第2話 Mayuの要らない歯車

 ぶいちゃを始めて最初に入ったコミュニティは、JPTにたむろするTrustedの集まりでした。コミュニティと言ってもほんの四人の、小さな集まりです。ただし、酒好き、技術者、モデラ―、イラストレーターと、ぶいちゃ四大強者が集まっていました。

 酒好きが突飛なアイデアを出して、イラストレーターがデザインにして、モデラ―が形にして、技術者が動かす。そんな歯車の隣で、僕だけは何者でもありませんでした。敢えて呼ばれていたのは「可愛い担当」、役立たずに付ける蔑称だと理解しています。

 正直、僕はここにいるべきではないのだろうと思っていました。しかし、彼らのような凄い人たちの輪にいるという事実が僕の自尊心をくすぐるもので、ここを抜けるという気にはなれませんでした。


 まあ、そのコミュニティは三か月もしない内に崩壊しました。発端は技術者が僕にお砂糖を申し込んできたことでした。僕はどうにも断りきれず、しかし受け入れることも烏滸がましく、しばらく黙っていました。それが悪かったのかもしれません。しびれを切らした彼が、皆の前でもう一度お砂糖を申し込んできたのです。すると、何故か喧嘩が始まりました。何故かは未だに分かりません。

 その喧嘩を発端として、デザインの盗用だとか、共同制作品の売り上げを誤魔化していたとか、皆のとんでもない事実、悪事が露呈し始めて、当然の流れで解散しました。


 次の行先はありませんでした。技術者の彼が次のコミュニティに誘ってくれましたが、腰が上がるはずもなく。惰性でJPTに居続けはしましたが、既にUserに格上がりしていましたから他人から声を掛けられることもなく、虚しく鏡の前に寝るだけでした。


 そんな僕に転機が訪れたのは、Twitterで同期会なるものの存在を知った時です。これは同月にぶいちゃを始めた人の集会らしく、新たなコミュニティを見つけるには良い手段だと思いました。そう、思っていました。

 実際に同期会に行ってみて、そんなものは皮算用に過ぎなかったと思わされました。同期会は毎月開催されているらしく、初参加は僕しか見当たりません。勿論、初参加ということで声を掛けられたりフレンド申請されたりはしましたが、とても仲良くなる方法が分かりませんでした。思えばJPTの頃だって同じだったはずですが、どうやってあのコミュニティに入ったのか全く思い出せません。

 何より、僕を除いた大半は既にグループを形成していて、疎外感しかありません。30分は耐えられたでしょうか。あまりの居心地の悪さに、用事があるとか言ってJPTに逃げてしまいました。


 その時追って来てくれたヒスイという人が、僕の全てでした。


「居心地悪そうだったから、抜けて来ちゃった」


 なんて言う彼は、僕にとってのヒーローでした。正直、この時点で惚れてしまっていたと思います。灰色の巻髪に薄い緑のメッシュを入れた色彩センスも、少し小悪魔みたいな表情改変も、女の子をよく知ったフルトラ仕草も、見れば見るほど味わいがあると言うか、惹き込まれるものがありました。

 そのままヒスイに心酔し、ヒスイのコミュニティに参加しました。


「こちらMayuさん、同期会で見つけた可愛い子」


 そんな紹介をされて、僕は内心居ても立っても居られない状態でした。皆からは初対面の緊張という風に見えていたでしょうが、そんなことはどうでも良く、ただヒスイの言葉に胸が苦しくなっていたのです。


「普段ぶいちゃで何してるの?」

「最近は何も……前はxxxっていうプロジェクトチームと一緒に……(技術者)さんとか(モデラ―)さんがいた……」

「え? (技術者)さんと知り合いなの?」

「有名人じゃん! ほらこれ、(モデラ―)さんの服だよ」


 僕にとっては何気ない会話のつもりでしたが、皆にとってはよく知る有名人の名前が出されたに他ならず、好奇の目を集めてしまいました。そんな皆からの賞賛の声は、何か僕も"すごい人"なのではないかという期待を含んでいて、苦笑いしかできませんでした。


「俺たちは凡人だけど、仲良くしてくれよな」


 そんな言葉が印象的でした。僕はこのコミュニティでやっていこうと決心しました。

 とは言っても、ここは雑談をしたりゲームをしたり、雑多ながら平凡な、家族みたいな温かいコミュニティでした。何も決意を新たにするような畏まった場所ではなく、もっと自然体でいられる場所なのだと思い知らされました。

 そんな場所に誘ってくれたヒスイのことを、日に日に好きになっていきました。joinして最初にヒスイの足元に行って撫でてもらって、ゲームではヒスイのサポートばかり意識していましたし、ヒスイがV睡するようなら一緒に寝るようにしていました。

 でも、いつかこの恋が実ることを願う一方で、またコミュニティが壊れてしまうのではないかと思えば、言い出すことはできませんでした。


 そうやって僕が立ち往生したまま、次の同期会を迎えました。当然僕はヒスイと共に参加して新しい友達を作りつつ、知らない人たちとの会話を楽しんでいました。


「あの、私ここ来るの初めてで……大丈夫ですか?」


 そんな、甘めのミルクティーみたいな女の子の声がしました。素直に可愛い声だな、と思って見ると、彼女は銀髪の緩いツインテールに薄い緑のメッシュが入ったアバターで、まるでヒスイのようでした。


「いらっしゃい。髪の色似てるね」

「わ、本当ですね!」


 ヒスイは不安そうな彼女に声をかけ、自然と会話に混ぜました。ヒスイは本当に優しい人だなと思って、どこか誇らしい気持ちにもなりました。彼女、miuのことも、この時点では可愛らしい子だな、としか思っていませんでした。謙虚でお喋り上手で、ここの人気者になりそうだなとか、そのくらいにしか。


「何、ヒスイっちの彼女?」

「良いね、ペアルックみたいじゃん」


 彼女のことも周りがそう言うくらいに似ていたのだけ、鼻につきましたが、それ以外は本当に、良い子だと感じました。あと、名前が『*+miumiu+*』という装飾付きだったことも、なんとなく気に入らなかったものですが、徐々に慣れました。


 話は逸れますが、かつてのコミュニティで言われた印象的な言葉があります。『他人を羨ましいと思ったら、それはその人を知らないだけだよ』と。実際、この時の僕はその通りの状態だったと思います。

 miuは絵も歌も上手で、多彩かつセンスが良くて羨ましいと感じていました。しかし、毎日のように皆で話していると、少しずつmiuの努力や苦労を知り、羨ましいという遠巻きな感情が薄れていって、親近感を覚えるほどでした。


 そんなある時のことです。


「二人でお話したいことがあるので、ちょっとプラべ行きませんか?」


 彼女が、僕に話があると言ってポータルを出しました。彼女とは特別個人間で仲良くしているわけではなかったので、正直驚きました。ヒスイの方をちらっと見るも、「行ってらっしゃい」と送り出してくれました。

 ワールドが読み込まれるまでの時間、僕はとても緊張していました。何の話をされるのかと、何かしてしまったのではないかと。


「――ここ、お気に入りなんです」


 ワールドのギミックで視界が徐々に明るくなる途中、miuの声が聞こえました。miuと思われる靴音がコンコンと遠ざかって、僕の視界がはっきりした時、夜の海にちょうど大輪の花火が弾けました。


「綺麗……」


 思わず声に出るほど色鮮やかな花火が、次から次に打ちあがっては波面に反射して揺れて、あまりに幻想的な光景でした。


「ここ、良かったら座ってください」


 海上のテラスみたいな特等席で、クリスタル型のランタンが灯っていました。僕は誘われるままに座ると、miuの話を待っていました。


「実はその、相談事があるんです」


 miuがそう言ったことで、僕は驚きました。相談を持ち掛けられるほど仲良くしていたつもりがなかったからです。付け足すように「女の子同士じゃないと相談しづらくて……」と言われて、納得はしましたが。


「Mayuさんって、ヒスイさんと仲良しですよね」

「まあ……一応?」

「良かった!」


 miuが右手を開いた笑顔の時、黒いファー生地の猫耳がぴょこぴょこと動いていて、miuの小動物性が強調されるようです。


「実は今度ヒスイさんとオフすることになったんですけど、本当に行って良いのか不安で」

「え? ヒスイとリアルで会うの?」

「そうなんです。酔った勢いで決めちゃって、正直どうして良いか」


 miuの言葉に酷く戸惑いはしました。VRだから気にしていなかったものの、miuは女の子でヒスイは男の子です。それはただのオフにしては意味が大きすぎて、何よりも嫉妬心がめらめらと燃えていて、羨ましいと思う他にありませんでした。


「miuさんは会いたいんですか?」

「それは勿論……そう、です。でも、会って変に思われないか心配で」


 この背中を押すのは本当に嫌でした。miuとヒスイが会うことへの嫉妬は勿論ありましたが、それ以上に、私が想いを隠してまで守ってきたコミュニティが、壊れてしまうような気がしたからです。


「だったら、会ってみたら良いんじゃないかな。miuさんならきっと大丈夫だよ」


 それでも、背中を押しました。押してしまいました。miuの声色も挙動も恋に悩む少女のそれで、見ているだけで切なくなるほどでした。それを応援しないなんて選択は、どうにもできるものではありませんでした。

 でも、心のどこかでは、何も起こるはずがないだろう、なんて甘い気持ちがあったのだと思います。そんな甘い気持ちで、甘えた思考で過ごしてきたから、今の今までヒスイとは何もなく、急に現れたmiuに先を越されてしまったのです。


 その後、お礼を言ってコミュニティのインスタンスに戻る彼女を見送って、一人で花火を見ていました。銀と薄緑の花火が空で花開いたのを見て、呆然と二人のことを考えていました。正確には、ヒスイと僕は毎日会っているし、miuといつそんな話をしたのだろうと考えていました。そうして、僕の知らない内にプラべで二人で酒を飲んでいたのだと気づいた時、僕は怒りのような感情にコントローラーを投げそうになって、でも、手を振り上げた瞬間には熱がすとんと落ちるように虚しさが込み上げてきて、そのまま眠りに就きました。


 後日、二人が付き合うことになったと報告がありました。miuは僕のおかげだと盛大な感謝をしてくれましたが、僕には、何もしないでいてくれてありがとう、という意味にしか受け取れませんでした。

 それから、二人が付き合って以降もコミュニティは平和なままで、僕の心配なんて初めから杞憂だったのです。最近ではヒスイのマイクからmiuの声が聞こえることもあって、僕は全てが悔しくて仕方がありません。


 僕は当然"すごい人"でもなければ、ただ"すごい人"たちの隣で何もせずにいた人間です。二人の幸せな会話を聞きながら、今日も虚しさの中を眠る日々を続けています。両親から与えられた「繭」という名前が、その通り僕を表していて、あまりに皮肉だなと思いました。

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