓から作った血清でなら、カースドの血の毒を解毒できる。

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