みんな、かっこ悪いね
まだ一歩目を踏み出しただけなのに、既に泣いてしまいそうだった。
後ろ手に扉を閉めながら、名瀬夜々は空を見上げる。
澄んだ青に筆を滑らせたような雲の浮かぶ空模様は、これまでにも幾度となく見てきたはずなのに、初めて目にするような感動があった。
――ダメ。泣いちゃダメだ私。これからが本番なんだから。
ずっと怖くて避けてきた現実と向き合うことへの不安――それもあるが、友達の優しさが嬉しくて嬉しくて、本当に嬉しくて、涙が溢れ出そうだ。
でも、泣かない。夜々は両手で自身の頬を張る。
いまの自分に涙を流す資格なんてない。
傷付いていない。戦っていない。みんなの優しさに応えていない。
大好きな友達の優しさを安っぽいものになんてするもんか――夜々は確固たる決意を瞳に灯し、更なる一歩を踏み出して、家族のもとへ歩んでいく。
虎南と大河がフェンス越しに校庭を眺めていて、その様子を朝巳が一歩引いた位置から微笑み交じりに見守っている。
夜々は朝巳の隣に並び、声が上擦らないよう意識しながら、話しかけた。
「楽しんでもらえて良かったよ。憂くん達が、気を利かせてくれてさ」
「そっか。感謝しないといけないね。夜々の、素敵な友達に」
朝巳が笑いかけると、夜々はくすぐったそうに頬を掻いた。
はにかむ夜々を見た朝巳は笑みを一層深め、正面を向き、
「それで――話というのは」
と、促してくる。
話したいことがあるから一緒に来て欲しい、夜々はそう告げて三人を屋上まで連れて来た。明るい調子で誘ってはみたものの、その前置きが無駄話へ繋がるものではないと、三人とも理解しているはずだ。
分かっているから、こうして寄り道をせず促してくれたのだろう。
大河と虎南が夜々へと向き直る。
夜々は正面の虎南、その隣の大河、自身の左横にいる朝巳と反時計回りに視線でなぞると、数歩右へズレて三人を視界に収めた。
「あのさ、みんなに話したいことがあって。それで……まずはね」
そう切り出して、夜々は先程叩かれた背中に熱を感じながら――葉火に押されるように、深く頭を下げた。
「――ごめんなさい! 家、帰らなくて! 理由も話さないで、変な態度取って……心配かけて、ごめんなさい!」
乱暴に吐き出すような勢いながら丁寧な発音で、伝わるように、伝えようとする。
「ずっと、謝りたかった。ごめんなさい」
「夜々。顔をあげて」
両肩にそっと手が添えられ、夜々は恐る恐る顔を上げる。
大河が優しく微笑んでいた。謝ることなんてなにもない、とでも言うように。
「お母さんこそ、ごめんね。夜々が何に悩んでいるのか、分かってあげられなくて」
「どうして謝るの。ずっと、私のこと心配してくれてたよ。私が、悪いんだよ」
「ううん。夜々が家に居たくないって思ったのなら、それは親の責任なの。子供が悪くて親が悪くないなんてことは、無いんだよ」
優しい言葉が心を揺さぶってくる。
ありがとうお母さん。そう言ってくれるのは心の底から嬉しいけど、やっぱり私が悪いから、謝らないでいいなんてことは、無いんだよ。
「理由を、聞いてくれる?」
夜々は言った。
大河と朝巳が頷き、虎南は不安げな表情で夜々を見る。
理由。
ここからが、本題。
夜々は一度口を開き、ゆっくりと閉じた。
ずっと抱えてきた不安を口にする――言葉にする。
とても難しくて、簡単なこと。そう、簡単なことなのだ。怖くなんてない。
怖いというのなら、こんなにも自分を想ってくれている母を信じられないなんて、それが一番怖いことだ――そして夜々は、語り始める。
「実はね、知ってるんだ。私は、お母さんと虎南と血が繋がってないって」
視線を逸らさず顔を上げたまま、迷わず、逃げずに家族の顔をその目に刻む。
夜々の言葉を受け、大河は肩を震わせ大きく目を見開いた。朝巳も、同じく。虎南は俯いていて表情が窺えない。
「中学生になって少し経った頃、お父さんの部屋で見つけちゃったの。産んでくれたお母さんが書いてた日記を。それを読んで、私はお母さんと虎南と、血が繋がってないんだって、知った」
夜々は一度言葉を切り、息を吸って、言う。
「それで怖くなっちゃったんだ。私と、虎南と暁東との間にある差が。お腹にいる子供を想う母親の気持ちを知ったから。私はお母さんと虎南と、家族じゃなくなるのが、怖かった。他人だと思われるのが、怖かったんだよ」
ずっと、怖かった。
いまだって怖くないぞと自分に言い聞かせてはいるけれど、気を抜けば目を閉じてしまいそうになる。
逃げるな。逃げるな私。
がんばるって言ったんだから。がんばれって言われたんだから。
夜々は真っすぐに大河を見る。
大河はいまにも泣き出しそうな顔で、苦しそうな顔で、
「――夜々!」
と、声を荒げ、感情的に荒々しく夜々を抱き寄せた。
そして、両腕で抱き締める。
叱るような強さで、けれど大切そうに。
抱き締めて、更に強く、抱き締める。
不思議と苦しくはなかった。
「そんなことは一度も思ったことない。私はずっと夜々の母親で、夜々は私の大切な娘。いまも、いままでも、ずっと」
「……お母さん」
「ごめんね。そんな風に思わせちゃうなんて――」
「違うよ! 私だって、お母さんのこと他人だなんて思ったことない。だから謝らないで。そんなこと言うなって……怒ってよ」
「怒ってる。本気で怒ってる」
大河は涙ながらにそう言って、「もう二度と言わせない」と続けた。
「うん。もう、二度と言わないよ。お母さん」
最初からこうなることを信じていたのに、いざ受け入れられると想像以上の安堵に包まれ、身体から力が抜けそうになる。涙腺も緩んでしまって、このままでは泣きそうだ。
泣いてしまったら、上手く話せなくなる。
まだ終わっていない。夜々は目元に力を込め、涙を押し留める。
大河の背に両手を回し――そのあたたかさにやっぱり泣きそうになったけれど、必死に堪えた。
しばらく夜々と大河は互いを確かめ合い、どちらからともなく離れ、同じような顔で微笑みあった。
そんな二人の様子を見ていた朝巳が、済まなそうに言う。
「夜々……せめて、私には話してくれれば」
「……できないよ。家族のために色々考えて、頑張ってくれてるって分かるから。立派な父親でいようとしてくれてること、分かるから」
だからね、と繋ぎ目を作って。
「ほんとは、お父さん達から話してくれるまで待ってるつもりだった。話しても大丈夫だって思ってくれる日まで」
「夜々、あのね――」
「大河さん」
なにか言いかけた大河を鋭く制した朝巳が、夜々の前まで歩み寄る。
そうして夜々と視線を合わせ、数度瞬きをしたのち、頭を下げた。
「……すまなかった、夜々。気付いてあげられなくて。私が、気付かなければいけなかった」
「……うん。気付いて欲しかった」
「すまない」
「じょーだんだよ」
と、夜々は朝巳に笑いかける。それは寂しさを誤魔化すための笑顔だった。
謝って欲しかったわけじゃない。
贖って欲しいわけじゃない。
もっと、たくさんの言葉が欲しかった。
お父さんは、言いたいことを言えているのだろうか。
一人で痛がろうとしていない?
父親である以上、家族の前で弱さを見せることはできないのかもしれないけれど――それは、窮屈じゃない?
言っていいんだよ、私達は一生、家族として、一緒なんだから。
言いたいことを言うべきなんだよ、と夜々は思う。
友達の顔を思い出しながら、そう思う。
「あのね、お父さん。私、友達ができた」
自分を特別だと言ってくれる、友達。
言いたいことを言い合える友達。
ずっと一緒に居たい友達。
「みんなが私を支えてくれた。だからこうして、自分から話してみようって思えたの。私は大丈夫だって、伝えようと思った。がんばれって言ってくれたから、がんばれる」
「……そっか。彼らには、本当に感謝しないといけない」
「私の、自慢の友達だよ」
「……そうだね。彼らは、眩しいくらいに真っすぐで、格好良い」
朝巳の言葉が自分のことのように嬉しくて、夜々は前のめりになって答える。
「ほんと、みんなかっこ良いよね。そういうとこが好き――そういうとこも、が正しいかな」
「そういうところ、も?」
「うん。みんなね、かっこ良いとこがたくさんあるんだけど、かっこ悪いとこも、いっぱいあるんだよ」
格好良いだけではなく、格好悪いところも、いっぱい。
誰かのために動き出せる、人を大切にできる優しい人。
素直じゃないしすぐ調子に乗って、やり返されちゃうところも、好き。
自分の好きに正直で、誰よりも器の大きな強い人。
意外と不真面目だし、変なこと口走って怒られちゃうとこも、好き。
誰よりも真っすぐで、生き方に迷いのない綺麗な人。
案外弱点が多いのに意地張って、痛い目みちゃうとこも、好き。
「かっこ悪いとこもあるから、好きなの」
弱い部分を見せてくれるから、心地が良い。
自分も強がらなくていいと思える。
あなたのことが必要ですって、補い合える。
かっこ悪いのは、悪いことじゃない。
「……うん、そうだ。かっこ悪くて、いいんだ」
夜々は友人達の姿を思い出しながら、嬉しそうに呟いた。
私にとって家族も同じ。
特別で、ずっと一緒。
だから格好悪い部分も見せ合いたい。
わずかに首を傾げた朝巳を、夜々は真っすぐに見据えた。
「私、かっこつけてた。言いたいこと、言えてなかった。上手くやろうとしすぎてたよ」
大事なことを言葉にする――自分だけそうするのでは意味がない。
父が言いたいことを言えないのも当然だ。
まずは夜々自身が、格好悪くても心の中身を全て吐き出さないと――応えようがない。応えたいと思えるだけの本気を見せなければ、自分を伝えなければダメなのだ。
夜々は言う。
「私はずっと、お父さんに不満があった。なんで話してくれないのって、理由があることは頭で分かってても、納得できなかった」
「……夜々」
「私は、私を産んでくれたお母さんのことも大切にしたい」
自分を産んでくれた、母親。
子を宿したと知ったその日から、毎日、一日も欠かさず日記をつけていた母。
ただの一度も後ろ向きなことを記さず、同じような日々を、同じくらい楽しそうに、違う言葉で思い出にしていた母親。
最後の日、最後の一行まで、大切なものを想い続けた、夜々の誇り。
「もしお父さんが、産んでくれたお母さんのこと忘れちゃってたらと思うと、怖かった。あの想いがなくなるのが、私はすごく怖かった! なかったことになんてしたくない! 私は、私には自慢のお母さんが二人もいるんだって、胸張って人に誇りたい! 何度でも、何回だって言い続けたい!」
勝手なことを言っている自覚はある。
自分のことしか考えていない、身勝手な自我。
わがままを、思うがままに夜々は叫ぶ。
「私は自分の大切を、一緒に大事にしたい! 家族と! 大好きな家族と! お父さんとお母さんと虎南と暁東と一緒に!」
だから。
だから――
「聞かせてよ。ちゃんと聞きたい。私のお母さんの話。虎南の、お父さんの話。全部聞いて、ちゃんと知った上で、私はいまを大事にしたい。私がそうしたいから、みんなにもそうして欲しい」
ずるい発言だと心底思う。
理想の押し付けだ。
父と母がどんな思いで新しい家族の形を築き上げたのか、知りもしないで。
だからこそ、その思いを知りたい。
知りたい。
知るために。
夜々は目を逸らさない。
「夜々。私は――」
言いかけて、苦しげに口を閉じる朝巳。
その先を引き取ったのは、大河だった。
「あのね、夜々」
「大河さん」
「ううん。私も、ちゃんと話さなきゃ。かっこ悪い話を」
今度は朝巳の制止にも構わず、大河は夜々と視線を交え、意を決したように表情を引き締めて、言った。
「私が朝巳さんにお願いしたの。夜々には話さないで欲しいって」
「お母さん、が……?」
「うん。どうしてかっていうとね……私は、夜々を取られたくなかった。夜々が、私をお母さんだって思ってくれなくなるのが、すごく、怖かった」
それは――夜々の抱えていた不安を、そっくりそのまま大河も持っていたという告白。
「だから黙ってて欲しいって、お願いしてたの。ごめんね……私、最低だ」
「お母さん……」
「私は、夜々を産んでくれたお母さんに感謝してる。それなのに……」
大河は目を伏せると唇を噛み、頼りない笑顔を作る。
それから。
「かっこ悪いね。余裕がなかったの。私は、三耶子ちゃんみたいに考えるべきだった」
「三耶子ちゃん?」
この場面で母から友人の名前が出てきたことに夜々は驚きつつ、黙って続きを待つ。
「さっきお話をした時に言ってたんだ。好きな人達の幸せ、その中に自分もいられたらって。素敵だと思った。どうして私はそんな風に、一緒にいようって思えなかったんだろうね」
ごめんね、と大河は消え入りそうな声で言った。
弱々しく、それでも笑おうとする大河を、夜々は、抱き締める。
大河が自分にそうしてくれたように。
母親が娘を抱きしめてくれたように。
今度は、娘から母親を。
抱き締める。
「……私こそ、勝手なことばっかり言って、ごめんなさい。そして、ありがと。そんなに大事に思ってくれて、嬉しいよ。お母さん」
「ごめんね。かっこ悪いね」
「言ったでしょ。かっこ悪いのが、良いんだよ」
夜々はぎゅっと目を瞑り、零れてくる涙を腕で拭った。
そのままの体勢で父を見る。
「お父さんもさ、思ってること、話してよ。お父さんが格好良いのは、十分知ってるから」
しばらく見つめ合い、互いに目と目で語り合う。
やがて朝巳が、観念したように大きく息を吐いた。
「……参ったな。本当に」
と、繋いで。
「夜々の言う通りかもしれない。確かに彼も、格好悪かった。格好悪いことを話す彼は、眩しくて、格好良かった」
真っすぐすぎて、こちらが曲げられてしまう。朝巳はそう呟いた。
彼、というのが誰なのか夜々には分からなかったが、きっと素敵な人なんだろうな、とどこかの誰かに感謝を送った。
朝巳は視線をさ迷わせたのち、こほんと咳払いをすると、夜々に視線を定め――
「私は、家族の前で格好良い父親でありたかった」
告白を、始めた。
格好悪さを、晒し始めた。
「悩んだり悲しんだり、弱っている姿を見せたくない。そうしなければ、家族を守ることなんてできないと、思っていた。私も怖かったんだ。頼りない父だと落胆されるのが。父親らしく振舞えなくなることが」
それは決して間違っていない。
朝巳が父親として強くあってくれたからこそ、支え続けてくれたからこそ、決定的な不和は生まれなかった。
「気付かされたよ。私は自分を棚に上げ、相手にだけ本音で話すことを求めていた。自分を知らず、自分を知らせず、相手のことを知ろうとしていた」
私は、怖がっていた――朝巳は声に力を込める。
「踏み込むことで生まれる変化を恐れていた。夜々と虎南と暁東とで、接し方が変わってしまうんじゃないかと、そんなことを恐れていた。すまなかった、夜々。私のくだらないプライドで、夜々を一人悩ませてしまった。本当に、情けない」
「……ううん、話してくれて嬉しい。私達、みんな、怖がりだ」
「……その通りだ。私も――怖かった。虎南の父親の座を、譲りたくなかった」
朝巳が虎南へ視線を転じ、「すまなかった」と頭を下げる。
夜々も虎南を見る。
違う――謝らなければならないのは私だ。
自分の意思を置き去りに突然全てを明かされて、呑み込めるはずがない。
姉のわがままに付き合わせてしまった――虎南が自分を姉だと受け入れてくれるかは、分からない。
分からないけれど、夜々にとって虎南は妹で、虎南の姉は自分しかいないのだと、この意思は揺るがない。揺るいだことがない。
依然として俯いたままの虎南の前へ、夜々は歩み寄る。
そして、名前を呼ぶ。
「……ごめんね、虎南。いきなり、こんな話をして。私のわがままに、付き合わせて。知りたくなかったかもしれないけど……私が、こうしたかった。全部知った虎南と、話がしたかった」
虎南は、答えない。
「ダメなお姉ちゃんでごめん。ずっと謝りたかった」
ダメなお姉ちゃんで、本当にごめん。
散々振り回しておきながら、楽になりたくて、虎南よりも自分を優先してしまった。
「許してもらえないかもしれない。でも、私は虎南に話しかけるよ。いままで虎南がしてくれたように、今度は私から、何度も虎南に話しかける。許してくれるまで、何度でも」
許してもらえなくても――それでも。
「私はお姉ちゃんだから。私だけが、虎南のお姉ちゃんだから。お姉ちゃんだと思ってもらえるように、がんばる」
夜々の言葉を受け、虎南はわずかに肩を震わせる。
そのまま小さく震え始めた虎南の両肩に、夜々が手を伸ばした、その時だった。
勢いよく顔を上げた虎南が、目一杯に涙を溜め、
「――知ってた! わたし、全部!」
――と、叫んだ。
溢れる涙が頬を伝っていくが、虎南は拭おうともしない。
「そんなこと、わたし、ずっと知ってた! お姉ちゃんとわたしは、血が繋がってないって、知ってたよ! ずっとずっとずーっと前から!」
感情を丸ごと吐き出すような叫び。
予想だにしなかった反応を示す虎南に、夜々は驚くばかりで上手く言葉を紡げない。口を開けたまま硬直する夜々に、虎南は睨むような視線を刺しつける。
「わたしがどれだけお姉ちゃんのこと見てたと思ってるの! お姉ちゃんの様子が、変になって、気にならないわけないじゃん! お姉ちゃんが行きそうなとこ全部行った! 家中探した! 入っちゃダメって言われてるとこも全部入った! そして見つけたの、日記! ショックだったよ、でも、それよりも! それがどうしたって、思った!」
虎南は涙に濡れながら、それでも気丈に力強く言葉を連ねていく。
言いたいことを、言っていく。
「血が繋がってないから、なに? わたしのお姉ちゃんは、お姉ちゃんしかいないよ! お父さんも、お母さんも、弟も! わたしの家族はいまの家族だ!」
虎南は夜々の胸に飛び込み、ぎゅっと、二度と離さないというように抱き締める。
「だからさ、わたしのお姉ちゃんは、お姉ちゃんなの。ずっと。血が繋がってないとか知らない」
「……虎南」
「寂しかった」
「ごめんね。ごめん」
「ほんとだよ」
夜々は何度も謝り続ける。泣きそうになりながら、謝り続ける。
虎南は夜々の胸に顔を押し付けて、何度も何度も涙を拭く。
「わたしも怖かった。距離感じるようになって。お姉ちゃんが、わたしを妹だと思ってなかったら、どうしようって。だから、聞けなかったぁ」
「ごめんね、虎南。ごめん。ごめんね」
「謝るの……いや。違うこと言って。一緒って言って。お姉ちゃんと一緒。一緒だよ。一緒だもん」
「うん、一緒だね」
夜々は零れてくる涙をそのままに、虎南の身体を抱きしめる。
まだ感情を整理しきれていないが、いまはできる気もしない。
緊張の糸が切れてしまって身体に力が入らない。
声が震えて、うまく喋れない。
――もうダメだ。泣く。止まらぬ。
もう、虎南の顔も、滲んでいる。
それでも最後に。
夜々は泣いているのか笑っているのか分からない顔で、
「みんな、かっこ悪いねぇ」
言葉を絞り出し――そして取り繕うのをやめ、声をあげて泣いた。
泣き止むのとほぼ同時に文化祭の終わりを告げるアナウンスが響いた。来場者は退場する時間だが、夜々と虎南は抱き合ったまま離れない。
お互い頭を撫で合う姉妹に、目を赤くした大河が言う。
「帰るよ、虎南」
「やだ。お姉ちゃんといる」
「虎南。先に帰って待っててよ。終わったらすぐに帰るから」
「ほんと? 約束だよ?」
「うん。約束」
虎南と指切りをして、指を繋いだまま笑い合う。鈴を転がし合うようなその音色はよく響いた。
いまにも踊り出しそうな二人を見て、朝巳は嬉しそうに笑っている。
「帰ったら話をしよう。夜々の、お母さんの話。虎南の、お父さんの話。私と大河さんの話」
「うん、聞きたい」と夜々。
「わたしも」と虎南。
いつか訪れる暁東に全てを明かす日のことも、みんなで考えようという話でまとまった。
難しい問題だ。だから、みんなで話し合う。
暁東と一緒に笑えるように、みんなで、がんばる。
「それじゃ、帰ろっか」
夜々が言って虎南と共に走り出す。
「その前に」と朝巳が大河を向いたので、夜々達は振り返り両親を見つめた。
朝巳は落ち着きなく視線をさ迷わせたのち、大河へ視線を固定する。
そして、歯切れよく。
「誤解を生まないよう先に伝えておきます。大河さん、いま私が愛しているのは、あなたです」
突然の告白に、夜々と虎南は揃って「ひゃー」と色めき立つ。
大河は一瞬間だけ驚いた顔をすると、柔らかく笑み、朝巳の言葉を真っ正面から受け止めた。
「私も。朝巳さんを、愛しています」
両親が気持ちを伝え合う姿が嬉しくて、夜々はもう一度泣いてしまいそうになったが、大袈裟に頭を振る力業で涙を引っ込めた。
虎南は行動の意味を分かっていないようだったが、楽しそうに真似をした。
そして夜々はにやりと笑み、虎南を向く。
「虎南。私が愛してるのは、あなたです」
「わたしも。夜々お姉ちゃんを、愛しています」
なんてふざけると、朝巳と大河が怒ってしまったので、夜々と虎南は逃げ出した。そのさなかで二人は同時に振り返り、笑う。
笑って、言う。
「お父さんもお母さんも、かっこ悪くてかっこ良かった! 大好き!」
「流石はわたしの父と母! 大好き!」
名瀬夜々と、名瀬虎南。
姉と妹。
息の合った二人の姿を前に朝巳も大河も怒りなんて忘れてしまったようで――四人は顔を見合わせ、声を出して、笑った。
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