曰くラブコメ、その下準備
十一月三日は文化の日である。
『自由と平和を愛し、文化をすすめる』ことを趣旨とした祝日である。
というわけで、憂は夜更かしを決めた。
帰り際に三耶子の発案で夜通し通話をしながらスマホゲームで遊ぶことになったためだ。
――仲良くなるにはゲームが一番。私はそれで、人生変わったもの。
夜々の打ち明け話を聞いた三耶子は、しばらく考え込んだのち、子供のような笑顔でそう言った。やってみたい、と夜々も笑った。
そうして憂達は、三耶子のオススメゲームを自由に平和に謳歌したのだった。
深夜ということで皆一様にヘンテコなテンション――とりわけ三耶子の乱れ方はとてもじゃないが人にはお見せできないもので、朝までひたすらに底抜けに、誰よりも楽しそうに笑っていた。
研ぎ澄まされた反応速度で憂と夜々の発言を一つも取りこぼさなかった程だ。かといって話の流れを止めるわけではない、実に器用な友人である。
要約するとめちゃくちゃ楽しかった――あっという間に朝日が昇り、脳を経由していない発言で溢れかえる会話をダラダラと味わい、午前七時頃に解散。
伸びをすると一気に眠気が押し寄せてきて、憂はスマホをわきへ放り、ベッドに飛び込み目を閉じた。
――どうせ休みだ、死ぬほど眠ってやる。
父曰く、アラームを掛けずに眠れるのは幸せなことらしい。
幸せとはなんだろう、その議題に手を付けるより意識が沈む方が早かった。
〇
憂が眠りについて約三時間後、午前十時過ぎ。
すやすや寝息を立てる憂の身体を激しく揺さぶる姿があった。
「起きなさい」
と、聞き覚えのある声に意識を鷲掴みで引きずり上げられ、憂は薄く目を開き、声の方を見る。
女の子が立っている。綺麗な人だと思った。
「折角の休日にいつまで寝てんのよ。ほら、起きなさいってば。夢を見るよりあたしを眺める方がずっと楽しいわよ」
味の濃い料理を口に詰め込まれる感覚――ぼんやりとした思考が、目の前にいるのはどうやら剣ヶ峰葉火みたいだぞ、と告げている。
つまりこれは夢だ。明晰夢ってやつだ。
休日の自室に葉火がいるはずがない。
葉火の夢を見たという事実になんともいえない味わい深さを感じながら、憂は再び目を閉じる。
「なによ誘ってんの? あたしに添い寝して欲しいって気持ちは分かるけど」
「葉火ちゃんも一緒に寝よう……おやすみなさい」
「む。ちょっと可愛いじゃない。あんた、寝顔が一番可愛いわよ」
「うるさい……だまれ……」
そう言ってうつ伏せとなった憂の背に、葉火は遠慮なく跨った。
そして身体を揺さぶりながら、絶妙な力加減で頭をパシパシと叩く。
「やめてよぉ……」
「起きなさいってば。眠いならシャワー浴びてきなさい。背中くらいなら流してやってもいいわ」
「背中なくなっちゃう……重い。重すぎる……洗濯機だ……葉火ちゃんは洗濯機十個分……」
憂の発言は葉火の許容値を超えてしまったのだろう、頭を叩く手の力が明らかに強くなった。
枕に顔を埋めた憂にどでかい溜息をつくと、葉火は馬乗りを止めて憂の隣に寝転んだ。それから横を向き肘をついて頭を支える、涅槃像のような体勢になる。
「あたしもちょっと寝ようかしら」
恐ろしい発言が耳元で燃え盛る。その火元を向いた憂は、予想外に顔が近かったことで大変驚き、転がりつつ距離を取ろうとして、そのままベッドから落っこちてしまった。
からからと葉火が笑う。
憂はしばらく天井を眺めてから立ち上がり、目を擦りつつ葉火を見る。
いつものように不敵な笑みを湛える彼女は、休日だというのに、制服を着ていた。
「……ここって、僕の部屋?」
「そうよ。意外と綺麗に片付いてるじゃない」
「どうして僕の部屋に剣ヶ峰がいるんだよ」
「女の子が起こしに来るなんてド定番すぎて理由を説明するのもバカバカしいわ」
「制服着てる理由は」
「制服じゃなきゃ興醒めでしょうが」
寝起きに剣ヶ峰はきつすぎる。たぶん、寝る直前もきつい。
大きな欠伸と伸びをしつつ、憂はそんなことを考えた。
時間を確認して。
とりあえず。
枕を持ち上げ、葉火の頭上で手を離すと見事に命中。それから掛布団をひっくり返すようにして葉火に覆い被せ、部屋を出た。
運が良ければこれで消えているはずだ。
目が冴えてしまったし、氷佳が昼寝をするタイミングで一緒に寝よう、と結論付けてリビングへ入る。
「あ、おはようございます姉倉先輩。よく眠れました? コーヒーでも淹れましょうか」
リビングには、だぼっとしたパーカー姿の虎南がいた。
憂を見るやソファから立ち上がり、気の利いたことを言う。まるで何度も訪れているかのような発言である。
憂は頭を抱えた。
たった数時間眠っている内に、二匹もの野生動物が自宅へ侵入しているのだ……これ以上増えないことを祈るばかりである。
「昨日――今日ですかね? とにかく、ありがとうございましたっ。おかげで、久しぶりにお姉ちゃんと遊べました」
とっとこ近付いてきた虎南が深く頭を下げる。
ゲームで遊んだ際、少しの間ではあったが虎南も参加した。
夜々の隣で、一緒に。その時の虎南ときたら、それはそれは嬉しそうで、テンションという点においては三耶子と互角に張り合っていた。
あっという間に体力を使い切り眠ってしまったのだが、あの短時間で虎南の夜々への愛情は充分に伝わってきた。
「昨日のお姉ちゃん、いつもよりたくさん話をしてくれました。姉倉先輩のおかげですよね」
「違うよ。夜々さんが自分で決めて行動したんだ。さて虎南ちゃん、お言葉に甘えてコーヒーを淹れてもらってもいいかな。できるもんならな」
「任せてください、余裕です。知ってますか? トルコには『コーヒーは地獄のごとく黒く、死のごとく強く、恋のごとく甘くあるべし』ということわざがあるそうです」
「へえ。それで?」
「え? それだけですけど?」
どうやら虎南は、雑学から会話を発展させることに関してはまだまだ発展途上であるらしい。
知識を披露したいだけ。ペダンティックな小動物である。
なぜか問題なく滞りなくコーヒーの用意を始めた虎南を恐ろしく思いながら、辺りを見回す。
父と母はともかく、氷佳までいない。
どういうことだ、まさか剣ヶ峰の腹の中か――慌てて自室へ引き返そうとすると、玄関から扉の開く音が聞こえてきた。ボトルと棒を持った氷佳が小走りでリビングへ駆け込んでくる。
「兄ちゃ、おはよ。一緒に遊ぶ? よーかがくれた、シャボン玉。うれしい」
「良かった……氷佳、ちゃんとお礼は言ったか?」
「うん! たくさん言った!」
ジュースを取りに来たらしい氷佳は、ペットボトルを脇に抱え再び庭へ旅立った。侵入した野生動物が人を食べない事実に胸を撫で下ろしていると、葉火がリビングへやって来た。
「危うく寝ちゃうとこだったわ。ベッドって気持ち良いわね」
何をしてきやがったのか乱れた髪を手櫛で整える葉火に、シャボン玉の礼を告げ、虎南が作ってくれたコーヒーに口を付ける。
一息ついて、憂は言った。
「で、二人共。どうして僕の家にいるんだ」
「迎えに来たわ。あんたにお願いがあるの」
「お願い……?」
「出かけるから着替えてきなさい。オススメ装備は制服よ」
「どうして。二重に」
「その辺りは歩きながら説明するわ。ちょっとだけネタバレをするなら、ま、ボス戦ってとこかしら」
〇
葉火に言われるがまま制服へ着替え、同行したがる氷佳に断腸の思いで留守番をお願いし、家を出た。
虎南は葉火の目的と無関係で、内容も知らなかったが「どこまでもついて行きます! お姉ちゃん夕方まで起きないだろうし。暇なので」とパーティ入り。
ということで、葉火以外は行き先を知らないまま、三人仲良く並び歩いている。
「大変だったのよ。あたし、憂の家知らなかったから、わざわざ学校まで足を運んで、目に付いた連中から地道に情報集めたり、お遣いをこなしたりの大冒険を経て、ようやく辿り着いたの。楽勝だったけど」
「その道中でたまたま、葉火さんと出会ったんです。私は姉倉先輩の家を目指してたので、僭越ながら道案内を務めさせていただきました」
誇らしげな葉火と虎南。
出会ってはいけない二人が出会った気がして、憂は複雑な気持ちになった。
「そういえば、虎南から聞いたけど、昨日みんなでゲームしたんですって? あたしを除け者にするのやめなさいよ。傷付くでしょうが」
「剣ヶ峰の連絡先分からないし、学校にも来てなかったんだから、仕方ないだろ」
「油断したわ。たった一日休むのがここまで致命傷になるなんて。それを分かっているからこそ、昨日は休むことになったんだけど」
「持って回った言い方だな。僕はストレートに言うぞ。剣ヶ峰にも話したいことがあるって夜々さんが言ってる。だから安心してくれ」
ならいいわ、と葉火は満足気に髪をかき上げる。
「それで――虎南ちゃん。確か昨日、僕達を尾行したことがバレて、やんわり注意されてたと思うけど。どうしてうちに来たのかな」
――あとをつけたり押しかけたりは、非常識だからやめようね、虎南。
夜々が言うとやや説得力に欠けるが、姉としてのポーズを取るため奮闘していたので、余計な茶々は入れなかった。
「今回はお詫びとお礼が目的なので、むしろ常識的だと思います。それにいいですか、常識なんて――」
「十八歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない、だろ」
「先に言わないでください! せっかく葉火さんにいいとこ見せるチャンスだったのにぃ!」
まさか過去の姉による妨害工作だとは思うまい。
憂は内心ほくそ笑んだ。
「まだまだね虎南。あたしに気に入られたかったら憂に口喧嘩で勝ってみなさい」
「わ、分かりました。おいお前」
憂は虎南の頭を鷲掴みする。葉火から何度も受けた技をついに体得したのである。
何度も降参を宣言する虎南から、手を離す。
「口喧嘩って言ったのに!」
「知らないのかい虎南ちゃん。喧嘩とスポーツは別物だ。相手の口を封じて喋らせないのが一番簡単なんだよ」
「薄汚い大人めぇ!」
「キミの大好きな剣ヶ峰葉火ちゃんが教えてくれたんだ」
「そうだったんですか! 裏返りました! さっすが葉火さん、かっこいーです!」
「かっこよかねえだろ」
「かっこ葉火さん! へいよー!」
はちゃめちゃなテンションの虎南である。
恐らくだが、この安心感のあるアホっぽさこそが、虎南の自然体なのだろう。年相応――でいいのだろうか、とにかく、初対面の時はかなり背伸びをしていたらしい。通話している時もまだ理性的だったように憂は思う。
それはきっと顔が見えなかったからだ。こうして目の前にするとよく分かる。
名瀬の一族は二度目に会った時、がらりと印象が変わるらしい。
「良かったな剣ヶ峰。盲目的な子分ができて」
「褒められると気分がいいわね。気分がいいから、そろそろあんたの行き先を明かそうかしら。順を追って話してあげる」
こほん、と可愛らしい咳払いをして、葉火は言う。
「あたしの家、門限があるのよ。どんなに遅くても二十時には家にいないといけないの。だけどこれから文化祭の準備もどんどん盛り上がるじゃない? 絶対なにか起きるとあたしの勘が叫んでる。あんたが夜々か三耶子と付き合い始めても全然驚かないわ。恐れるべきは、それを見逃して後から結果だけ伝えられることね」
葉火は持ち前の恋愛脳から湧き上がる想像を膨らみに膨らませているようだった。バカな奴だ、と思いながら憂は話を聞いている。
「そこでおばあちゃんに頼んだの。せめて文化祭が終わるまでは居残りさせてって。必死に説得したんだけど、それでも難色を示すものだから、気付けば喧嘩になっちゃってたわ。おばあちゃん、ちょっと過保護すぎるのよね。昨日休んだのは、いじけたあたしの反抗心よ」
「それで、僕にも説得を手伝えって?」
「そういうこと。昨日の夜、言っちゃったのよ。心配しなくても、頼れる男の子がいるの。遅くなっても家まで送り届けてくれるからって」
「それはいいけど、嘘は言うなよ……これから会うんだろ。荷が重すぎる」
「嘘なんて言ってないじゃない。それから――あたしに対しては口が悪くて無神経、だけど根は優しいし小利口な男の子なのって、落として上げるアプローチを試みたら、怪訝そうな顔をされちゃって」
「小利口って悪口っぽいもん」
「気遣いもできて、自分じゃ敵わない相手だと判断した際、あたしにバトルシーンという一番の見せ場を譲ってくれる素敵な男の子だって伝え直したら、おばあちゃん驚いてたわ。やるじゃない、憂」
「頼れる男がどこにもいねえから驚いてるんだよ! 嫌な奴の話しかしてねえだろ!」
どこまで冗談か分からないが、葉火のことだからほぼ真実だろう。
憂は帰りたい気持ちでいっぱいだった。
「話を聞いたおばあちゃんが、だったら連れて来てみなさいって言ったの。みなさいって。嘘だと思われてるみたい。今まで男の子の話なんてしなかったからでしょうね。いや、そもそも学校の話すら、ろくにしてなかったわ」
「そうなのか」
「そうなのよ。だからあたしが文化祭に前向きなことは、すごく喜んでくれたの。けれどギリギリで心配する気持ちが勝っちゃってるんでしょうね」
それだけ大切にされてるってことかしら。
他人事のように葉火は言って、
「というわけで頼んだわ。うまく説得してくれたら――」
不意に立ち止まり「いや、こうじゃないわね」と呟いた。
憂と虎南も合わせて足を止める。
「憂、こっち見なさい」
言葉の意味を理解するより早く、反射で、憂は葉火を見る。
目を合わせる。
すると葉火は実直な瞳で、真剣な表情で言った――言い切った。
「憂しか頼める相手いないのよ。だから、お願い」
いつもの傲慢な態度ではなく。
尊大な笑みを潜め。
同じ目線から。
葉火は願う。
願って、求める。
その葉火らしからぬ態度に面食らいつつも、憂は同じく真剣に、間を置かず答える。
「そういうことなら、先に言えよ。別に断ったりしないって。僕でよければ、やってみるさ。もう少し信用してくれてもいいのに」
「信用してるわよ。だからちょっと悩んだんじゃない」
「どういうこと?」
「万が一断られたら、あたし、ものすごく泣くわ」
ごく真面目に言うものだから、憂は思わず笑ってしまった。
――本当に泣くのかは疑わしいけれど。
他ならぬ葉火からそんな風に言われて、悪い気はしない。
「剣ヶ峰に頼み事されるの、結構嬉しいもんだな」
「なによ普段は理不尽に振り回してるみたいじゃない」
憂は葉火をイメージしながら不敵な笑みを作って、言う。
「良かったな、僕と会えて」
「それはほんとに、その通りね」
受けた葉火は楽しげに笑う。
そうして二人は歩き出す。
「この機会に言っておくけど、あたしのことも名前で呼びなさいよ。気付いてないと思ったわけ?」
「……葉火さん」
「葉火でいいわ」
「葉火ちゃん」
「葉火って呼びなさい」
「……頑張ります」
ハードルが高すぎるので一旦保留。
虎南が調子に乗って「へい葉火」と呼び捨てをして、頬をつねられた。
数十秒後、解放された虎南が頬を撫でながら言う。
「お二人って、めちゃくちゃ仲良いですよね。実は付き合ってるんですか?」
「ですって。どうなのよ憂」
「そんなわけないだろ。虎南ちゃんって、葉火ちゃんと相性抜群だな。恋愛脳なところが」
「ほんとですか? やったー! お揃いですね、オソロー! シェイクスピアです! って、それを言うならオセローやろがいっ!」
一人でノリツッコミを始めるはじけた虎南。
いつかの夜々を思い出すテンションの高さである。
「ちょっと鬱陶しくなってきたわね」
「またまたー葉火さんってばー。そうだ、バーバパパってどんな意味か知ってますか? ねーねー」
葉火は自販機で虎南に飲み物を買ってあげた。
けれど虎南はうるさいままだった。
それから、バスを使おうかという話になったが、結局、三人で他愛のない話を投げたり広げたりしながら、葉火の家を目指した。
そうしている内、目的地に到着する。
日本家屋。
旅館のような家。
明るい時間に見るの初めてだが、相変わらず無礼を働けば斬首されるような迫力がある。
憂は葉火が制服を勧めてくれたことに心中で感謝をした。
虎南は目を剥いて「わわわうわわ」と慌てふためいている。
さあ行くわよ、と歩き出した葉火が門の前で振り返り、手招きをしながら言った。
「そうだ。葉火さんにスマホ買ってあげるべきってのも伝えてくれない?」
「それは自分で言え」
「いやいや、お前が言うべきですよ。ねー、葉火さん」
憂は虎南の両頬を引っ張った。
癖になりそうな柔らかさだった。
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