グレーゾーン

佐寺奥 黒幸

 暗く、呪うような灰色の雲が空を覆い、午後六時を伝える悲しげな音楽が町を包んでいた。

 僕はのっぺりとした机の上へ腰掛け、六段ほどある本棚のほうを、ただ、じっと見つめていた。そこには隙間という概念がなかった。ウィルデルや、明治の心と死んでいった『先生』がそこで静かに涙を流していた。

 少し腹が減ったので、僕は台所へ行き、冷蔵庫から生ハムとベビーチーズとフランスパンを取り出した。切ったフランスパンをトーストで焼いてるうちに、僕はとある音楽を流した。

『PARODY』

 僕は一刻も早くあの夕方のメロディーをかき消したかった。

結局、フランスパンも生ハムもベビーチーズも、僕の腹を満たすことはなかった。いや、腹は満たされたかもしれない。けど僕の中にはまだ空白が残っている。

 ゴミ袋の中の一枚の紙が

 呪うようにカサリと音を立てた


 朝起きて、僕はまず大きな背伸びをした。吐き出した空気はまだ陰鬱さを保っている。一歩遅れてアラームが鳴った。僕は瞬時にこれを止めた。秒針がうわ言のようにカチカチと動いていた。時計ごとバラバラにしようかとも考えた。

 僕はグリーンのTシャツとジーンズを着、また歯磨きをして顔洗いをした。これでいくぶんか身なりはさっぱりし た。カーテンから除く太陽はギンギンと輝いている。

 僕は梅干し一つで茶碗三杯分の白米をかきこみ、余り物の味噌汁を飲んだ。そして冷えた麦茶を飲み、それらをリュックの中に詰め込んだ。念のため財布もその中に入れておいた。

『そんなことして何があるんだ?』頭のなかで誰かが囁く。別にいいじゃないか、気まぐれで散歩に行くぐらい。

 僕は玄関へ向かい、買って三年はたつだろうボロボロのスニーカーをはいた。念のため魚眼レンズを一度覗いてから、僕はドアを開けて外に出た。


 太陽の光をできるだけ避けるよう、僕は日陰をなぞるようにして歩いていた。

正直、気分転換にもなんにも全くなっていない。

 今日の最高気温は三十五度を超えるという。これはすれ違った二人の女子高生から聞き盗んだ情報だ。勘違いされては困るが、彼女達は非常に(憎たらしいほど)楽しそうに会話していた。もちろんそれは僕にとって不愉快以外何物でもなかった。失礼だが、顔もかなりひどいものだった。僕は一瞬そこで吐きそうになった。

 今は何をしているかというと、公園のベンチに座り、コンビニで買ってきた棒アイス(ガリガリ的な奴)

を味わっているところだ。

 都市化とは恐ろしいもんだ、と改めて思う。市の中心部からここまで来ると、その違いがはっきりと分かる。ここも暑いは暑いがあそこと比べたら天国のようなもんだ。人にぶつからずにすむし、コンクリートの反射熱も受けなくてすむ。おまけにひどい顔の女子高生を見なくてもいい。

 今日が土曜日だからか、ブランコや滑り台、ジャングルジムなどは、大勢の子供達で賑わっていた(特にジャングルジムが人気だ)。そのほとんどは男子だったが、一人だけ縄跳びをしている女の子がいた。彼女のさばく二重跳びは、まるで永遠を思わせるほど長く続いた。男達はそんなことには目もくれず(あるいは意識的に目を逸らしているのかもしれない)、滑り台を逆から登るだの、ジャングルジムのなかで格闘するだの、ブランコから飛ばした靴の距離を競うだの、楽しそうにわいわいしていた。やれやれ、いつの時代もガキはヒッピーな存在だ。僕は既にあのアイスを食べ終え、新たに買ってきた自販機のカフェオレをちびちびの飲みながら、そんな反社会的な彼らの様子をしげしげと眺めていた。

 救急車のサイレンが無機質な音で空気を震わせる。

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