お腹ペリペリ虎南ちゃん

 週が明けて、月曜日。

 放課後。


 憂は広報班の作業スペースにて、相変わらず雑談多めに手を動かしていた。

 いよいよ週末まで文化祭が迫ってきたことで、憂のクラスは勿論、学校全体が一日通して浮ついているようだった。


 分かりやすく浮ついた現象の一つとして、カップルの誕生がある。


 文化祭を舞台に告白するというのも王道ではあるのだが、憂のクラスにおいてはもう一つの王道、彼氏彼女という関係で文化祭を楽しみたい男女が多いようで、いつの間にやら、実に四組ものカップルが産声をあげていた。

 その内の一人、武闘派美術少女が部の先輩に告白されたという惚気話を延々垂れ流す中、時刻が十七時を迎えると、憂は席を立ち済まなそうに告げる。


「ごめん、ちょっと一時間くらい席を外させて欲しい」


「なんだよ姉倉も告白すんのか?」と、虹村。


「おーおー告ればいいじゃん。私が羨ましくなったか」


「おめでとう羨ましいよ。そういうのじゃなくて、待ち合わせしてるんだ」


「へえ。女の子?」


「ちょっと生意気なハムスター」


 そう言い残して教室を出ようとする憂を、暴君の杜波さんが引き止める。


「おいどこへ行くつもりだ姉倉。怪しい動きはするなと――」


 難癖をつけてくる杜波さんだったが、ため息交じりやって来た三耶子に羽交い絞めされた。どうやら杜波さんは君主ではなくチンピラの類であるらしい。


「憂くん、この人は私が押さえておくから行って」


 三耶子のアシストに礼を告げ、喚く杜波さんの声を背に受けながら、憂は教室を出ようとする。


「はなせ古海! これ以上カップルが増えたら鬱陶しいだろ!」


「私知ってるのよ。杜波さんにずっと付き合ってる彼氏がいること」


「なんで知ってる!?」


「うっそだろマジかよ! 僕にも聞かせてくれその話!」


「憂くんは早く行ってちょうだい!」


 予想外の見出しに興味を惹かれながらも、後ろ髪を引かれながらも、今度こそ憂は教室を後にした。


 早足で昇降口へ向かう――はずだったが、なんとなく夜々の顔を見ておきたくなったので、二組の教室へ。

 こっそり覗き込むと、教壇の上に正座する夜々の姿があった。


「葉火ちゃんの留守は私が預かる! よーしみんな、なんかいい感じに進めよう! 文化祭はもうすぐだよ!」


 ふわっとした指示をふにゃっとした声で告げる夜々に、クラスメイト達は張り切って呼応する。

 不気味な程に士気が高い。

 ちびっこ大名、恐るべし。


 憂は忠義を胸に秘め、改めて昇降口を目指した。その途中で廊下を歩くマチルダを見つけた。


「あ、マチルダさん。相変わらずサボり?」


「失礼な。日課のパトロール中です。不審者がいたら大変ですからね。見つけ次第逃げ出します。ジミヘンさんは?」


「用事があって、外に出るとこ。その前に夜々さんの健康状態をこの目で確認してきたんだよ」


「絶妙に気持ち悪い言い回しですね。もしやあなたが不審者では? まあいいとして、ホッグちゃんはどうでした?」


「可愛い一万石。いや、可愛さの大名行列渋滞中って感じかな」


「ひええ怖い。やっぱり不審者でしたか、あでゅー」


 わざとらしく身震いをしたマチルダは、さして表情に変化もなく、憂とすれ違うように歩き出した。


「ホッグちゃんに伝えておきます」


「嘘だろ!? ごめんってちょっとふざけただけだ! 絶対言わないでくれ!」


「あれはあれで変なので、多分喜びますよ」


 よくよく考えれば何故マチルダにこんなジョークを披露してしまったのか。こうなることは想像に難くなかったはずだ。軽率だったと後悔しながら、憂はなんとか口止めを果たし、マチルダと別れた。

 代償として憂は本日よりゴシップ同好会の一員である。活動に参加する予定は無い。


 昇降口で靴を履き替え玄関を出ると、葉火が待っていた。


「遅かったじゃない」


「ごめん。ちょっと二組に寄ってた」


「あたしがここで待ってた意味がなくなったわ」


 土曜日に夜々達と別れ、その晩に虎南からメッセージが送られてきた。

 文字だけで喜びの伝わってくるメッセージが、送られてきた。


 その際、前に交わした話を聞くという約束を果たしたいと伝えたところ、月曜日、つまりは本日会って話すこととなったのである。

 目的の一つは虎南のサンドバッグというポジションを確立しておくことなので、憂は一人で向かおうと考えていたが、野性的な葉火ちゃんの嗅覚は非常に鋭かった。


 朝一「あたしも行くわ」と訳知り顔で現れ、「あたしは美味しい物が好きなの。そんな美味しい役をあんたに独り占めはさせないわ」と、前にも聞いたような言い回しで仲間入り。


 そういうわけで、二人で虎南に指定された場所へ向かう。

 張り切った虎南が憂達の高校と自身の中学校の中間地点を割り出し、待ち合わせ場所は呉服店の前。


 葉火さんが喜びますね、と自信満々だった。

 健気な虎南には申し訳ないが、葉火さんは動きやすい服装の方が好きなのである。


 さて移動距離を考えても時間まで余裕はあるが、こちらが待つ形を作っておきたい。頼れる年上の姿を見せつけてやるつもりなのだから、待ち合わせで先に着いておく、というのは当たり前にクリアしておくべき項目だろう。


 憂が歩くスピードを速めると、張り合うように葉火も速度を上げた。


「それにしても、急激に冷え込んだわよね。だからラーメン食べるわよ。一度行ってみたかったのよね」


「ラーメン? 僕は別に構わないけど、虎南ちゃんはどうなんだよ。晩御飯とか」


「ラーメン好きよね? って聞いたら、葉火さんが好きです! って返事がきたわ」


 答えになっていなかった。

 いや、話になっていなかった。

 続きを聞くと、一応諸々の了承は得ているらしい。憂はここでようやく、虎南から葉火に全ての情報が渡っていることを知った。


「今日はあたしが奢ってあげる」


「いいよそんなの」


「ラーメン店の大将って、みんな頑固で怒りっぽいじゃない。十中八九あたしは揉めるわ。仲裁してもらうんだから素直に奢られときなさい」


「揉める前提で動くんじゃねえよ! 荒くれ者め!」


「だからいままで、一人じゃラーメン店には行けなかったのよ」


 久しぶりに偏見を炸裂させる葉火だった。

 いや、可能性はあるのかもしれないけれど。その場合、原因はほぼ全て葉火にある気がする。


「それにあたしみたく可愛い女の子が一人で居たら、絶え間なくナンパされるでしょうが。知らない相手に食事を邪魔されるなんて冗談じゃないわ」


「流石にそんなことにはならないと思う。傍らに何十杯も丼を重ねてる葉火ちゃんを見て、関わるのは危ないって判断する方が自然じゃないかな」


「あんたの身体を42回折り重ねてやるわ」


 どうやら葉火は月へ行くらしい。

 確かあれは厚さ0.1mmの紙を42回折れば月まで届くという話だったから、人間の身体なら……猟奇的過ぎてどういう風に考えればいいのか分からなかった。


 可愛いことを考えよう――こいつ兎のついた餅を全部食いそうだな、と憂は思った。


「今日は記念すべき第一回目ね」


「なんだよそのナンバリング」


「あたしと全国の美味しい物巡りをするって約束したじゃない」


「いつそんな約束をしたんだ。楽しそうだけど。いや、すごく楽しそうだけど!」


 葉火はフフンと生意気に笑み、言う。


「海のシャチと山のハチを食べ尽くすわよ」


「思ってたのとジャンルが違った!」


「同物同治ってあるじゃない。弱ってる部分と同じ部分を食べて強くするって考え方」


「どっか弱ってんの?」


「当然、針よ」


 そう言って葉火は憂の脇腹を人差し指で突っついた。


「弱ってるくらいで丁度良いことが分かった。だから大人しく幸にしとけよ――あ、いいこと思い付いた。海のはひと山のはひっていう絵本描こう。動物を食べちゃう怖いお化けの話。陸海空どこにでも現れる最強のお化けな」


「燃やすわよ、作業場を」


 根元を断とうとする葉火の手腕に感心しつつ、憂は話を続行する。


「まあ、女の子一人じゃ入り辛い店も、あるだろうし。そういう時は付き合うよ」


「驚いたわ。あんた、あたしを女の子だと認識してたのね」


「当たり前だろ。僕の方が胸板が厚い」


「やっぱり怪しいわね。ていうかあんた、人の胸ばっか見てんじゃないわよ」


「見てねえよ。あとは弁護士と拳で語り合ってくれ」


 そんなことを話している内、目的の呉服店前に到着した。

 虎南の姿は見当たらない。どうやら先に辿り着くことができたようだ。念の為、店内や自販機の下、建物の隙間を見てみたが、やはり虎南は見つからなかった。


 虎南の到着を待つため、憂と葉火は邪魔にならない位置で壁に寄りかかる。

 不意に寒風が走り抜け、憂は身体を震わせた。


「寒いならあたしを抱っこしてもいいわよ。歩くの疲れたし丁度良いわ」


「はしたなぶる。ちょっとびっくりしただけで全然寒くはない」


「寒さを物ともせず待ってるのって格好いいわよね」


 という葉火の発言を受け、中学生相手に不必要な見栄を張ることに決めた憂は、澄ました顔で寒さに動じない男を演じ始める。

 葉火は呆れた顔をした。


 しばらく間を置いて。


「なあ、葉火ちゃん。今更だけど、本当にいいの? 一緒に来てくれるのは、心強いけど」


 出し抜けに、憂はそんな質問を投げかけた。


「平気よ。虎南が真実を知りたいとは限らないって、話でしょ」


 聞き返すこともせず、葉火は鋭く言い切った。


 夜々が望む以上、夜々の望みを後押しすると決めた以上、虎南には真実を知ってもらうしかない。

 血の繋がりを持たないという事実を、大好きな姉の口から。


 その痛みがどれ程のものなのか、憂には想像することもできない。

 痛いのかさえ、分からない。

 もしかすると痛みを感じることすら、できないのかもしれない。


「知りたくなかったと、思うかもしれない。それが姉の望みだと頭では分かっても、心がどうにもならないってことは、十分にある」


 そうであった時、虎南が自身を見失わないように、自分を確認できるように、思いの丈をぶつけられる位置にいられたら、と憂は思う。


「だから、もしもの時はあたしらが捌け口になるってことよね。辛いことを誰かのせいにしたくなった時、あたしらのせいにすればいいって、そういうことでしょ。その為の下準備よね、今日って」


「そういうこと。あいつらがお姉ちゃんを唆したからこんなことに――なんて考える子じゃないと思うけど、一応ね。そこまではいかなくても、家族の外に選択肢が増えるっていうのは、大事だから」


「思う存分吐き出させてやるわ」


 頭では分かっていても、心がどうにもならない。

 だから、言葉にする。

 感情を形にする。

 そうやって人は分かり合おうとする。

 自分を分かろうとする。


「前に虎南ちゃんは、話しに来てくれた。どうにもならないから、どうにかしたくて、僕に会いに来た。僕はそれを、聞こうとしなかったんだ。悪かったと思ってる」


「そういうものでしょ。そうしたから、今があるんじゃない。反省は次回に活かすものよ。苦しむための道具じゃないわ。顔はいつでも前を向いてなさい」


「……もしかして励ましてくれてる?」


「なによあんた、励まして欲しかったわけ?」


 葉火が笑って。

 憂も笑う。


「反省もあるけど、決意だよ。恨み言や不満を言われても、今度は全部聞くって、決意表明。どうなるかは分からないけどさ。虎南ちゃんは抱えた思いを、夜々さんに、家族に直接ぶつけるかもしれない。友達を選ぶかもしれない。及びもつかない展開が、訪れるかもしれない――それが一番、有り得そうかな」


 人の感情がどのような動きをするのかは、その時になってみなければ分からない。

 感情というものが、決して人の想像に収まらないことを、憂は知っている。

 自分を虐げた相手に感謝を告げるような、憂には想像もできなかったことをやってのける人もいるのだと、知っている。


 だから自分達の出る幕なんてないのかもしれないけれど、それでも。

 できることをやりたい。

 選択肢の、一つになりたい。


「まあ、あれこれ理由を付けてはみたけれど――要するに、自己満足。僕はそれをやりたい。悪いけど付き合ってくれ葉火ちゃん」


「当たり前じゃない。このあたしが一緒なんだから、シャキッとしてなさい」


 葉火は言葉通りぴんと背筋を伸ばして腕を組む。

 いつでも真っすぐな葉火を体現するようなその姿を見て、憂は、きちんと言葉にしておこうと思った。

 言える時に言っておこうと思った。


「葉火ちゃん。いつもありがとう」


「……なによいきなり。夜々のためでしょ」


 葉火はわずかに驚いた顔をしたが、しかし憂へ向ける視線は揺らがない。

 そういうところへの、感謝だ。

 憂がなにも言わないでいると、葉火は口角を上げ、


「ちゃんとついてきなさいよ」


 と、試すように笑う。「そっちこそ」と憂は答えた。


 ――直後、会話が一段落するのを計っていたかのように、息を切らせた虎南がひょこりと曲がり角から生えてきた。

 乱れた髪を直そうともせず、手に持ったなにかを放り投げる動作をして、


「お待たせしてすみません! 名瀬虎南、現着しました! 粘着手榴弾!」


 不発に終わった。

 どんな反応を想定していたというのだろう。


「あれ? 葉火さんは爆弾が好きだったはず」


「あたしは爆弾を使うキャラクターが好きなのよ」


 葉火が虎南の頭をわしわしと撫で、乱れていた髪の毛が更にまとまりなくあちらこちらへ跳ねてしまった。それでも虎南はふにゃりと笑う。

 憂も真似したくなったが、女の子の頭を撫でるという行為は腕を食いちぎられても文句は言えない行いなのでやめておく。


「虎南ちゃん。いますぐ僕から離れてくれ」


「な、なにをするつもりですか」


「いまの接触でキミはもう爆弾に変えられたかもしれない。手遅れだ。手の施しようが無いから、諦める」


「なにもする気がなかった!」


 という感じに挨拶も済ませたので、葉火が目を付けていたという店への移動を始める。


「ラーメン食べるわよ虎南」


「やったー! わたしお腹ペリペリです! ペリペリ! かさぶた! カサブランカ!」


 と、楽しげに一人連想ゲームを楽しみながら場所を知らないだろうに走り出した虎南を見た葉火が、微笑み交じりに話しかけてくる。


「ま、可能性として後ろ向きなことも考えてはみたけど、心配いらないと思うわよ」


 語感に頼った言葉選び。

 ふにゃりとした笑顔。

 身体全部を使った感情表現。

 それは――まるで。


「そうだね。僕も、そう思った」


 夜々はいまの虎南と同じくらいの年齢で、真実を知った。

 それでも、血の繋がりはなくても家族だと結論を出した。


 であれば。

 きっと虎南も、同じように考えるだろう。

 

 ――本当に、そっくりだ。


 憂は自然と微笑んで、足取り軽く、虎南の後を追う。

 すると虎南が突然反転し、戻って来て、首を傾げる。


「で、どこで作ればいいんですか? わたし、料理は大の得意です。なぁーんて冗談ですよ! そんな悲しい生命を見る目をしないでください! 良い事がありまして。聞きたいですか? えー、どうしよっかなー」


 虎南は最上級にご機嫌な時の姉を思わせるやかましさのまま、再び背を向け歩き出す。

 その後ろ姿を眺め、テンションが爆発しているのはさっき投げた爆弾のせいだろう、と憂は思った。

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