第15話
「これ、お願い。滑るから、落とさないようにして」
「はい」
白く濁る程勢いよく流れる水道からの水で、さっき使ったばかりの食器を洗っていく。隣にはエリツィナを立たせて、私が濯いだものを彼女に拭かせている。
役割はどっちでも良かったけど、彼女が『食器の場所はもう覚えました』なんて言うから、言葉通りに任せることにした。
そうすれば薫子さんは昼間のひまりを思わせるほどに笑い、ボトルを気分良さそうに空にしていた。ムカつく。
目の前にご馳走が並んでいなかったら、テーブル越しに飛びかかっていたかもしれない。それもまた、もしかしたら彼女の思惑だったのかもしれないと思うと、やっぱりムカつく。
「それでも、スペアリブ美味かったなぁ……」
あれがなかったら間違いなく飛びかかっていた。サラダ、パエリア、ポトフ、赤ワイン煮、唐揚げ、麻婆茄子と国籍の散らかった料理がテーブルにひしめく中、やはり一際輝きを放っていたのは師匠特製スペアリブのハニーロースト。
蜂蜜を隠し味に使った調味液に一晩漬け込み、フライパンで焼き目をさっとつけた後にオーブンでじっくり火を通す、家庭料理としては手間暇のかかる一品だけど、手間暇の分だけ骨付きの肉が柔らかく仕上がる。
中東へ『出稼ぎ』に出ていた頃から機会があれば彼女が作ってくれる料理で、正直なところあれに胃袋を掴まれてしまったと言っても過言ではない。悔しいから、私から本人に言う事は絶対ないけど。
「美味しかったです。カオルコは、料理が上手なんですね」
独り言のつもりで呟いたのだけれど、予想外にエリツィナが乗っかってきた。
食事中、料理を一口食べては頷くばかりで、反応らしい反応がなかったからどうかなと様子は見ていた。
カトラリーを動かす手は程々に動いていたから、口に合わないなんて事はなかったとは思うんだけど。お人形の様な彼女にも、少なくとも味覚は搭載されているらしい。
「本人に言ってやりなよ、喜ぶから」
「喜ぶ。そうですね、そうします。美味しかったですと伝えます」
かちゃかちゃとグラスを濯いで、エリツィナに手渡す。
「でも、あんまり構うとめんどくさいことになるから、程々にね」
「面倒な事、ですか?」
美味しかった唐揚げの乗っていた皿から洗剤の泡を落として、また隣の彼女に渡す。
「そうそう。しっかりしてそうだけど、趣味は人を
「揶揄う事、料理……オンナアサリ。それは、なんですか?」
「あはは、なんですかって……」
と、そこまで口にして、違和感に気づく。
心地よい満腹感と気持ち良い水の冷たさと、エリツィナが話に乗ってきた事に油断して、つい、クラスメイトに話しかけられた時の様に、適当なノリで返してしまった。
けれど、それがなにか不味い気がする。学校で予鈴が鳴ってから手のついてない宿題を見つけた時の様な、テスト終了間際に解答欄が一個ずつずれている事に気付いた時の様な、引き金を引いた瞬間に突風に吹かれた時の様な。何か致命的な爆弾を生み出してしまった様な違和感を覚える。
ギギギ、と音が聞こえそうなほどぎこちなく、ゆっくりと視線を右に向けると、青い二つの眼と見つめ合うことになった。
「教えてください、トオル。オンナアサリとは、どういう意味ですか?」
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