必ずしも劇的だとは限らない
全然近くない上に結構な距離を歩かなければならない、という新たな嘘が発覚し憂は夜々に隠し事を洗いざらい吐かせようと詰問した。
形だけの記者会見を思わせる玉虫色のやり取りを繰り返す内に教えられた住所へ到着すると、二人は息を呑み、その家先で呆然と立ち尽くした。
日本家屋。
豪邸、というのが憂の感想だった。
立派な瓦屋根の付いた大きな門扉が古き良き重厚な存在感を放ちながら、二人を試すように立ち塞がる。奥には
和風の邸宅が建ち並ぶ景観に、憂は前時代的な情緒と恐怖を一緒に覚えた。
無礼を働けば斬首されるんじゃないか。
ここら一帯は生活圏を外れているため初めて来たが、なかなかどうしてスリリングだ。
「名瀬さん名瀬さん。まさかこの立派な家に剣ヶ峰さんが住んでるとでも言うのかい」
「ガ、ガセネタ掴まされたかも……ここって旅館か何かじゃないの?」
二人はすっかり及び腰で、じりじりと少しずつ門から離れていく。
憂だけでなく夜々もまた、自身の持つ剣ヶ峰葉火像と目の前の立派な日本家屋が結びつかないようだった。
外観から滲み出る厳かな空気は、非常識な訪問を怒っているようにも感じられる。もしこのまま進んだら、しっかりした大人が出てきてしっかり怒られそうだ。
ここへ来るに当たって片道五十分をも要したため、葉火と話せるのなら話しておきたかったが、無理は禁物。引き際を見誤れば晒し首だ。
憂が目顔で合図すると、受けた夜々は緊張した面持ちで頷いた。
「名瀬夜々、いきます!」
「待て待て待て! 待てっ!」
腕まくりのジェスチャーをして歩き出した夜々の腕を掴み引き止める。
見誤った。この子は度胸を持ち合わせているらしい。
「どう考えても帰った方がいいだろ! 絶対恐ろしい大人が出てくるって! 日本刀なんか持ち出されたらどうするつもりだ!」
「その時は私が囮になるから姉倉君は葉火ちゃんの所へ急いで」
「いいから帰ろう! 僕は死ぬ時は氷佳の膝の上で死ぬんだ!」
「スルーなんてひどいよ姉倉君! 分かったから引っ張るのやめて、楽しくなっちゃうからさ!」
葉火と違って引っ張れば引っ張った分だけ動いてくれる夜々。しかし動作音がやかましく、くすぐったそうな笑い声が閑静な住宅街に響いた。
可及的速やかにこの場を離れようとする憂だったが、しかし、その目論見は外れることとなる。
夜々が「あ」と指さした先。門の奥から人影が現れたことで身体が硬直し、足が止まった。
街灯を浴びうっすら姿の見えるその人物は女性で、紫色の和服を纏っている。見たところ年齢は憂達とそう変わらないだろう。
幼く柔らかい印象の顔立ちをしているが目元は鋭くどこか冷たさも感じられる。
憂の位置からは離れていて和服少女の表情がはっきりとは窺えないが、それはつまり相手からも自分が見えていないということ。
つまりチャンスだ。憂はクールに去ろうとしたが、しかし夜々が一寸の迷いもなく真昼のような声で挨拶をした。いや、しやがった。
「こんばんはー! 剣ヶ峰さんのお宅ですかー?」
「違います」
即答。
和服少女が放った平坦な声は、寒気がするほど冷たかった。最近の機械音声の方がよっぽど温かみに溢れるだろう、さしもの夜々もたじろいでいる。
和服少女は無感情な視線を憂と夜々へ刺し付け、一度踵を返すと入口にある何かを触った。それから憂達の元へ歩み寄る。やがて目の前まで来た和服少女は手に持っている物を差し出した。
それは表札だった。わざわざ外して持って来たらしい。
街灯の灯かりを頼りに目を凝らすと、そこには『
剣ヶ峰、じゃなく。
三境。
聞いた事のない名前に憂は首を傾げ、夜々も顔いっぱいに疑問を広げた。まるで狐につままれたとでも言わんばかりの夜々だが、事実は恐ろしく単純である。
夜々はゴシップ同好会にガセネタを掴まされたのだ。ここまで歩かされた挙句が別人邸……虹村に苦情を入れてやろうと憂はほのかな決意を胸に秘めた。
「すみません。間違えました。すぐに立ち去りますのでご容赦ください」
憂が頭を下げると夜々も同じようにした。
それを見た和服少女が、声にわずかな抑揚をつけて言った。
「うっそでーす」
と、口だけを小さく動かして。
どれだけ甘く採点しても無表情で無機質なため、感情の機微は読み取れない。
全てが顔に顕れる葉火とは似ても似つかない少女。
侘び寂びを重んじていそうな景観。
苗字の違う表札。
得た情報の全てからここに葉火はいないと結論した憂だったが、少女の一言が意味不明。
嘘ってなにがだよ。
困惑する憂達に構わず少女は背を向けて言う。
「あれに用でしたか。ハジメテの事なので驚きです。呼んできますのでここでお待ちくださいな」
そう言って少女は敷地内へ戻って行き、残された憂と夜々はいまいち何が起きたのか分からないまま、来た時と同じように立ち尽くした。
ややあって。
見つめる先の門扉から、ひょこりと人型が姿を見せた。
憂は訝りながらも目を細め、その姿を凝視する。
「え、もしかして姉倉と名瀬? 何してんのこんな所で。暇すぎでしょ、おバカねえ」
出てきた人物は正真正銘の葉火だった。嬉しげに声を弾ませて二人へ駆け寄る。
先程の和服少女と同様に葉火もまた和服に身を包んでいた。
名に火を冠する葉火らしい鮮やかな赤。色無地と呼ばれる種類で柄は無く、背に一つだけ紋が入っている。腰元は黒の袋帯に赤い帯締めで彩られていて、それらの色の組み合わせは、目をはじめパーツの一つ一つが鋭い葉火を上品にまとめ上げていた。
葉火が図抜けた美人であること自体に異論は無いため、思わず見とれてしまう憂だったが――しかし。
駆け寄って来る葉火のその足元から覗く違和感に気付き、呆れた風で指摘した。
「なんでスニーカーなんだよ……」
完璧な和服美人だと思われた葉火の足は、バスケットタイプのスニーカーに飾られていた。濃い青のハイカット。
昨今では着物にスニーカーという組み合わせも無くはないが、葉火の場合調和を意識した様子が無いため、ただただ台無しである。
立ち止まった葉火はあっけらかんと言う。
「動きづらいの嫌いなのよ。学校もローファーじゃなくてスニーカー履いてってるのよあたし。たまにだけど」
「そんな奴が和服を着るな」
「仕方ないじゃない、おばあちゃんが喜ぶんだもの。居候の身であんまりワガママ言えないわよ」
居候。その一言と表札の苗字が違った点から、只ならぬ事情があると感じ取った憂は、すぐさま対応を謝罪へ切り替えた。
迂闊な発言。無闇に踏み入り踏み荒らそうとした自分を恥じた。
「ごめん。今のは僕が無神経だった」
「いいわよ別に。あんたはこれからも無神経に生意気でいなさい」
無神経で生意気だって思われてるのかよ。反論はあったが静かに呑み込んだ。
「で、何しに来たのよ。そんなにあたしに会いたかった?」
「……まあ、話したいことがあって」
「聞いてあげるわ。まあ、大方予想はつくけど」
「ちなみにどんな話だと思ってるか聞かせてくれ」
「名瀬と付き合うことになったって話でしょ?」
「剣ヶ峰さんってマジでバカだよな」
学校と違い衆目を集める心配がないため、迷いなく直截的な言葉をぶつける憂だった。
隣で夜々は気の抜けた笑みを浮かべている。
「あんたに言われたくないわよ! 見境なく女の子に手出す方がよっぽどバカだわ」
「違う! その件で来たんだよ今日は! いいか、そんな事実は無いんだから絶対に僕の名前を出さないでくれ。変な噂を立てられて迷惑してるんだ。それだけ言いに来た」
憂が語気荒く言い募る。葉火は好戦的に笑んだ。
「さてどうしようかしら。だってあんた、ああでもしないと、のらりくらり躱すじゃない」
「当たり前だろ。分かってるなら勘弁してくれ頼むから」
「困ったわね。あたし、怒ってるあんたが好きなのよ」
好き――と、不意打ち。含まれる意図は文脈から理解できるが、それでもあまりに急だったせいで、憂は言葉を失った。
軽々しく好きとか言うな。
「この言い方だと語弊があるわね。怒れるあんたが好きってのが正しいかしら。前にも言ったけど、あたしみたいな美少女を前にするとみんなご機嫌取りばっかりでうんざりなのよ。もしくは陰でこそこそ嫌がらせね。だから姉倉と古海みたく正面から喧嘩売ってくる相手って貴重なの。あたしはそういう奴が好き」
と、葉火は肯定する。
自分だけでなく。
他人も。
「そういうわけだから諦めた方がいいわよ。嫌われるのは慣れてるわ。あんたがあたしを嫌いでも、あたしがあんたを気に入ってる以上はどんな手を使ってでも逃がさない」
だから諦めなさい、と葉火は繰り返す。
やっぱりこの人は理解できない。
そう考える憂だったが、不思議と悪い気はしなかった。
呆れたというかなんというか、やはり剣ヶ峰葉火という人物は、不気味なくらい不器用に生きている。
けれど誰より真っすぐで、どうやったらこんな生き方を選べるのか――分かるはずもない。
「別に嫌いじゃない」
自分の口から出たとは思えないほど柔らかい声に憂は驚いた。
分かってしまったのだ。
思い知ってしまったのだ。
劇的でもなんでもなく、あっさりと。
剣ヶ峰葉火との無関係は至難であることを。
他人からはっきり好意を伝えられて、それを無視できるドライな性質は自分にないのだと――分かってしまった。
だから――ひとまずは。
キミの尺度を変えてみようと思う。
キミを嫌いになってみようと思う。
「これからどうなるかは、分からないけど」
憂の発言を受けた葉火は、竹を割ったように豪快に破顔した。
口に出してない部分まで伝わった気がして妙に恥ずかしくなり、憂は早口で間を埋めようとする。
「それはそれとして、僕は目立ちたくないから触れ回るのは止めてくれ。妥協点を探ろうじゃないか。剣ヶ峰さんなら分かるだろ、陰口とか叩かれるの疲れるから嫌なんだよ」
「分かるわよ。あたしってめちゃくちゃ裏で悪口言われてるらしいんだけど、それを遠回しに伝えてくる感じがすごく鬱陶しいわ。教科書捨てられた時の方が遥かに清々しかったもの」
照れ隠しも束の間、話題の雲行きが急に怪しくなる。
「待て。そんな事されてるのか」
「そうなのよねえ。行為そのものは卑怯者のやることだから相手しなければいいだけなんだけど、お金掛かるのが困るわね」
「…………」
「ま、あんたがそこまでされる心配はないでしょ。もしもの時にはあたしも手伝うから一緒に根絶やすわよ」
話を聞く憂の眉間には知らず力が入っていた。
湧き上がる感情が徐々にくっきりと形を成し、やがて憂は怒りを自覚した。
最悪だ。胸糞悪い。こういうのが嫌だから、他人と関りたくないんだ。
くだらないことをする連中に腹が立つ。
自分の為に怒らない葉火にも、腹が立つ。
怒れよ。お前だって怒れる人間だろうが。
楽しそうに笑って大声で泣けるんだから。
ああ――くそ。だから嫌なんだよ。
人を知ると。
知ってしまうと、知らないふりが出来なくなるから。
「なんて顔してんのよ姉倉」
一体自分はどんな顔をしていたのか。
こつん、と葉火が憂の額を拳で突いた。
強めに。殴ったと言えなくもない絶妙な塩梅。
「痛った! なにすんだ!」
「おほほのほ。あたしは暴力系ヒロインよ」
葉火はわざとらしい高笑いののち、憂から夜々へと視線を転じる。
「名瀬、あんたもなんか喋りなさいよ。せっかく来たんだから。姉倉と古海が同時にダブル激怒するアイデアとか無い?」
「え? あ、えーと……ごめん、思いつかないや」
「あたしが名瀬の立場だったら、普段通りにしてれば大丈夫って答えるわ」
客観視に自信があるのか葉火はそんなことを言う。
夜々は困惑して、憂は笑った。自分でも分からないが笑ってしまった。
笑える胸中ではないはずなのに、葉火が受けた仕打ちに対し澱のような嫌悪を感じていたはずなのに、当の葉火が気にしていないせいだろうか――この場に怒りという感情がえらく不似合いだと感じさせられる。
不自然なくらい穏やかな空気。
気が抜ける。
もしかすると葉火は、怒りという感情を意図して遠ざけているのかもしれない。憂はなんとなく、そんなことを思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます