ちゅ?
恐らく一つか二つくらいは人間の頭部を投げ込んでいた気もする苛烈なボウリング大会を終えた憂と三耶子は、興奮冷めやらぬままゲームセンターへと足を運び、入ってすぐ目に留まったクレーンゲームを余熱の矛先に定め、ガラスの向こうで助けを待っている、サメの着ぐるみに身を包んだネコのぬいぐるみを見事救出してみせた。
タグの紐にアームを引っ掛けるという三耶子の得意技が炸裂し、なんとたったのワンコインである。
助け出したぬいぐるみを抱きかかえ、我が意を得たりとしたり顔。
憂はそんな自信溢れる三耶子を見て、ボウリングは冗談みたいに下手だったのにね、とからかいながら微笑んだ。
「シミュレーションは完璧だったのよ。儚い青写真に過ぎなかったけれど」
「実際にやってみると難しいよね」
「ええ。想定よりも憂くんの教え方が……」
「シミュレーションってそっち!?」
「手取り足取り教えて貰っちゃった。でも現実の憂くんは……」
「ご期待に添えず申し訳ない。言い訳させてもらうと、僕もボウリングの経験は浅いから、テリトリーの外って言うかさ」
「だから取るに足らないと手っ取り早く済ませたのね」
「そんなに冷たくなかったと思う! なかったよね!?」
むしろ過保護だと美術少女からやんわり注意を受けたくらいだ。
そう言った彼女も、三耶子の番が回ってくる度に腕がすっぽ抜けやしないか心配していたけれど。
「ふふふ。ごめんなさいな、冗談よ」
三耶子が悪戯っぽく笑って言う。
更に続けて、
「私のイメージに身体がついて来られなかっただけ。憂くん達はみんな、すごく優しかったわ」
言いながら、今しがた入手したばかりのぬいぐるみを差し出してくる。
「教えてくれたお礼に、どうぞ」
「いや、そんな。あれは紛れもなく三耶子さんの力だよ」
「それは結果を出した人に使う台詞よ。私のスコアがいくつだったか教えてあげましょうか」
「34点でしょ」
三耶子はむっとした表情で両手を更にぐっと突き出し、ぬいぐるみを憂の胸に押し付ける。
早く受け取って、という感じ。
スコアからも分かる通り、大して役に立てなかった――全く役に立てなかったようだが、それでも三耶子が心から楽しんでいたのは分かる。
だから憂は、からかったことを謝りつつ、ぬいぐるみを受け取った。
「ごめん、三耶子さんの反応が楽しくて。ありがたくいただきます」
「召し上がれ。氷佳ちゃんが気に入ってくれるようだったら、氷佳ちゃんにあげて」
「僕の部屋に置かせてもらうよ。さてこんな可愛い物を貰ったんだ、僕からもお返ししないと」
三耶子の後方、やや離れた位置の筐体を指差して、憂は言った。
あの景品は恐らく、三耶子の好きなゲームのキャラクターだ。
ピンク色の丸いやつ。
「教えてよ、クレーンゲーム」
三耶子は指が示す先を辿ろうとせず。
振り向かないまま憂としっかり目を合わせ、自信満々に胸を叩いた。
「任せて頂戴。例え両替機の仕組みを聞かれても説明できるわ!」
前のめりに見栄を切った三耶子と、お目当ての筐体まで移動する。
そこで基本的なポイントと心構えを授けられ、実践。
一旦教えられた全てを脇へ追いやり、先程見せつけられた三耶子の紐狙いを真似てみたところ――なんと成功してしまった。
ビギナーズラック。
奇跡的に、ワンコイン。
二人は呆然とした顔を向け合ったのち、すごいすごいと飛び跳ねハイタッチをした。
「三耶子さんの教え方が良かったんだよ。お礼にどうぞ」
入手したピンク色のぬいぐるみを渡すと、こちらが照れくさくなるくらい無邪気に喜んでくれた。
そうしてすっかり勢いづいた二人は、目に付いたお菓子やぬいぐるみの乱獲に乗り出し――結果として。
三耶子の腕が良すぎるあまり、取れすぎた。
取りすぎた。
全て持ち帰るには腕が足りない。
憂も三耶子もテンションがはちゃめちゃに上がっていたため、計画性なるものはいつの間にやら綺麗さっぱり排除されてしまい、嬉々として戦利品を手に抱え袋に詰め込みとしているうち――気付いた頃には腕が一本足りなくなっていた。
三耶子の右腕がボウリングで酷使されていなければなんとかなったかもしれないが――
というわけで、助っ人を呼ぶことにする。
スマホで救援要請を送り、二人で荷物を運び出して店先で待っていると、程なくして。
「待たせたわね。あたしを荷物持ちにしようなんて、いつの間にそんな贅沢覚えたのよ」
頼れる助っ人、葉火ちゃんがやって来た。
丁度バイトが終わる時間だったのでメッセージを送ってみたところ、「すぐ行くわ」と快諾してくれたのである。
改めて直接感謝を伝えると、葉火は嬉しそうに憂達の足下、袋に詰められた戦利品の数々を眺め始めた。
「あっ! じゃがりこあるじゃないの、しかもバケツのやつ。あたしこれ欲しかったのよね」
「そう言うと思って取っておいたわ。葉火ちゃんの好物だもの」
待ってましたとばかりに声を弾ませた三耶子を、葉火が抱きしめる。
相当じゃがりこが嬉しいらしい。
「ありがと。将来あたしがじゃがりこのアンバサダーになるって夢を叶えられたら、それは間違いなく三耶子のおかげよ」
「ふふふ。最初に見つけて来たのは憂くんよ。「みやこ、あれ取って。よーかが喜ぶ」って氷佳ちゃんの真似してたわ」
へえ、と口元を歪めた葉火が、三耶子を抱きしめたまま憂へ向かって手招きをする。
誘いに応じて距離を詰めると、手の平で荒っぽく頭を撫でてきた。
「なによあんたら。荷物持ちなんてただの口実で、あたしに会いたくて仕方なかったんでしょ」
否定はしない、むしろ同意。
二票を受け取った葉火は三耶子から離れ、見るからに上機嫌な振る舞いで袋を一つ持ち上げる。
ここからだと姉倉家の方が近いからひとまず荷物を運び込もう、と話していた旨を伝えると、葉火は「楽勝すぎて拍子抜けね」と笑った。
それぞれ荷物を持って、歩き出す。
三耶子と葉火が横並びで、その後ろに憂が続く。
「夜々ちゃんの好きなヘンテコ生命体もゲットしたわ。だけど渡すタイミングが難しいわね。ちょっと大きいし」
「帰りがけに寄ればいいじゃない。なんだったら、呼べば来るでしょ、今すぐにでも――」
いや、と葉火は自身の言葉を遮って。
堪え切れなかったのだと分かる笑い方をした。
「夜々のことだから、先回りして潜り込んでるかもしれないわね。家に帰ったら布団の中で丸まって寝てる、なんてことも充分にあり得るわ」
冗談めかして葉火は言う。
なんとも和やかなイメージが湧いてきて、憂も葉火と同じように笑った。
起きたら夜々がこたつに潜んでいたことがあるし、あながち無いとは言い切れない。
とはいえ。
「想像できて笑っちゃったけど、それは流石に夜々さんを小動物扱いしすぎだよ。僕が言えたことじゃないんだけどさ」
「でも実際に、帰って寝床に夜々ちゃんが忍び込んでたら、嬉しいわよね。もしそうなったら、二人はどうする?」三耶子が訊く。
「怖い夢を見ないよう添い寝してあげるよ」と憂。
「あたしの夢を見られるように添い臥してやるわ」と葉火。
「真似するなよ」
「なに真似してんのよ」
「僕の方が相応しい。なぜなら前世が夜々さんの敷布団だからだ」
「なに言ってんのよ気色悪い。あたしの方が適役に決まってるでしょうが。あたしの先祖、夜々のパジャマよ」
「気持ち悪いよはひちゃん」
と、そこからお決まりの『僕だあたしよお前だあんたよ論争』が始まり、三耶子がそれを見守りつつ時折仲裁に入りながら、仲良くみんなで家路を辿った。
〇
「おかえりなさい、憂。三耶子ちゃんに葉火も。ご飯できてるしお風呂も沸いてるよ」
姉倉家に到着して玄関のドアを開けると、一秒掛からず姿を見せた渦乃が、当たり前のようにそう言って三人を迎え入れた。
渦乃の案内によってリビングへ通された三人は、ひとまず荷物を部屋の隅に集めて一息つく。
晩酌をしている姉倉父に気付いた葉火が「一口いただきますわ!」とグラスにビールを注ぎ、三耶子は食事を用意する渦乃の手伝いを始めた。
そんな中、憂は部屋をぐるりと見回し、宙へ投げるように問いかける。
「氷佳は? ご飯もまだみたいだけど」
「お昼寝中。憂の部屋で寝てるよ」渦乃が答えた。
「えー? 僕のいない僕の部屋でぇ? まったく、氷佳は可愛いなぁ」
氷佳は僕に会いたくて会いたくて仕方ないらしい。
という憂の思考は、甘ったるい声やだらしない表情から、この場の全員に伝わっているようだった。
続けて憂は三耶子、葉火と順に見て、わざとらしく大きな息を吐き、肩を竦める。
「やれやれ、しっかたないなぁ。三耶子ちゃんも葉火ちゃんも、氷佳の寝顔を見たくて堪らないって顔してるじゃないか。いいよ特別に拝ませてあげよう。ただし、触らない、声を出さない。この二点は厳守してもらう。返事は?」
「分かったからさっさと見せなさいよ」
「おーっと葉火ちゃんアウト。声を出すなと言ったはずだが?」
「だがじゃないわよ」
このままでは前振りが長引くと察したのだろう三耶子が、肩で憂の背を押し始め――そのままリビングを出て、三人で憂の部屋へ向かう。
胸いっぱいの期待が足音に反映されないよう気を付けつつ、部屋の前までやって来た。
三人で顔を見合わせたのち、代表して憂がドアに手を掛け、ゆっくりと開いて中へ入る。
消灯しているため室内は暗いが、起こさないよう電気は消したまま。ドアを閉め切らず、わずかに差し込む廊下の灯かりを頼りに、忍び足でベッドの傍へ。
小癪にも焦らそうとする憂の意向で、配置完了した現在、三人ともベッドに背を向けている。氷佳の魅力をより味わってもらうべく憂なりに工夫しているのだ。
さていよいよ。
憂はスマホを取り出しライトを点灯すると、眩しすぎないよう明るさを調整して。
照らした左手の指を三から折り畳んでいき。
ゼロになったと同時に振り返って天使の寝顔を照らし出し――
そして三人は揃って目を見開いた。
天使は確かにいたけれど。
一人じゃなかった。
幸せそうに眠る氷佳、その向かいに。
負けず劣らず幸せそうな寝顔を誇る、夜々が居た。
まるで自分の家にいるかのように無防備で、安心しきっている。
軽口でしかなかったはずの先回りが、現実として、目の前にある。
なぜ?
「かっ――」
憂は思わず「かっわいい!」と叫びかけたが、左右から伸びてきた葉火と三耶子の手に口を塞がれ、間一髪大声を出さずに済んだ。
そのまま引きずられる形で部屋を出て、リビング近くまで離れたところで、顔を見合わせる。
「危うく二人を起こしてしまうところだった。ありがとう」
「無理もないわよ。まさか夜々ちゃんがいるなんて、葉火ちゃんの予言が的中ね」
「やっぱり夜々が一番侮れないわ。ほんと、可愛い奴」
どうして夜々が憂のベッドで寝ていたのか。
どうしてパジャマまで着ていたのか。
あの可愛らしい光景が作り上げられた背景は不明だが、そんなことは後で確認すればいい。
「いまいち事情は掴めないけど――まあ、気にならないから気にしないでおこう。それより、ほら。二人も混ざっておいでよ。可愛いってのは足し算だぜ」
曇りなき眼で憂が言うと、ほとんど反射で葉火が呆れた顔になった。
「面倒なのが始まったわね。ひとまずあんたら二人で行ってきなさいよ。あたしは渦乃に晩御飯をご馳走してもらうの」
「人の母親を呼び捨てにするな!」
「仕方ないじゃない。約束したのよ、お互い呼び捨てにするって、ラウンドワンで」
「ツッコミどころが多いけど、とりあえず、母さんに付き合ってくれてありがとう!」
憂が考えている以上に母は灯台娘と親交を深めているようだった。
カタカナに謎の反抗心がある人なのにラウンドワン行ってる……。
まあ、それはいいとして。
バイトを終えて追加で働いた葉火はいよいよ空腹が極まってきたらしく、有無を言わさぬ足取りでリビングへ戻って行く。引き止めると間違いなく噛み千切られるので、食事を優先してもらうことにしよう。
葉火の姿が見えなくなると、場を繋ぐように三耶子が言った。
「折角だからゲームをしましょうか。氷佳ちゃんと夜々ちゃんの耳元で愛を囁いて、起こした方の勝ち」
「負け、じゃなくて?」
「勝ちよ。気持ちが伝わるのって、嬉しいことじゃない。どうやったって敗者になりようがないから、勝ちで間違いないわ」
「なるほど。三耶子さんらしくて素敵な考え方だね」
「えへへ」
子供っぽい笑みを浮かべたまま、三耶子は続ける。
「憂くんには宣言通り添い寝をしてもらうわ」
「言ったの三耶子さんじゃなかったっけ?」
「まあ大胆ね。せめて葉火ちゃんに擦り付けないと」
三耶子が跳ねるような足取りで、しかし足音を立てることなく先を行く。
それを微笑ましく感じながら、憂は言った。
「夜々さんことだから、実は起きてたりして」
「確かに夜々ちゃんの得意技よね、狸寝入り。ネイビーだけに」
「ネイビー?」
「紺色のパジャマを着ていたじゃない。だから、たぬきネイビー。いえ、ぽんぽこネイビーと言った方が通りがいいかしら」
ぽんぽこネイビー。
氷佳が聞いたら喜びそうだから、あとで教えてあげよう。
再び入室。
すり足で机まで寄り、さっきは使わなかったデスクライトをオンにした。
そして二人はベッドの傍らに立ち、寝顔を覗き込む。
見たところ氷佳も夜々も本当に眠っているようだ。
向かい合って同じような顔。
もしかすると同じ夢を見ているのかもしれない――と、そこで。
もぞもぞと。
夜々が動き出したため、憂と三耶子は息を止め、硬直。
やがて仰向けの体勢となった夜々が、気持ち良さそうに呟いた。
「むにゃむにゃ……すぴー」
絶対に起きてる! とツッコミたい気持ちをぐっと抑え込み、隣を向く。
三耶子も同じ考えのようで、今にも笑い出しそうに口元を両手で覆っている。
いくらなんでもな寝言なので起きているとは思うが、しかしここまであからさまだと、逆に本物である気もしてきた。
それを確かめるように。
三耶子は床に膝をつき、夜々の耳元へ顔を寄せ、
「大好き、夜々ちゃん。あなたの幸せを、一番近くから見届けさせてね」
と、言いながら。
夜々の左耳を唇で挟んだ。
はむはむ。
大胆な行動に憂がドキドキしていると、夜々がくすぐったそうに笑って、再び寝息を立て始める。
どっちだ……?
起きているからこの反応か……?
目を細めて観察していると、立ち上がった三耶子に肩を叩かれ促される。
次は憂の番。三耶子がなかなかインパクトのある攻め方をしたので、負けていられない。
愛を囁きながら氷佳の全身を僕の両目に入れてやろう、と意気込み身を乗り出す憂だったが――勘弁してくれ、とでも言うように。
目を覚ました氷佳が、ゆっくりと、上体を起こした。
「……兄ちゃ? おはよ」
間延びした声で挨拶をすると、両手で目を擦り欠伸をしながら、ベッドの上に立ち上がる。それから大きく伸びをして目を開いた氷佳は、三耶子の存在に気付くと眠たげだった瞳を煌々と輝かせた。
バンザイの格好をした氷佳の両脇を掴み、抱え上げ、三耶子と一緒に部屋から出る。憂の部屋とリビングの中間辺りで、氷佳を下ろす。
「どうしてみやこが? 夢のつづき?」
「ふふふ。葉火ちゃんもいるわよ」
「わぁい! みんなでお風呂入ろ!」
パジャマを着ている点を見るに氷佳は既に入浴を済ませているのでは、と憂は思った。まさか夜々と一緒に入ったのだろうか。
その辺りの話、どうして夜々とベッドでお昼寝することになったのかを聞きたかったが、氷佳は「うおりゃー」と夜々のようにリビングの方へ走って行く。
追いかけようとした憂の進路を、三耶子が左手で塞いだ。
「憂くんは夜々ちゃんの傍に居てあげて。起きた時に一人じゃ寂しいでしょう? それともなあに、一緒にお風呂に入りたい?」
「定番だけど、タオルと着替えここに置いとくねってやり取りに憧れてて……」
「渦乃さんにお願いするわ。それにまだ憂くんのターンなんだから、ズルはダメよ。しっかり囁いてきて頂戴な。今日は私がルールブックよ」
――と、心得顔で。
心からの笑顔で。
三耶子は言った。
ゲームを楽しんでいる時の顔。
手を抜こうものならものすごく怒るし、それを抜きにしたって、三耶子との間に手加減は無い。
憂は笑って答えた。
「分かった。じゃあ、僕が勝たせてもらうよ」
「そうこなくっちゃ。私を超えてみせなさい。それに正直、夜々ちゃんの寝顔じっくり眺めておきたかったでしょ?」
「それもあるね。怖い夢見てないか心配だ」
そして。
嬉々とする三耶子にお腹を押され、後退しながら部屋へ押し込まれ。
また後で、とドアを閉められて。
閉め切られて。
憂のターン。
振り返り、音を立てないようにベッドの傍まで行き、中腰の姿勢で夜々の寝顔を上から観察する。
なんの憂いも感じられない安心しきった顔――いつも自分が寝ている場所でこんな顔をされると、なんていうか、複雑だ。
安心をそのままにしてあげたいと思う一方で、何かしたくなる。
「……夜々さん、起きてるでしょ」
小声で話しかけてみたが反応はなく、心地良いリズムの寝息が聞こえてくるのみだ。
床に腰を下ろし、横顔を見つめる。
薄暗い室内でも夜々の輪郭はくっきりしていた。
ついなぞってみたくなって、手を伸ばすと。
夜々が体勢を変えて横向きになり、憂と向かい合う形となった。
憂は手を止めて息も止める。
ここで目を開けて「バレてた?」とネタバラシされるかと思ったが、予想に反して夜々は寝息を立てるばかりである。
だから憂は、膝立ちの体勢で夜々の耳に口を寄せ、夜々の好きなところをいくつか囁いてみた。
けれど全くの無反応なので、どうやら正真正銘、眠っているらしい。
憂は軽く頭を振って夜々に背を向けると、ベッドのフレームにもたれかかり、わずかに目を落とす。
そうして次はどう攻めようか思考を組み立てていると。
背後からもぞもぞ動く音が聞こえてきた――次いで、身体を起こす音。「んあー」とコミカルな欠伸が続き、一拍置いて、
「……? ……っ!? なんで憂くんが!? あ、そうだここ、そうだった! お邪魔してます!」
と、緩みに緩んだ空気から一転、寝起きとは思えないキレと伸びのある声が響いた。
バタバタと慌ただしい動作音を耳に受けながら、憂は寝たふりを決行する。夜々に寝たふりでからかわれたことはあるが、憂から仕掛けたことはないからだ。
「ごめんねベッド占拠しちゃって。これには深みのある理由があってだね、氷佳ちゃんはどこかしら。って、あれ。憂くん寝てる?」
目を閉じているため夜々がどんな体勢を取っているのか分からないが、右耳の近くで喋っていることは分かる。
「ほんとは起きてるんでしょー。分かっちゃうんだよね、憂くんのことは全部」
完全にバレているようだが、スルー。
すると夜々は「あれ?」と当てが外れたといった調子の音を漏らした。
「……ほんとに寝てるの?」
その言葉を最後に音が止み、沈黙が落ちてくる。
自分の息の音がはっきりと聞こえる。
息の切れ目を縫うように再び夜々が動き出し、ベッドから下りたと思しき音がして――またしても静寂がもたらされる。
かと思えば、衣擦れの音。
隣に座るような音。
直後、憂の肩に何かが乗せられて――それが夜々の頭だというのはすぐに分かった。この感触を忘れたことは無い。
危うかったがなんとか反応を抑え込み、自然に振舞う。
本当に眠っているように装う。
頃合いを見てネタバラシがてら驚かしてやろう、と憂は企んでいた。
いつにしよう。
夜々が部屋を出て行こうとする気配を感じたら、にしようか。
肩に乗っていた頭が離れる。
近くにいるいま種明かしするのもいいかもしれない、なんて悪戯心を膨らませていたのだが――そんな童心を木っ端微塵に消し飛ばすかのように。
思考にピリオドを打つかのように。
憂の右頬に、なにかが当たった。
当てられた。
触れた。
これまでに味わったことのない感触。
あたたかくて柔らかい、なにかが、優しく。
未知の感触を前に無反応を貫くことができず、憂はびくりと肩を震わせ、硬直したのち、慌てて顔を上げて右隣を見た。
そこには、当然だけど夜々が居て。
「やっぱり起きてた」
と。
どこか艶っぽく。
右手の人差し指を、唇に当てながら。
くすくすと笑っている。
「い、いまのは……?」
まさかそんなはずはないが、聞かずにはいられない。
右手で頬を押さえる憂のおずおずとした問いに、夜々は答えないまま立ち上がる。
そして――
「さて、なんだろうね。おまかせ」
からかうような調子で答えを憂に委ね、逃げるように部屋を出て行った。
余韻をコミカルな足音で塗り潰しながら。
去って行く。
憂はしばらくその場を動かず。
動けず。
ただひたすら、頬に受けた感触がなんなのかを考え続けた。
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