第10話
黒板にチョークの、かつかつ、という小気味の良い音が走り、やや緑がかった黒い面に白い文字が並んでいく。
『——1945年、太平洋戦争にて、アメリカ軍の日本本土への核爆弾投下を未然に防いだ我が国は、膠着状態のまま終戦を迎える』
一年生で習った内容を小テストという形で確認したばかりではあるけれど、それをさらに振り返る事で内容を頭に染み込ませるという授業の真っ最中だ。
私は、そんなヒラセンの言葉がどうにも頭に入ってこない。理由は当然、今私の隣の席で、私の教科書を一緒に眺めている伶奈・エリツィナのせいだ。
『しかし終戦後、日本国内における貧富の差が急速に拡大、悪化。その状態で迎えた、アメリカ軍との日米戦争により、日本は歴史的大敗を迎えることになる。これが、1947年の出来事だな』
ヒラセンが述べる内容は、現代日本がどの様にして形作られたのかその転換期は何処かという内容だろう。ぜんっぜん頭には入ってこないけれど、授業を聞いているフリをする為に、板書だけは書き写す。
ちら、とエリツィナを見ると、彼女は黒板を眺めるだけで、開いたノートには文字の一つも書き記されていない。ペンすら握っていないその姿は、先生の目にはどう映るだろうか。
そんな事で注意されたら、隣にいる私も否応なく視線の渦中に巻き込まれるかもしれないし、もしかしたら監督不行き届きとして私も指導を受けることになるかもしれない。
だからこっそりと、めんどくさいとは思いつつ彼女に声をかける。
『現代まで続く国内のスラム地区、『不可触地帯』が形成されるなど、治安は一時期混迷を見せるが——』
「……板書、取らないの?」
「板書。黒板の内容をノートに写せば良いのですか?」
「うん、そうしなきゃ覚えられないでしょ?」
正直、この子が授業内容を覚えられるかどうか、もっといえば学業成績が良くなるかどうかには興味はない。
けど、周りもそうしているし、そうしている生徒の姿を見て教師は『真面目な生徒かどうか』を判断するのだから、板書をとらないという選択は殆どない。
「目にすれば覚えられるのです。しかし、そういうものなのですね」
そういって何事もなかったかの様に、エリツィナはキャンバス生地の筆箱から、水色の可愛いシャーペンを取り出して、さらさらとノートに文字を書きこみ始めた。
目にすれば覚えられる? いや、私がそうではないだけで、世の中にはそういう頭脳の持ち主がいるという話は聞いた事がある。エリツィナもその類だというのだろうか。
『——そして波の様に好調と低迷を繰り返した日本は国際社会に迎え入れられつつ、2031年に現代において最も大きな転換期を迎える』
エリツィナの頭脳が最低でもそれほどまでに優れているというのであれば、流暢な日本語にはうなづける。問題はその優れた脳みそに、何を隠しているかという事だ。
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