グイグイ期

 昼休みが始まってまもなく。

 憂とマチルダは廊下の窓から外の景色を眺めていた。


 購買へ行こうと教室を出た瞬間に呼び止められ、「今日は風が強いので布切れの一枚くらい拝めるかもしれませんよ」と誘われるまま最短距離で窓際へ移動して、横並び。


 はて風が強いと見える布切れとはなんだろう、と、己が無知を恥じつつ目を凝らしているところである。わざとらしく首を傾げ景色を注視する憂の姿を、マチルダは無感情に見つめている。


「無いんですね、お弁当。ジミヘンさんのことだから、ホッグちゃん達三人の分まで作っているものだと」


「そうしたい気持ちもあるけど、今日みたいに事件が起きた時迷惑掛けちゃうからさ」


「事件ですか」マチルダの瞳に興味が灯る。


 事件、などと物々しい響きの言葉を選んでみたが、大したことはない。

 弁当用に前日から作り置きしていたおかずの数々が、影も形もなく消滅していた。それだけのことだ。


 まるで初めからどこにも存在していなかったかのように――かのように、かの、渦乃さん、お母さん。


 恐らく犯人は母だ。「証拠を出してみなさい」が「おはよう」より先にくるのは、あからさますぎてそれはそれで怪しかったが、母の仕業で間違いないと断定する。


 証拠を集めとことん追求してもよかったのだが、頑固な母に付き合っていては学校に遅れてしまう。というわけで残念ながら、無罪推定の原則とやらに基づき母はいまのところ無罪である。


 かくしてお昼ご飯を自作も持参もできなかった憂は、これから購買へ調達へ向かうつもりなのだった。

 ――という内容を掻い摘んで説明すると、マチルダは「へえ」とだけ返して頷いた。


「それで、美奈子ちゃん。僕に一体どんな用事が? 歩きながらじゃダメかな」


「まあまあ。食べ歩きとお店で食べるのとでは味わいが変わるじゃないですか。さてジミヘンさん、視線は真っすぐ、正面を向いていてください」


 変に逆らわず、言われた通りにする。

 中庭のベンチにカップルが座るのを見ながら、問い返す。


「次はどうしたらいいの? あ、分かった。こっそりいなくなるつもりだろ」


「せっかちですねジミヘンさんは。そんなあなたに朗報です。用件なんてとっくに済んでいますよ」


「どういうことだよ」


 視線は正面のカップルに置いたまま、声の調子を強める憂。

 マチルダからの反応は無い。


 予感が的中して置き去りにされたのか、などと考えていたら――とんとん、と右肩を叩かれた。

 直後、後ろから「もう動いていいですよ」とマチルダの平坦な声が聞こえてくる。


 なにやら試されているようだ。

 意図は不明だがこういう時は間を置かず反応するべきだろう、と結論して。


 憂は叩かれた右肩の方――ではなく、反対の。

 左後方へ首を回した。


 ちょっとした反発心というか遊び心というか、茶目っ気を見せてみたのだけれども――そんなものはお見通しだとでも言うように。

 振り向いた憂の左頬に、ピンと伸ばされた人差し指が刺さった。


「あったりー」


 なんて微笑みながら、更に指を押し込んでくるのは、夜々。

 いつの間にやって来たのか。


 憂の小癪な反抗を看破した上でのいたずら成功が嬉しいのだろう、夜々の笑みは深まるばかりだ。

 本来の形へ戻って行くような自然さで。

 鈴を転がすように笑っている。


 無邪気な姿に憂が口元を綻ばせると、同様に穏やかな顔をしていたマチルダが無表情に戻って、言う。


「では、私はこれにて失礼します。パトロンダリングの時間ですので」


 淡々とよく分からないことを言い残し、引き止める猶予すらこちらに与えずマチルダは去って行った。

 結局彼女の目的はなんだったのか。いつもこんな感じではあるけれど。


 夜々へ視線を移すと、頬を突っついてきた右手でピースサインを作っている。

 左手には淡い黄色の巾着袋。

 それを自身の顔の横へ持ってくると、揺らしながら、首を傾けて言う。


「お昼、一緒にいかがかな?」

「喜んで――あっ!」


 答えた直後、自身が後手を踏んだことに気付いた憂は、まるで夜々が取り戻しようのない過ちを犯してしまったかのように驚いてみせる。

 しかし夜々は動じない。


「葉火ちゃんから聞いてる! その手は私に通じない!」


 奇策を真っ正面から受け止め、切り捨てる夜々だった。

 憂は通用すると考えた自身の不明を恥じた。


「バレちゃ仕方ない。それじゃあ、是非ご一緒させてもらえるかな。といっても僕、お弁当無いから買いに行かないといけないんだよね。ちょっと待っててもらえる?」


「その心配はいらないよ。憂くんの分、作って来たから」


 ぺかーっと笑って巾着袋を再び揺らす夜々。

 中には二人分、二つの弁当箱が入っているらしい。

 それはつまり、夜々の手作りお弁当を食べられるということだった。


 めちゃくちゃ嬉しい。

 サプライズということもあって嬉しさは留まることを知らない――いや待てよ、サプライズ? 引っ掛かりを覚えつつも、しかしまずは夜々へ感謝を伝えることにする。


「夜々さん。まず最初に、ありがとう。古今東西、様々な創作物における昼休みに彼女の手作りお弁当を味わうシチュエーションへ人並みかそれ以上の憧れを持つ純情な僕としては、こんなに嬉しいことは二つとない。だから、ありがとう」


 はしゃぐ気持ちを押さえつつ、しかし抑えきれず早口で捲し立て、一度大きく息継ぎをする。


「それはそれとして、一つ聞きたいんだけど。僕がお弁当持って来てたらどうするつもりだったの?」


「…………」


「もしかしてさ、今朝、僕の母さんが奇妙な行動したことって関係ある?」


 夜々はぽーっとして答えない。

 息継ぎの際に酸素を使い過ぎてしまっただろうか。


「夜々さん?」

「え? あ、ごめん。なになに、なんでしょう。ごめんごめん」


 はにかみながら、胸の辺りをポコポコ叩いてくる。

 憂はもう一度同じ問いを投げた。


 すると夜々はブンブンと頭を振り、乱れた髪を整えることもせず、「よくぞ見破った!」と元気溌剌。その声はよく通った。


「私と渦乃さんは繋がっていたのだ! 憂くんには悪いけどお弁当の邪魔させてもらったよ!」


「どうしてまた。言ってくれれば良かったのに」


「びっくりさせようと思って! くりまんじゅう! 甘栗欺いちゃいました!」


「夜々さんは今日も可愛いねえ」


 サプライズをしたかった、というのも本心だろうけど、ハードルを上げたくなかったのもあるんだろうな、と憂は思った。


 楽しみで眠れなかった、だけどずっと夢に見てた。

 とかそんなこと言いそうだよな、僕。


「購買に行くと読んで、マチルダちゃんに足止めをお願いしたの。三耶子ちゃんにお願いしようと思ったんだけど、返事なくって」


「実はまだ学校に来てないんだよ」


「そーなの!? 風邪とか引いちゃったのかな」


「熱があるのは確かだけど、熱心というかなんというか……」


 憂は、昨晩三耶子と通話しながら勉強もといゲームをしたことを思い出す。

「将来的に間違いなく役に立つはずよ。大人の階段をのぼりましょう」と豪語する古海の三耶子ちゃんと共に、麻雀へ手を出したのである。


 基本的なルールと役をいくつか覚えただけなので、お互い素人の域を脱することはできなかったものの、とても楽しい時間だった。次回も約束している。


 学校で寝るなんて三耶子は言っていたが、空が明るくなる頃に力尽きて眠ってしまったのだろう。可愛い人である。


「心配いらないよ」


 不思議そうに首を傾げる夜々へそう言って、憂は巾着袋を見つめながら、遠慮なく。


「ありがとう夜々さん。いただきます」

「うむ。どうぞ召し上がれ!」


 そして二人は、歩き出す。



 〇



 マチルダの許可を得ている、ということで二人はゴシップ同好会が根城とする物置部屋へやって来た。埃っぽい空間で食事をするのはどうなんだ、と危惧していたが、意外にも室内は綺麗に清掃されていた。

 以前と違い埃の塊は転がっていない。


 奥の机に袋を置いた夜々が、早く早く、と手招きをする。

 奥へ進み、なぜか新調されているらしい椅子に腰を下ろし、机を挟んで向かい合う。


「私をチョコレートだけの女の子だと思っちゃダメだよ。ちゃんと料理の腕も磨いているのさ」


 袋から取り出した弁当箱を憂の前に置き、夜々は胸を張る。


「さすが夜々さん。虎南ちゃんと、一緒に?」


「うん。だけど作業は全て私が担当したから、安心してね」


「安心……」

「なにかな?」


 夜々がジト目で睨みながら手を伸ばしてきたので、憂は弁当箱を手に取り抱きしめるようにした。

 没収されては堪らないので、早速いただくことにする。


 蓋を開けると中には彩り鮮やかな料理が整然と詰められていた。

 卵焼きにアスパラのベーコン巻き、ポテトサラダ、ミニトマトやブロッコリー。

 そして前回のリベンジとでも言うように、焼き目の綺麗なミニハンバーグがお米の上に鎮座している。


「めちゃくちゃ美味しそう……絶対美味しい、ありがとう夜々さん」


「うむ。言っとくけど、ほんとに私が作ったからね」


「疑ってないよ。少しも」


 憂が声を弾ませると夜々は照れくさそうに左手の指に髪を巻きつけ、右手で袋から取り出したお箸を差し出してくる。

 受け取ろうと憂は手を伸ばしたのだが、なぜか引っ込められた。


「食べる前にちゃんと言わなきゃだよね」


「……? いただきます」


「この間のやつ教えて! 私に言いたいことがあるって、ほら、忘れたとは言わせないよ」


「あー……」


 身を乗り出してくる夜々。

 あれはそのまま意趣返しで意味深な言葉を吐いただけだから、日が空いたのもあって、改めて問われると答え辛い。

 とはいえこれ以上勿体ぶると夜々ちゃんが拗ねてしまいそうだし、自分の首を絞めることにもなりそうなので、憂は素直に白状すると決めた。


「あれは夜々さんにやられたことをそのままやり返しただけだよ。僕のこと考えてて欲しかったから」


「……ほんとに?」


「本当に。僕が夜々さんのことばかり考えてる分、夜々さんが僕のことばかりを考えてくれれば釣り合いが取れる。違うかな?」


「違わない……かも」


 納得してくれたのか呆れているのか、夜々が項垂れてしまったので分からないが、箸を受け取ることができた。


 憂は何度も感謝を告げ、いよいよ夜々のお手製弁当に箸を付ける時がやってくる。

 さてどれから食べようか。

 真剣に吟味していると、夜々がこちらをじっと観察していることに気付いた。


 両手を組み合わせ祈るような体勢で、目を輝かせそわそわと、前のめり。


 そんな可愛い姿を見つめながら、憂は一番手を卵焼きに決め、口へ放り込んだ。

 甘味があって口当たりが良く、素直に美味しい一品だった。


「すごく美味しい。卵が先か卵焼きが先かってジレンマがあるけれど、これは明確に卵焼きが先だと結論せざるを得ないね」


「……褒められてる?」


「僕はこれを、毎日食べる」


 言語野に異常があると思ったのだろうか、夜々は困惑しているようだった。


 続けて他の料理にも手を付けていく。どれもこれも、かつてハンバーグとミニトマトを焦がした人の物とは思えないくらい美味しかった。

 夜々は自分の分を食べるでもなく、ただただ、憂が食事する姿を見て柔和に笑んでいる。

 

「夜々さんも食べなよ。美味しいから」


「そっかそっか、良かったぁ。安心したよ。虎南と遊んでくれたお礼も兼ねてるから、不味かったら憂くんの記憶を消さなきゃだった」


「……どのようにして?」


「えっへへー」


 満面の笑み。一番怖い回答だった。

 さてはでんきタイプのネズミを頭の中に潜り込ませるつもりだな、そうに違いない。


「でもさ、本当に凄いよね。こんなに上手になってるなんて、正直驚いた」憂は言った。


「お母さんと渦乃さんがたくさん教えてくれたの」


「友達の交友関係に自分の母が含まれてるの、結構複雑だよ」


「今度、温泉でも行こうって話になってるんだよ。虎南と氷佳ちゃん、三耶子ちゃんに葉火ちゃんも呼んでさ。女子会ってやつだね」


 なにやら楽しそうな計画が進められているらしい……男子勢は各々好きに生きていくことにしよう。


「土産話楽しみにしてるから、是非聞かせてよ。あんまり羽目外しすぎないようにね――って母さんに伝えとく」


「憂くんは渦乃さんのことも大好きだよね」


「それは冗談でもマジでやめて」


 母親が大好きなんてキャラ付けをされては今後の人生に関わる。

 憂はすぐさま話題を逸らしにかかった。


「夜々さんも気を付けてね。葉火ちゃんが言ってたよ。自分より夜々さんと三耶子さんの方が肉食だって」


「……もー、葉火ちゃんってば。なにを言ってるのかしらね」


「詳しく聞かせてよ」


 照れくさそうに頬を掻きながら、夜々はこほんと空咳をする。

 そしてとぼけるように唇を尖らせ、「それよりも」と目を細めた。


「葉火ちゃんといえば。ポッキーゲームやったんだってね。楽しかった? 詳しく聞かせてよ」


「やってない。やったこともない。だから、夜々さん達の方が詳しいと思うよ」


「ふーん、ほんとかなぁ」


「ほんとだもん」


 ぶりっ子をやってみた憂はさておき。

 夜々は自分の弁当箱の蓋を開けると、からかうような表情で、試すようにこう言った。


「じゃあ……やってみる?」


 小動物らしからぬ妖艶な笑みに、憂は目を奪われる。

 思わず背筋を正し、硬直していると。


 夜々が焦らすように息を吐き、


「アスパラだけど」


 ――と。

 お弁当箱からアスパラを一本、箸で引き抜き顔の前に翳した。


 アスパラガス。

 確かに、細長くはあるけれど。

 あるけれども――アスパラを端から食べ合う絵面を想像すると、笑えるくらい間抜けだった。


 だから憂は、堪え切れずに笑ってしまう。

 すると夜々も嬉しそうに、それこそが求めていた反応だと言うように、満足げな笑い声をあげた。


 二人は顔を見合わせて笑い、落ち着いて――再び笑い合う。


「いくらなんでもって感じだよね」と、憂。


「だね。むしろ逆に、抵抗なくいけちゃうかも?」


「そんな気がするから、尚更やめとこう。始まっちゃったら我慢できる気しないし」


「でき……」


 雑談もこなしてはいるが、憂の意識の大半はお弁当へ割かれている。

 あっという間に残り僅か。名残惜しくて手を止めているが、再開したらそのまま完食まで突っ走ることだろう。

 そういえば三耶子さんが弁当を倍にする方法を知っていたような。

 などと考えていると。


「……それってさ。どうなっちゃうのかな? 私」


 夜々が呟くように言いながら箸を置き、腰を上げ、椅子ごと憂の斜向かいへ移動する。憂の右足に、夜々の両膝が当たる。


 そして――夜々は。

 なんのつもりかアスパラを一本摘まみ上げると、端っこを咥え、「んー」と突き出してきた。

 先日の葉火と同じように。

 やれるものならやってみたまえ、といった感じ。


 おいおい葉火ちゃんでもヤバかったのに、夜々ちゃんまで。

 流行ってるのだろうか、この遊び。

 もしくは僕を弄ぶ行為。


 憂は姿勢を正し、夜々に身体の正面を向ける。


 さて葉火に仕掛けられた際は初めてということもあって面食らってしまったが、二度目となると落ち着いて対処できる。


 ――全く葉火ちゃんも夜々さんも僕を見くびりすぎだ。


 確かに去年までの自分であれば、何度目であろうとみっともなく狼狽え泣き喚いて許しを乞うただろうが、あの頃とはもう違う。むしろ自分から仕掛けてやりたいくらいだった。


 そうだ、彼女達はとにかく距離感がヘンテコなので、ここらで一度痛い目を見せてあげた方がいいかもしれない――ということにして。

 あくまで彼女達の今後のため、という言い訳をして。


 ぶっちゃけてしまえば、好ましく思ってる女の子にこんなことされて我慢するのは無理ってだけなんだけど。


 とにかく。

 夜々が憂の奇策を真っ向から打ち破ったように。

 こちらもまた、真っ正面から叩き伏せてやるのだ。


 決意と共に憂は腰を上げ、前かがみの姿勢になり――夜々が咥えるアスパラ、その端に噛み付いた。

 すると。


「――っ!?」


 夜々は悲鳴ともつかない声を漏らすと目を皿のようにして、大きくのけ反った。

 そして、硬直。

 瞬き一つせず、ぴくりとも動かない。


 かくして夜々との勝負に正面突破で勝利した憂は、アスパラガスを吸い込むように口へ入れた。

 咀嚼して、飲み込む。しっかり味が付いていて美味である。


 ――などと余裕ぶってはいるが、憂は調子に乗りすぎたと内心バクバクである。

 毎度こうなのだ。無茶ではないと判断して行動したはずなのに、いざ結果を前にすると後悔してしまう。


 世の中は理不尽なのだ。

 結果が確定するまでの間に全てが覆ることもありうるのだ。


 あんなポーズを取っておきながら「そんなつもりじゃなかった」なんてドン引きされることも十分にあり得る。

 いや、夜々さんはそんなこと言わない。


 錯乱中。

 渦巻く思考をまとめようと必死になりながら、いまだ固まって動かない夜々を見つめる。


 どれくらい経ったか――恐らく数秒しか経っていないのだろうけれど、ようやく動き出した夜々は「な、な、な」とたっぷり溜めて、


「なーーーーーーーっ! なにしてんのなにしてんのなにしてんの!」


 椅子から立ち上がると一息に憂へ迫り、両肩を掴んで激しく揺さぶり始めた。

 

「びっくりした! びっくりしたー! ひゃー! なにしてんの!」


「だ、だって」


「だっても明後日もないよ!」


 興奮気味に言葉を並べる夜々が、頭をぺしぺし叩いてくる。

 悪かったとは思うけれど、微妙に腑に落ちない。


「おやめくだされ。嫌な思いさせちゃったなら、謝ります。でもさ、夜々さんにも非はあると思う」


「嫌とかじゃないよ。全然、嫌とかじゃ、ないの。びっくりしちゃってさ」


 ごめんね、と済まなそうに髪の毛を整えてくれる。


「嫌じゃないなら、良かった。でも覚えといてよ。僕にも我慢できない瞬間ってやつがある。あんな風に挑発されちゃ勘違いだってするし、今後同じような状況があれば、同じことをする自信がある」


「……誰彼構わずこういうことするの良くないと思うな」


「そう思われるのは心外だ」


 そう言って、憂は続ける。

 いつか貰ったセリフを。

 そのまま、返す。


「夜々さんだからだよ」


 すると夜々は「や、やられた……」と顔を覆い、椅子に座り上体を倒した。


 勝った。

 この勝利にどんな意味があるのかは分からないが、とにかく勝った。

 憂は鼻高々に誇らしげに、夜々の頭頂部をじっと眺める。


 そうしていると。

 今度は、夜々から。


「……ねえ憂くん」

「どうしたの夜々さん」


 返事をすると、夜々が少しだけ顔をあげ、手をずらして上目遣いでこちらを見る。

 そして、恥ずかしそうに。

 拗ねるように。

 嬉しそうに。

 わがままっぽく。

 甘えた口調で。

 言った。


「……私にも、あるんだよ? 我慢できない瞬間」

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