第二話

 白く染まった森の中で、魔物の咆哮ほうこうや魔法のとどろく音、金属のぶつかり合う音が響き渡る。

 ニーナさんが風魔法をまとった銃弾を敵に数発撃ち込み、その隙に私は剣で一突きにした。

 チョコレートでできたもろい身体は、どれほど厚みがあろうといとも簡単に崩れ去る。

 敵が消滅する際にきらきらと光を放って出てくるのが、カカオや砂糖やミルク、それに薔薇バラの花びらや謎の黒い球体など、一見食料には見えないものだ。

 離れた木陰から見守っていたユリアちゃんとキュイさんが、私のそばに寄ってきて足元をのぞき込んだ。

「うわぁ、一匹や二匹でもこんなにたくさん採れるんですね!」

「こいつぁすげえや!」

「もっと大型の魔物でしたら、この倍の量は落としてくれますよ」

「本当ですかっ? 大きいチョコの魔物かぁ……」

「ユリア、ヨダレ出てるぞ」

「え、そ、そんなことないですよっ」

 あわてて口許くちもとを手で隠すようにするユリアちゃんに、ニーナさんもくすくすと笑いながら歩み寄ってきた。

「ユリアは、ほんといつでも食いしん坊だねぇ」

「もう、ニーナまでっ」

「それにしても、サーシャさんはチョコの魔物を見ても驚かないんだね」

「ええ。学園都市で生活していた頃は、バレンタインの時期になるとチョコレートの魔物も大量発生していましたし。士官学校の学生たちも、討伐に躍起になっていました」

「あー、あそこは街中でも魔物が当たり前に出てきたしね」

 私たちは手分けして材料を拾い集め、袋にも適宜詰めていく。そうして先を進んで魔物を倒しては材料を入手し、何度か繰り返すうちに陽も傾いてきた。

 よし、とニーナさんが満足気にうなずく。

「ロベルタが言ってた量は、ちょうどこれくらいだよね」

「そうですね。お姉様も、きっとお喜びになります」

「こんだけ集まると、すげーいい匂いすんなぁ。アタシも腹減ってきたぜ」

「じゃあ、急いで帰りましょう!」

 袋を抱えたユリアちゃんとキュイさんが、競争だとでも言いたげに街のある方向へ駆け出す。

 雪道に自分たちの足跡も残っているから、帰りは迷う心配もないだろう。

 一人と一匹の後ろ姿を、ニーナさんと私は微笑ましく見守った。

 歩きながら、ニーナさんが訊いてきた。

「サーシャさんは、今年もロベルタにチョコ渡すんだよね?」

「もちろんです。いつ如何いかなるときも、お姉様に喜んでいただくことこそが、私の至福ですから」

「一途だねぇ。士官学校時代も、ロベルタってモテモテだったんじゃない?」

「それはもう。女子という女子から大量のチョコレートが贈られていましたし、校内で一番人気だった男子宛の数よりも多かった有様ですから」

「うわー、想像できすぎて困る。あれ、でもロベルタは『チョコ作りは初めてじゃない』って言ってたよね? その頃にも、だれかにチョコ作って渡してたってこと?」

「ええ。お姉様はあの生真面目なご性分ですから、チョコレートをくれた相手全員に、ご自分の手作りのものをひとつひとつお渡しになり、ご誠実にお礼も伝えておられました」

「え……食べた人たち、だいじょうぶだったの?」

「それから数週間は、体調不良を訴える学生が後を絶ちませんでしたね」

「あ、やっぱり」

 苦笑いを浮かべるニーナさんに、私も微苦笑する。

 私も、お姉様からチョコレートをいただいてはいたけれど。端をほんの一口かじってみただけでも吐き気を催したから、その直後に街中で遭遇した魔物の口に放り込んで即死させた。それでも、当時も私にとっては惨劇ではなかったのだ。お姉様の類稀たぐいまれなる斜め上の料理センスのおかげで、ライバル候補の女子たちはその被害を恐れてほぼ身を引いてくれた。それに後日、お姉様が私にだけ密かに想いを打ち明けてくれたから。


 ――今年もいろんな人からチョコをもらったが……個人的には、サーシャのが一番おいしかったぞ。私の好みを本当によく知っているんだな。ありがとう。


 少し照れくさそうなその声音にも、私の心は大きく揺らいで。この人のおそばにずっといたいと、いっそう強く願ったのだ。

 そのことを思い出して唇に弧を描けば、ニーナさんも嬉しげに笑む。

 ふと、大事なことを思い出して私は真顔に戻った。

「あの、ニーナさん。お姉様が今回チョコレートをお渡しになる方がどなたなのか、ご存知ないでしょうか」

「え? ごめん、私もわかんない。でも、サーシャさんが心配するようなことはないと思うよ」

「そうだといいのですけれど……」

 もし、お姉様が本気で恋愛感情を抱いている相手にチョコレートが渡るようであれば――最悪、その人間を闇討ちでもして阻止するしかない。

 お姉様の愛を受け取っていいのは、この私だけ。

 やがてお姉様の待つ宿屋に戻ると、ご本人は既に宿屋の主人に許可を取ったのか、厨房を借りて調理の準備を始めていた。帰ってきた私たちに振り返り、ぱっと顔を輝かせる。

「皆、おかえり。本当に苦労をかけてしまったな、ありがとう」

「どういたしまして。これで足りるよね?」

「ああ、充分だ。――おぉ、鮮度もつやもかなりいいじゃないか!」

「お姉様のお口にも合うよう、厳選してまいりましたので。どうぞご安心ください」

 特に形や色のいいものはお姉様の分、その他はユリアちゃんの分と区別して集めていた。ユリアちゃんが無欲な子で、本当に好都合だ。

 本人も、材料を眺めながらわくわくしている。

「ふふっ、早くチョコ作りたいです!」

「アタシも、もう待ちきれねえよ!」

「よし、皆の期待に応えなければな。早速取りかかろう」

「私もお手伝いいたします、お姉様。ニーナさんとキュイさんは、ユリアちゃんのほうを見ていただけますか?」

「わかった」

「任せとけっ」

 私の提案通り、お姉様は料理本すべてに目を通してくれたようだ。机上にまばらに折り重なったそれらには、ところどころしおりも挟まっているのが見て取れた。

 一冊のページを開き、お姉様は私に見せてくれる。

「これを作ろうと思うんだが、難しいだろうか」

「まあ、可愛らしいですね」

 ピンクやグリーンに色付けされた小さな球状のチョコレートには、小型の魔物に見えるようなデコレーションが表面にほどこされている。そういえば、士官学校時代に彼女が作っていたものも、誰でも一口で食べられる程度の大きさだった。出かける前にニーナさんが言っていた、皆で食べたほうがおいしい、という意見も汲んでのことかもしれない。

「だいじょうぶです、お姉様。コーティングとデコレーションに一手間かかるだけで、チョコレートボールの作り方は一般的なものと同じですから」

「そうか。サーシャがそう言うなら安心だな」

「ところで、ひとつお尋ねしたいのですが」

「何だ」

「お姉様は、どなたにチョコレートをお渡しになるおつもりなのですか?」

 予想外だったのか、お姉様の赤茶の目が一瞬まるくなる。

 ええと、と少し気恥ずかしそうに視線を逸らした彼女は、声を潜めた。

「実は、ニーナに日頃の感謝の想いを伝えたくてな。驚かせたいから、でき上がるまで本人には内緒にしてくれよ」

 それを聞き、私の心もやっと軽くなった。

 ――よかった……お姉様が私以外のものになるなんて、耐えられないもの。

「そうだったのですね。さすがはお姉様、素敵なお心遣いです」

「あ、もちろんサーシャにも味見とかはしてもらいたいんだ。完成品の感想も欲しいし」

「ありがとうございます。お姉様のお力になれるのでしたら、このサーシャ、誠心誠意役目をまっとういたします」

 チョコレートよりもずっと甘い甘いひとときに浸れそうだ。

 真剣に調理を始めるお姉様の凛とした横顔に、私も見惚みとれ直して手を動かした。ニーナさんたちがわいわい盛り上がる声を、背後に聴きながら。

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