ふにゃっとしたえぴろおぐ

 ハッピーエンド――そして、エピローグ。

 エピローグのようなもの。

 名瀬一家からの、お礼の話。




 文化祭から一週間が経った、日曜日のこと。

 生活の一部にアルバイトが戻ってきた憂は、この日も朝から労働に精を出し、十三時になると髭親父に挨拶を済ませ店を出た。

 歩きながら、伸びをする。


 すっかり日常。

 時の流れは早くも文化祭を思い出に変えようとしていた。それだけ非日常を抜けた先も楽しんでいるということだろう。


 さて休日はまだ残っているから、帰って氷佳と遊ぶとしよう――いや、友達に声を掛けてみるのもいいかもしれない。憂は冴えた閃きだと自分を褒めた。


 友達とは学校でも毎日顔を合わせているが、中でも門限が伸びたらしい葉火とは放課後まで一緒にいることが多いが、だからといって飽きるものでもない。


 それに、最近は夜々と話す時間も少なくなった。学校が終わると真っすぐ家に帰るようになったためだ。


 それは嬉しいことだった。

 出会ってから傍に居てくれることの多かった夜々と過ごす時間が減ったのは、素直に寂しいが――家族と作る時間を大切にしていることは、やっぱり、とても、嬉しいことだった。


 なんてことを考えながら歩いていると、物陰から小柄な人影が現れた。


「こんにちはぁー! 呼ばれて飛び出てジャンバラヤ! 名瀬虎南です! 姉倉先輩、迎えに来ましたよ!」


「……こんにちは。虎南ちゃんは、ジャンガリアンの方が似合ってると思うよ。迎えに来たってどういうこと?」


「今日は名瀬一家のありがとうキャンペーン第一弾をお見舞いしてやろうかと。ご自宅へ伺ったらこちらにいるとのことでしたので、ロールスロイスもしくはカールルイスよろしく走って来た次第です。さあ、我が家へ来てもらいます!」


 無駄に情報量を多くする妹ハムスターが腕を掴み引っ張ってくる。


「どういうことか詳しく説明してくれ。いきなりすぎる。服装とか、手土産とか、準備する時間が欲しい」


「服装ってなんですか? 特にセンスが奇抜なわけでもない無難な私服に見えますよ。似合ってます。かーっこいい!」


「トータル貶されてるように聞こえるぞ。別に背伸びしようってわけじゃなくってさ。ただね、男の子には無性にスーツを着たくなる日があるんだよ」


「結婚の挨拶でもするつもりですか? それは日を改めてください。緊急事態ですから対応する余裕はありません」


 緊急事態といういかめしい響きに憂は眉をひそめる。ありがとうキャンペーンという温かな触れ込みはどこへ消えてしまったのだろうか。


 歩きながら説明するとのことだったので、とりあえず虎南についていく。


 話によると、一昨日、金曜日の晩から夜々が体調を崩し、土曜日には熱が出て、だから家族みんなで片時も傍を離れない献身的な看病を行った――結果として、虎南ちゃん以外全滅したのだそうだ。

 家族全員風邪でダウン。

 名瀬虎南、超元気。


「虎南ちゃんが探偵役の小説はスィリー小説って感じだよね」


「……? とにかく、わたし一人では大変なので看病を手伝ってください」


「そういうことなら、僕は構わないけど……大丈夫なの?」


「許可は取ってあります。お姉ちゃんも、みんなに見舞って欲しいけどうつしちゃ悪いと思ってるみたいですよ。なのでわたしがお声がけして回ってます」


 葉火と三耶子も来る、とそこまで言って虎南は挑発的な顔で間を取ると、決め台詞のような調子で言い放った。


「おめでとうございます。いまのお姉ちゃん、ものすっごく甘えん坊ですよ。独り占めしたいところですが、特別に」


「なるほど、それでありがとうキャンペーンってわけだ。そこまで言われちゃ仕方ない。僕は年上だから虎南ちゃんの顔を立ててあげよう。僕のお兄ちゃん力で夜々さんを甘やかす」


「乗り気ですね! では行きましょうか! 位置について、直行!」



 走り出した元気印を引き止めドラッグストアに立ち寄り、両手にビニール袋を携え、名瀬宅へ到着した。前に遠目から見た小綺麗なマンションの八階、六号室。覚えやすさに憂は大変驚いた。

 はむはむ。


 虎南に招かれるまま「お邪魔します」と中へ入り、廊下を抜けてリビングへ。広々とした空間に委縮しながら、憂はダイニングテーブルに荷物を置いた。


「キッチンと冷蔵庫はお好きに使ってください。少々お待ちを」


 そう言い残して虎南がリビングを出て行った。

 一人残された憂は買ってきた品を袋から取り出し並べ終えると、ソファ、テレビに掛け時計と視線をうろつかせ、やがて隅に置かれた観葉植物へ目を遣り、虎南を待った。


 しばらくして戻って来た虎南が微笑んで言う。


「お父さんとお母さんと暁東、すやーっと眠ってました。そちらはわたしにお任せください」


「ご家族の分も買ってあるから、好きなの食べてもらってよ」


「ありがとうございます。お支払いは後日父から」


 丁重にお断りをして、冷やす必要のあるものを冷蔵庫に仕舞ってもらった。許可を貰ったとはいえ無闇に冷蔵庫を触るのは躊躇われる。

 手間は掛かるが虎南経由で取り出そう――と、決意した折。


「で……は! わたしは古海先輩と葉火さんを迎えに行ってきます。留守は任せました。知らない人が訪ねて来ても出ちゃダメですよ」


「待て待て待て! 待てっ!」


 出て行こうとする虎南の両肩をがしっと掴む憂。


「どうしたんですか姉倉先輩。いいですか、これはありがとうキャンペーンなんですから、わたしがお二人を迎えに行くのは当然です。しかし、家を空けている間に家族の身になにかあったら大変じゃないですか」


「僕のところへ来ている間はどういう対策を講じていたのか答えてみろ」


「黙秘権! あ、そうでした。肝心のお姉ちゃんの部屋を教えてませんでしたね。様子を見に行くとしましょう」


 憂は決して虎南の肩から手を離さないまま、夜々の部屋まで移動する。

 ドアの前で声を落とした虎南が「いきますよ」と言い、ノックもせずにゆっくり押し開けた。


 おずおずと中へ入る。

 六畳半ほどの部屋。向かって正面、一番奥に窓がある。その手前、窓と水平になるように設置されたベッドの上で布団が丸く膨らんでいる。

 室内は綺麗に片付いているが、それが夜々の性質によるものなのか、前日の看病における結果なのかは分からなかった。


「寝てますね」虎南が小声で言った。


「怖い夢を見てないかな? 心配だ」


 平静を装っているが、憂は現在気が気でない。悪いことをしているようで背徳感が湧いてくる。けれど引き返すことはしない。


 なんとか落ち着こうと視線を散らすが、チェストの上の奇妙なぬいぐるみや壁に貼られた珍妙なポスターがいちいち夜々らしさを主張してきて、可笑しさと緊張が一斉に飛び掛かってくる。


 なんだあのぬいぐるみ。

 絶対市販の物じゃない。

 この世の物でもないかもしれない。


 とにかく浮ついている憂は、だから「体温計を取ってきます」と言い出した虎南をみすみす解放してしまう。気付いた時には遅きに失していて、慌ててリビングに戻るも虎南の姿はなく、玄関を確認すると靴が無くなっていた。


 あの小娘――追いかけようと思ったが鍵を持っていないし……などと色々言い訳をしつつ、夜々の部屋へ戻る。夜々の顔を見ておきたい欲が勝ってしまったのだった。


 ということで音を立てないようベッドへ近付き、膨らんだ布団を上から眺める。どうやら丸まって中に籠っているらしい。

 可愛い生き物である。


 なにか異変が起こっては大変なので、憂はひとまずベッドの傍らに正座をした。


「……んー」


 すると、布団の中から夜々の声が聞こえてくる。

 憂は「大丈夫?」と虎南の物真似で問いかけた。クオリティは甘く見積もって中の上くらいだが、疑われた様子はなく、膨らみがもぞもぞと動く。


 それから憂の視線の先を狙い澄ましたかのように――布団からひょこりと頭が生えてきた。顔はほんのり赤く、おでこに冷却シートが貼られている。


「虎南――」


 と言いかけて、夜々はぱちくり瞬きを繰り返し、やがてその目を大きく見開くと――勢いよく布団の中へ頭を引っ込めてしまった。


「おはよう夜々さん。お邪魔してます。体調はどう?」


「なんでいるのぉ……」


 恥ずかしそうに悶えているのが分かる声。

 憂は塊に向かって虎南から事情を聞きお見舞いに来た旨を簡潔に説明する。あの野郎、許可取ったって嘘じゃねえか。


 聞き終えた夜々が申し訳なさそうに言う。


「そういうこと……ごめんね……うつしちゃ悪いから、帰ってもだいじょうぶだよ」


「迷惑だったら帰るけど、僕としては看病させて欲しいかな。ご家族みんな体調崩してるらしいし」


「迷惑じゃないけど……」


「安心してよ。看病には慣れてる。今日は特別に氷佳待遇を約束するよ」


 憂が自信満々に自身を売り込むと、しばしの沈黙を置いたのち、夜々はゆっくり頭だけを出して、遠慮がちながら嬉しそうに微笑んだ。


「じゃあ、お願いします」


 了承を得たので、憂は勢い込んで立ち上がる。


「任セロリ。それじゃ、まずは。お腹空いてる?」


「ちょっぴり」


「色々準備してあるから食べたい物を言ってよ。お粥、スープ、うどん、ゼリー、ヨーグルト、プリン、りんご。お粥はリクエストがあればキャラ弁ならぬキャラお粥も作れる」


「気になる……けど、りんごがいいな」


 分かった、と力強く頷き憂は一度リビングへ移動する。

 虎南がいないため謝りながら冷蔵庫を開け、りんごを始めいくつか取り出し、飲み物を袋へ突っ込み、キッチンでコップを拝借して水を注いで、夜々の部屋へ。


「いまから剥いてくる。良かったらこれでも飲んで待っててよ」


 スポーツドリンクと栄養ドリンク、のど飴を袋から出してサイドテーブルに乗せる。コップは倒してしまわないよう少し離れた場所に置いた。


「この水は飲まないようにね。気休め程度の乾燥対策だ」


「心遣いがすごい……お母さんみたい」


 再びリビングへ行き、キッチンでまな板と包丁をお借りして、りんごの皮を剥く。一口大にカットして皿に盛りつけ、フォークを持って夜々のところへ戻る。


 夜々は身体を起こしヘッドボードを背もたれにして座っていた。布団にくるまっていて、相変わらず頭だけが見える状態だ。


 憂はベッドの横で膝立ちになり、フォークでりんごを刺し、夜々の口元へ持っていく。


「じ、自分で食べれるよ」


「そういうのは元気な時でいいじゃん。今日は思い切り甘えてもらわないと」


 本日の夜々は氷佳待遇である。憂を止めたければ息の根を止めるしかない。

 余談だが氷佳は何度か憂の息の根を止めかけたことがある。


 それはともかく。

 憂が折れないと分かったのだろう、夜々は照れくさそうにはにかんで、ゆっくり口を開けた。元々小さな口を控えめに開いているため、果たしてりんごが入るのか心配になったが、唇の間を滑らせるように押し込んでみる。


 夜々がりんごを咥えたので、フォークを引き抜く。

 次弾を装填して構えると、夜々はしっかり噛んで飲み込み、「うむ。大儀である」と満足げに唸った。


 それを何度か繰り返して。

 半分くらいを食べた辺りで、夜々からストップが掛かった。


「ありがと。また後で食べる」


「そっか。食べたくなったらいつでも言ってよ」


 憂は皿をリビングへ運び冷蔵庫に戻して、新たな装備を携えて往復を済ませると、「ちょっと失礼」と告げ夜々のおでこへ手を伸ばす。


 なんだね、と慌てる夜々から冷却シートを剥がし、虎南が用意していた七つ道具が一つ、柔らかいタオルで首から上を拭いた。


「は、恥ずかしい……」


 目を閉じながら呟く夜々。

 憂は続いてヘアバンドで夜々の前髪を上げ、おでこに新しい冷却シートを貼りつける。ヘアバンドを取ると、夜々は一度布団に潜り――再び首から上を出した時には髪型がいくらか整えられていた。


 言葉通り恥ずかしかったのだろう、ちょっぴり不満そうに唇を尖らせている。

 お兄ちゃんモードの憂は「これで良し」と笑いかけ、次の行動を探し始めた。


「薬は飲んだ?」

「うん、朝飲んだ」


「そっか。それじゃ……次はどうしようかな。着替え、手伝おうか?」

「絶対やだ……」


「歯磨き」

「だいじょぶ」


「絵本の読み聞かせ」

「だいじょぶです」


「手を握っててあげる」

「それはお願いしよっかな」


 突破口を見つけたとばかりに元気を取り戻し、からかうような笑みを作る夜々だったが、首から下を出すことに抵抗がある現状に気付いたらしく、途端にしょんぼりした。

 繰り返しにはなるが、可愛い人である。


 さて基本的に自己満足を押し付けるきらいのある憂は、ここでようやく申し訳なさを覚えた。やりすぎたかもしれない。

 こちらのノリに付き合わせすぎた。


「ごめんね夜々さん。からかいたかったわけじゃないんだ。最近ゆっくり話せてなかったから、嬉しくて」


「…………うむ」


「それじゃ僕はリビングへ戻るよ。しばらく居るから、なにか必要になったら遠慮なく呼んでね」


 人がいると気になって眠れないかもしれないので、憂は立ち上がり部屋を出ようとする――と、背後から「待って」と投げかけられた。

 振り向くと、布団から右手をちょっとだけ出した夜々が手招きをしている。


「私も……寂しい。だから、もうちょっと」


 そんな風に言われては断れるはずもなく、途端に恥ずかしさが込み上げてくるのを感じながら、憂はベッドの傍へ行く。


「じゃあ、お言葉に甘えて。どこに座ろう。おすすめの場所とか……ある?」


「無いよ……好きに座って」


「じゃあ部屋の隅っこに」


「近くがいい」


 話し合いの結果、夜々に背を向けて腰を下ろし、ベッドを背もたれにする形となった。位置としては辺の中間あたり。

 これで夜々の肩が凝っても足を攣っても、理論上速やかに対応できる。

 顔が見えないからか妙に緊張し、憂は背筋を伸ばした。


 すると。

 その後ろで夜々が横になり、もぞもぞ動いたかと思うと、布団越しにつま先で憂の首をつっつき楽しそうに笑った。

 憂は思わず変な声を出してしまったが、夜々が思っているよりも元気そうで安心した。


「体調、どう? 気分悪くない?」


「みんなで看病してくれたから、大分楽になったよ。もう治ると思う。ありがとね、来てくれて」


「いつでも呼んでよ。次は加湿器を持ってくる」


 いくつか言葉を交わしたのち、静寂が落ちてくる。

 居心地は、悪くない。

 以前夜々がなにも言わず隣に居てくれたことを思い出し、自分もあんな風に安心感を与えられていたらいいな、と思った。


 しばらく沈黙を楽しんでいると。


「あのさ。前に私が、改めて考えたいことがあるって言ったの、覚えてる?」


 夜々が言った。


「覚えてるよ。大したこと、だよね。屋上で話した」

「そ、将来の話」

「なにか決まった?」

「うん。決めた」


 てっきり決めた内容を教えてくれると思ったのだが、


「もうちょっと経ったら、また放課後遊ぼうね」


 夜々は父親と同じく過程をすっ飛ばした。


「……将来の話は?」

「ないしょ」


 憂が振り向くと、夜々は布団の中に頭を引っ込め、大きな布団の塊となった。

 もしかすると布団の中にはもう一つの部屋が広がっているのかもしれない。


 視線を正面へ戻すと、またしても夜々が唐突なことを言う。


「ね、憂くん。手出して」


「手? 奥の手ってこと?」


 違うらしい。

 再び後ろを向くと、頭を出したハムスターに移動するよう求められ、夜々の顔が正面となる位置へ座り直した。


 言われるがまま、左手を出す。すると布団から両手が生えてきて、左手を掴まれる。

 夜々は憂の手を引き寄せると――手の平に自身の頭、正確には頬っぺたを合わせ、枕のように下敷きにした。

 布団と夜々の頬に左手を挟まれ、憂は震え上がる。


 やわわわい。

 なにをしてるんだこの子。

 甘えん坊すぎる。

 聞いてた話より甘えん坊すぎる。


 手を引き抜きかけるもぐっと堪え、成り行きを見守ることにしてみたが、夜々はなにか言うでもなく目を閉じ、気持ち良さそうな顔。

 指先をわずかに動かしてみるも反応はない。


「……夜々ちゃん?」


「んー……さいしょは……」


 舌足らずなセリフを残し、やがて夜々はすーすーと穏やかな寝息を立て始める。

 そこで憂はセリフの続きが「ぐー」だと気付き、この子の寝顔にグーグーってオノマトペは似合わないなと笑った。


 すやすや。

 そんな感じだ。


 あまりに無防備なので頬の一つでもつっついてやろうかと思ったが、ふと頭をよぎった一つの可能性が、あまりにも真実に触れている気がして、だから憂は、念のため声を落として、言う。


「夜々さん、起きてるでしょ」


 過去にも一度同じ手を食らっている。

 手を食らわれているような構図のおかげでピンときた。


 憂がじっと寝顔を見つめていると、夜々がゆっくり目を開け――


「……バレた?」


 と、無邪気に微笑んだ。


 本当にこの人は――憂も同じように笑うと、夜々は嬉しそうに笑みを深める。

 あざとい人だ。きっとこのまま指摘しなかったら、寝言を装って更なるあざとさを炸裂させたに違いない。


 病人にすべきでないかもしれないが、カウンターをお見舞いしよう――と、なんと言おうか悩んだ末、結局憂の放った言葉は、シンプルだった。


「早く元気になってね」

「うん」


 もっとも、既に元気を取り戻している気もするけれど。

 それならそれでいい。


 笑い合う憂と夜々。

 そこで部屋の外から声が聞こえてくる。

 夜々が憂の手を離れ布団に引っ込むのと同時、扉が開いた。


「お邪魔します。夜々ちゃん、元気? 加湿器を持って来たわ。無いって聞いたから」


「あたしはカレーパン買って来たわよ」


 小型の加湿器を抱えた三耶子と、紙袋を見せびらかす葉火。その後ろに虎南もいる。憂は立ち上がり、三耶子を招き入れ、虎南ごと葉火を部屋の外へ押し出した。


「食べるならベランダに出ろ。お見舞いに来て欲しくないキャラクターランキングの一位がカレーパンマンなんだよ」


「なに言ってんの意味分かんないわね。これは夜々達の分よ。お見舞い品食べるほど卑しくないわ。細長いし甘口だから平気でしょ」


「だってさ虎南ちゃん。良かったね」


「わたし元気ですよ?」


「ほら、虎南ちゃんって、風邪を引かないアレだから。お見舞いだよ」


 最近どんどんアホになってきている虎南は首を傾げると、憂の言わんとすることに気付いたらしく、顔に怒りを滲ませ――けれど配慮も忘れず、声のボリュームを抑えて「バカじゃないもん」と葉火に抱き着いた。


「葉火さぁん、姉倉先輩が意地悪言うんですよぉ」


「離れなさいよ、うつるでしょ。おバカが」


「葉火さんが意地悪言った!」


 三耶子が加湿器を設置するのを横目に、虎南を引き剥がした葉火が――カレーパンは廊下に置いた――ベッドに腰掛け、布団の膨らみを撫でながら言う。


「夜々、見舞いに来たわ。早く元気になりなさい。それにしても、なんだかにおうわね」


「そんなことないよ!」


 異論ありと夜々が頭を出す。


「お姉ちゃん! 叫んだら身体に悪いよ! 寝てて!」


 虎南が制止するのも構わず、夜々はなにかに気付いた顔をすると真っすぐに憂を見据え、一層声を荒げる。


「憂くん! いますぐ手洗って! 三耶子ちゃん、憂くん連れてって見届けて!」


「よく分からないけど完全に理解したわ。行きましょう憂くん」

 

 三耶子は抜群の適応力を発揮し、憂を部屋から連れ出したのだった。

 夜々の名誉のために記しておくと、葉火の発言は冗談である。部屋全体ものすごくいい匂いだ。


 病人の前で騒がしくして申し訳なかったが、順調に快復している夜々の姿に、三耶子も葉火も嬉しそうだった。



 それからはリビングを拠点に、虎南リーダーの指示の下、みんなで名瀬一家の看病をした。改めてお礼をする、なんて朝巳達から言われたが、憂としては楽しませてもらったので、むしろこちらがお礼をしたいくらいだった――


 ――と、まあ、そんな一日。

 そんな話。

 そんな気の抜けた――エピローグ。




 翌日、月曜日。

 夜々は大事を取って欠席、そして見事に風邪を貰った三耶子もまた学校を休んだ。


 憂と葉火は、元気に登校。

 お互いを虎南と同じアレだと言い合うのだった。


 三耶子のお見舞いにもカレーパンを買った葉火と、名瀬家と同じ物を用意した憂のどちらがアレなのかは、第三者に委ねることとする。

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