流れ星を探して -アリサと不思議な国の住民達-

沢丸 和希

1.どこか遠くへ行きたい



 半年前。お爺ちゃんが亡くなった。


 三か月前。お婆ちゃんが認知症と診断された。


 十日前。お父さんが事故で入院した。



 この半年で家の中は大きく変わり、お母さんは介護と仕事で、毎日忙しそうにしている。だからなのか、最近笑顔が少ない。会話も減った。


 別に、多少部屋が汚れていたって、ご飯が買ったお惣菜だって、私は構わないのに。何でもかんでもお母さんにやらせるつもりもないのに。


 でも、私が家事やお婆ちゃんのお世話を手伝ったり、お父さんの荷物を病院まで届けようとする度、

「こっちは大丈夫だから、亜里沙ありさは自分の事をやりなさい」

 って言う。




「私ってそんなに頼りないかなぁ」


 飼い猫のパールに愚痴れば、なぁん、と返事が返ってきた。揺れた尻尾が、ベッドに転がる私の胸元を叩く。

 込み上げたモヤモヤを息ごと吐き、私は仰向けのまま、窓の外を眺めた。


 子供に負担を掛けたくないっていう気持ちは、何となく分かる。だけど、流石に頑張りすぎじゃないかな。このままだとお母さんが倒れちゃうよ。そうなったら、私は認知症のお婆ちゃんと二人きりになってしまう。そんな想像をするだけで、胸が重くなった。


 お婆ちゃんが同じ話を繰り返すのは、仕方ない事だと分かっている。半面、面倒臭く思う時も、たまにあった。そんな自分に幻滅する。

 沢山可愛がって貰ったのに。今も大切にしてくれるし、大好きなのに。



「性格悪いな、私」


 だから今のクラスに馴染めないし、友達も出来ないんだ。



 先週、中学校の入学式があった。残念ながら、小学校で仲の良かった子達とは、同じクラスになれなかった。

 寂しいけど、仕方ない。それならそれで新しい友達作りを頑張ろう。そう思っていた。けど、どうにも上手くいかない。


 気付けば入学から一週間が経ち、友達は未だゼロ。クラスメート同士が仲良くなっていく中、私だけが取り残される。



 半年前は、毎日楽しかったのに。



 今は、家も学校も、あんまり好きじゃない。




「はー……どこかに行っちゃいたいなー」



 どこか遠くへ、誰も知らない場所に行けたら。一体どれだけ爽快だろう。


 悩みが一切なく、思うがままに過ごせたら。一体どれだけ安らかだろう。


 家からも、学校からも解放されたら。一体どれだけ幸せだろう。



「まぁ、無理だけど」


 はは、と溢れた笑いは、やがて溜め息に変わる。寝返りを打ち、あり得ない妄想と虚しさから、目を背けた。



 その時。



 視界の端を、光の粒が走り抜ける。



 咄嗟に体を起こし、ベッドの上を這った。窓の縁へ腕を乗せ、じっと夜空を凝視する。

 数拍すると、輝く線が空へ引かれ、すぐさま消えていった。




 流れ星だ。




 私は、枕元に置いたスマホを引き寄せた。入院中のお父さんへ、メッセージを送る。


『今、流れ星が落ちたよ。今年は結構多いのかも。そっちは見えた?』


 一分もしない内に、返信が届いた。


『見えた見えた。案外はっきり見えるものなんだね。流星群だからかな? 凄く綺麗だ。お爺ちゃんと亜里沙が毎年欠かさず見ていた気持ちが分かったよ』


 その言葉に、私の頬は自ずと緩んだ。指を動かし、ふんぞり返る猫のスタンプを送っておく。



 去年までは、お爺ちゃんと一緒に星を眺めていた。その日だけは夜更かししても怒られないし、大声ではしゃいでも見逃された。お菓子だって内緒で食べられる。


 今年もまた、一緒に見られると思っていたんだけどな。


 そう心の中で呟いたら、スマホがメッセージの受信を告げる。



『亜里沙はもう、願い事を三回唱えた?』

『まだ。こういうのはタイミングが大事だから』

『そう言って、結局去年は寝落ちたんじゃなかったっけ?』

『今年は大丈夫。しっかりお昼寝したので』


 そうは送ったものの、本当にやるつもりはなかった。これまでは、お爺ちゃんがいたからふざけて唱えたりしていたけど、今は一人だし。


 そもそも、私の願いは、誰にも叶えられないから。



 半年前の全てが楽しかった頃に戻して下さい、なんて、例え神様でも無理でしょう?



『無事三回言えるよう、頑張ってね』

『はーい』


 スマホを置き、空へ視線を戻す。パールを撫でながら、時折現れる流れ星を、ぼんやりと眺めた。



「……ねぇ、パール」


 天を仰いだまま、口を動かす。



「どこか遠くへ行きたいよ」


 また一つ、流れ星が輝いた。



「誰もいない所に行きたい」


 続けてもう一つ落ちていく。



「夢でいいから、連れていって」



 夢の中だけでも、楽しく過ごさせてよ。



 三つ目を視界に納めつつ、私は後ろへと倒れた。ベッドに仰向けとなり、毛布を手繰り寄せる。

 そうして寝落ちるまで、流星群を眺め続けた。











 なんか、眩しい。

 瞼越しの光の強さに、思わず眉を顰める。


 多分、あれだ。昨日寝落ちたから、カーテンが開いたままなんだ。

 己の失態に唸りながら、私は片方の瞼だけ、薄っすらと持ち上げた。



「ん?」



 ……緑が、沢山見えるんですけど。

 しかも、めっちゃ草臭い。


 我が家って、こんなに自然溢れる場所だったっけ?



「……えっ?」


 あまりの違和感に、一瞬で頭が覚醒した。慌てて両目を開き、飛び起きる。



 途端、視界に大量の草木が入ってきた。



 紛う事なき、森。



 緑と茶色と少々の空色で構成された空間に、私は固まる。

 何で私、森にいるの? 間違いなく自分の部屋にいたよね? ならこれは夢? でも、夢にしては妙にリアルだ。日の温かさも鳥の声も、風の肌触りだって本物としか思えない。


 疑問と混乱で声も出せずに呆けていると、不意に頭上から、枝の折れる音が聞こえた。



 直後。目の前に、紫とピンクが落ちてくる。



「ごめんなさいごめんなさいっ! アナタ達の巣を荒らすつもりはなかったんですよっ! ただ、木の実や果物を取りたかっただけでしてっ!」

「ミュッ、ミュッ!」


 落ちてきたのは、紫のシルクハットを被った糸目のお兄さんと、ピンク色の巨大な毛玉だった。

 正確には、毛玉にしか見えない二メートル位の、生き物、だと思う。二足歩行だし、鳴き声も上げているし。



「誤解なんですっ! 誤解なんですから、どうか怒らないで下さうわぁぁぁーっ!」

「ミュウゥゥゥーッ!」


 彼らは、勢い良く走り出した。その後ろを、インコのようにカラフルなフラミング達が、鋭い目つきで追い掛けていく。



 え、何、あれ。


 賑やかに遠ざかる一団を、視線だけで見送った。ただでさえよく分からない状況なのに、紫色のお兄さんが降ってきたり、正体不明のピンク毛玉が現れたり、色鮮やかすぎるフラミングが駆け抜けていったりされたら、もう私一人では処理出来ない。頭が破裂しそう。



「ふー、危なかったですねぇ」

「ミュウー」



 ふと、後ろから物音が上がる。


 反射的に振り返れば、さっきのお兄さんとピンクの毛玉が、木の陰からひょっこり顔を覗かせていた。


 な、何でここにいるの? 数秒前に、森の奥へ消えていった筈なのに。これ以上変な状況を加えないで欲しい。



「おや?」


 紫のシルクハットを被り直したお兄さんが、糸のように細い目を瞬かせる。


「こいつは珍しい。迷い人じゃありませんか」

「ミュー」


 ピンクのどデカい毛玉と共に、私を覗き込むように近寄ってきた。思わずのけ反ると、お兄さんは笑い声を上げる。


「驚かせちゃいましたかね。すいません。別に怪しい者じゃないんですよ?」


 お兄さんは、紫のベストやスラックスを整えてから、鞄の紐を肩に掛け直す。



「アタシの名前は、マッドって言うんです。しがない帽子屋をやってます。そしてこの子が、相棒のミューシャ。陽気で可愛い、キャビットの男の子ですよ」


 ミューシャと呼ばれた毛玉は、よろしくー、とばかりに前足を挙げてみせる。



「で、お嬢さんのお名前は?」

「あ、亜里沙、です。伏国ふしぐに、亜里沙」

「アリサさん、ですか。何だか不思議な響きですねぇ。迷い人だからですかね?」


 首を傾げるマッドさん。ミューシャ君も、毛の上半分を傾けた。



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