第6話


発狂したい時なんて誰にでもある。

 僕だけのものじゃない。


 体の重さが失われたような、そんな覚束なさを抱く。

過去の僕が動く様を思い出す。それで、叫びたくなる。


 満ち引きがある。

常に叫びたいわけじゃない。

その過ちを思い出すのは、風呂かベッドに入った時。

 

あと、記憶と景色が器用に結びついた時。


 昨日降りた知らない駅を電車から見た。

 中村莉子と昨日初めて会話ができた。


 入学してから彼女がクラスで

口を開くのを見たことがなかった。

ずっと、ヘッドホンをしている。 


 だから、ある意味彼女は目立っていた。


 小さな頭に被さる白いヘッドホンは大きくて、

そのアンバランスさが僕の目をひいた。


 初めて中村莉子のことを認識したのは四月朝の満員電車。

その時僕は彼女とクラスメートになることを知らなかった。


 それでも彼女の佇まいが目から離れなかった。


 吊り革を掴む少女はここに無関心であるかのようだった。

隣に立つ僕のことに目を向けることはない。

ただ朝日のある方角をじっと見ていた。


 陽を肌で浴びるその様に僕は救われた気がしてしまった。


 教室でその少女を見た時、

友達になりたいと、ただ思ったのだ。


 わかり合える気がしたから。


 昨日、ヘッドホンが取り上げられた時。


 その時少女がひどく弱って見えたから。

だから僕はヘッドホンを届けたかった。


 結果、僕らにまともな会話が生まれることはなかった。


 気安く話すのはダメだったかなあ。


 知らない駅での情景がフラッシュバックする。

もしかすると僕は嫌われてしまったのかもしれない。

満員電車で叫ぶなんてできやしないけど。


 頭から嫌気を振り払う。

 電車が止まる。ちょっと、早足になる。




 朝の校舎、階段を登ろうとした。

 怒号が聞こえた。


 「反省にも態度ってのがあるだろ!」


 いつもだったら横目でチラッと見て通り過ぎるだけだ。

それができなかった。そこに中村莉子の姿が映ったから。


 灰色の壁に体を隠して、二人の方をそっと見た。

中村莉子が萎縮している。低い声の主は昨日と同じだった。


 ヘッドホンが吊られていた。


 「職員室にあったものを無断で持ち出したんだ。

お前がやったことは盗みと同じだろ」


 耳がじんと熱くなる。

僕の行為で責められているのは明らかだった。

背中の中央のあたりが急に冷たくなった。


 「すみません」


 中村莉子は弱い声でそう言った。

誰もいない地面をただ見ていた。


第一、あの教師が勝手にヘッドホンを取り上げたのだ。

じゃあ泥棒はどっちなのだろう。


 そう言ってやりたい気分ではあった。


 「しばらくこれは預かるからな」


 教師がそう言っても彼女は動かなかった。

ただここではない場所を見つめていた。


何を思っているのか、僕にはわからない。

歩み寄るのがちょっと怖かった。


 「中村さん」


 憎そうな顔をしてくれた方が良かった。

少しだけ目を大きくして、それから伏せるだけだった。


 「ごめん、僕のせいで・・・」

 「いいの。運悪く先生に見つかっちゃっただけだから」

 「説明してくるよ」

 「いらない」


 その言葉だけが強かった。

 僕は口をうまく動かせなくなる。


 「いいの。なきゃいけないものじゃないから」


 それだけ言って彼女は逃げるように階段を昇って行った。

少女の細い首は折れてしまいそうに見える。


 彼女の最後の言葉が嘘だってことはわかる。


 僕はそこまでして拒絶された。


 なるたけ時間をかけて階段を登った。

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