7:騎士生活の終わり

「お早うございます、リュシー様。体の調子は如何ですか?」

「え、えっと、まぁ、ボチボチです…」


 目覚めて早々にポーラさんに尋ねられ、私はしどろもどろで答えた。私の要領の得ない言葉を受けてもポーラさんは不審がる様子もなく、にこやかな笑顔を浮かべている。


「左様でございますか。右肩に患いを感じないだけでも、うございました。お食事をお持ちしましたので、お召し上がり下さい」

「あ、すみません。すぐに着替えますので…」


 そう答えたポーラさんの背後に、朝食を載せたトレイを持つメイドの姿を認め、私は慌ててベッドに左肘をつき身を起こそうとする。だが、その私の性急な動きはポーラさんが差し出した掌によって容易に遮られ、彼女はもう一方の手を私の背中に回して、私の体をゆっくりと引き上げてくれた。


「リュシー様は未だ右手がままならないのですから、そんなご無理をなさらないよう。必要とあらば、いつでもこのポーラをお呼び下さい」


 いや、コレ、絶対おかしいでしょ!?


 私はポーラさんに支えられ、ベッドの上で身を起こしながら、心の中で何度目になるかわからない困惑の声を上げた。




 私がラシュレー家のお世話を受けるようになって、早3週間。その間、私は主家から下へも置かない扱いを受けた。私の傍らにはポーラさんを筆頭とするメイドが昼夜を問わず交代で張り付き、毎日のように熱と痛みにうなされる私を介抱してくれる。それどころか、時折マリアンヌ様までが部屋を訪れ、私を気遣って下さる有様だった。


 マリアンヌ様は旦那様の正妻であられ、幾人もの宰相を輩出した事のある有力な侯爵家の御出身だ。シリル様と同じ橙色の艶やかな髪を湛えたお美しい方で、旦那様とは政略結婚の名を騙った恋愛結婚だけあって、今もお二人の仲はとても睦まじい。何でも旦那様を見初めたマリアンヌ様が御父君を説得して猛アタックの末、成就されたそうだ。まぁ、ラシュレー家当主との婚姻だなんて、この国の貴族であれば一も二もなく飛び付くであろう、良縁だけれども。


 その公爵夫人がですよ!?わざわざ一介の騎士の見舞いに来て下さるわけで。仕える身としては、恐縮する他ないわけですよ。


「あ、あの、マリアンヌ様…わざわざ私などのために足を運んで下さらなくても…」


 ベッドに身を起こして平身低頭を繰り返す私に、マリアンヌ様が屈託のない笑顔を向けている。


「あら。ラシュレー家の夫人たる私が、息子の命を救ってくれた恩人を無下に扱うわけがないじゃないの。リュシー、貴女はそれだけの働きをしたのだから、遠慮せずに私達の厚意を受け取りなさい。ねぇ、あなた?」

「マリアンヌの言う通りだ、リュシー。君の今の務めは、自身を癒す事だ。我々の事は気にせず、体を労わりなさい」

「きょ、恐縮です…」


 マリアンヌ様が笑顔を浮かべたまま隣に目を向けると、前線から戻って来たばかりの旦那様が穏やかな表情で頷きを返した。その包容力溢れる温かな眼差しを受け、私の顔が熱を帯びる。旦那様に見つめられるのは嬉しいけれど、ネグリジェの上にガウンを羽織っただけの姿では、恥ずかしくて仕方がない。私は左手でガウンの襟元を押さえ、頬を染めて俯いた。


 こうして私はラシュレー家で回復に専念したが、右肩の傷は一向に癒える様子を見せず、私は毎日のように熱と痛みに襲われ、その都度ベッドの上で蹲って歯を喰いしばった。




 ***


「ポーラ、暫く部屋を出てくれ。リュシーと二人で、話がしたい」

「畏まりました」


 その日、部屋に入って来た坊ちゃんの一言を受け、私は覚悟を決めた。ポーラさん達が部屋を出て、坊ちゃんと私の二人だけになると、坊ちゃんは私のベッドの脇に立ち、腕を組む。私がガウン姿でベッドに身を起こしたまま坊ちゃんの言葉を待っていると、やがて坊ちゃんは腕を組んで胸をそらし、冷ややかに宣言した。




「リュシー・オランド。――― お前には、騎士を辞めてもらう」




「…承りました」


 一拍の間に私は心のけじめをつけると、神妙な面持ちで坊ちゃんに頭を下げる。私がラシュレー家の御厄介になってからもうすぐ1ヶ月を迎えるが、肩の傷は全く癒えなかった。死を覚悟するような危険こそ無くなったが、耐えがたい痛みはそれこそ毎日のように襲い掛かり、私はその都度ベッドに蹲り、歯を食いしばって嵐が過ぎるのを待つ他になかった。右手はほとんど言うことを利かず、少し動かすだけで灼けるような熱が全身へと広がる。この様な体では、騎士を全うできるはずがない。私は坊ちゃんに頭を下げながら、この先の事を思う。


 旦那様には身に余るほどのご配慮をいただいたが、今日で私はお役御免となり、これからは独りで生きていかなければならない。幾ばくかの報奨金は期待できるかも知れないけれど、1年もすれば消えてしまうだろう。そこから先は、どうしたらいいか。


 利き腕がこのような有様では、何の仕事もできない。父も母も死に天涯孤独の身とあって、頼るべき相手も居ない。せっかく騎士にまで上り詰めたのに、明日からは見知らぬ男達に体を売って日銭を稼ぐような屈辱的な未来しか、思いつかない。俯いたまま唇を噛む私に、坊ちゃんの命令が降り注いだ。




「代わりにリュシー・オランドに命じる。――― この俺の側付きの侍女となって片時も傍らを離れず、俺に尽くせ」




「…は?」


 坊ちゃんの口から飛び出た予想外の言葉に、私は思わず顔を上げ、坊ちゃんの顔をまじまじと眺める。私の不躾な視線に気づいた坊ちゃんが、腕を組んだまま不機嫌そうに顔を歪めた。


「何だ、その顔は?何か、不満でもあるのか?」

「い、いえ、そんなつもりでは…。でも、坊ちゃん、それ本気で言ってます?」

「何だと?」


 坊ちゃんが私の口答えを聞いて明らかに機嫌を損ねるが、私には坊ちゃんを宥める余裕がない。千載一遇のチャンスとわかっていながらも、これ以上の質問は己の不利益にしかならないと理解していながらも、私は坊ちゃんに真意を質さざるを得なかった。


「見ての通り、今の私は何にもできませんよ!?利き腕は動かないし、しょっちゅう熱出して倒れるし。大体が坊ちゃん、私が家事全般、壊滅的に不得手だって事、ご存じでしょう!?」


 私は剣の才能や身体能力に恵まれていたが、反面、その才能は家事に関する能力と引き替えに得たとしか思えないほど、家事が苦手だった。料理はおろか、掃除から洗濯、裁縫に至る全ての作業が、私の手に係ると途端に殺傷・破壊行為と化した。私が侍女を務めようものなら、きっと坊ちゃんは明日の日の出を目にする事はできないだろう。望まぬ主殺しから逃れるべく、これまでの騎士人生で最も切実な諫言をする私に、坊ちゃんは事もなげに言い返した。


「そんな事は、百も承知だ。俺の世話はこれまで通り、別の者にやらせる」

「え?じゃぁ、私は坊ちゃんのお傍で、何をすればいいんですか?」




「――― 何もするな」




「…へ?」


 あ、予想外の言葉に、変な声出ちゃった。我に返った私は自分の存在意義を求め、坊ちゃんに縋りついた。


「…い、いや、坊ちゃん、幾ら何でも何もするなは、ないでしょう?ほ、ほら、私は元騎士なんですから、坊ちゃんの護衛とか…」

「利き腕が動かなくて、どうやって護るんだ?」

「に、荷物持ちとか…」

「腕を上げただけで熱を出して寝込むような、虚弱体質なのに?」

「が、頑張って特訓して、お茶淹れられるようになりますから!」

「お前、俺を殺す気かっ!?」


 即答だった。


 坊ちゃんの容赦のない言葉が心臓に突き刺さり、私は胸を押さえ、ベッドに倒れ込んだ。おまけに熱まで出てきちゃって、起き上がる事もできない。私の顔に赤みが射した事に坊ちゃんが気づき、思いついたかのように止めを刺した。


「…あ、知らないうちに死なれたら敵わんから、体調が優れない時には勝手にソファで休んで構わないぞ」


 主人に断りもなく、勝手にソファに横になる侍女。役立たずにも程がある。


 そこまでして坊ちゃんが私を傍に留める理由が、分からない。私は熱の籠もった息を吐きながら、坊ちゃんに尋ねた。


「…ぼ、坊ちゃん…何故、そこまでして私を傍に居させるんですか…?」


 私の問いに、坊ちゃんは胡乱気な目を向け、ぞんざいに答える。




「何故って…約束しただろうが…」




「…え…約束…?」


 私がベッドに横になったまま尋ね返すと、胡乱気な目を向ける坊ちゃんの片眉が跳ね上がる。


「…お前、まさか…覚えてないのか?」

「…あ、えっと…」


 坊ちゃんが目を剥きながら詰問する勢いでベッドへと身を乗り出し、私は慌てて布団の中へと潜り込んだ。布団の端から顔を覗かせ、坊ちゃんの顔色を窺いながら弁解する。


「あぁあ、あのですね、あの時耳鳴りが酷くって…特に後半が、聞き取れなかったんですよ…」

「何だとぉっ!?お前っ!まさか俺との約束を反故にするつもりかっ!?」

「あ、いや、坊ちゃん、落ち着いてっ!?だからって、坊ちゃんとの約束を違えようだなんて、微塵も思っていませんから!私は宣誓した通り、坊ちゃんの言う事を聞きます。




 ――― だから、教えて下さい。坊ちゃんはあの時、私に何を求めたんですか?」




「…」

「…坊ちゃん?」


 私が尋ねた途端、坊ちゃんはベッドに手をついて身を乗り出したまま、硬直した。私が布団から顔を覗かせ、真上に浮かぶ坊ちゃんの顔を眺めていると、次第に坊ちゃんの顔が赤くなり、開いたままの口が戦慄き出す。


「…し、知らんっ!」


 そして次の瞬間、坊ちゃんは弾かれるように身を引いて胸を反らすと、腕を組んで横を向き、悪態をつき始めた。


「クソ!お前、よりにもよってこの俺との約束を忘れるとは、不誠実にもほどがあるっ!申し訳ないと思うなら、俺に尋ねようとせず、自力で思い出せ!」

「い、いや、忘れたんではなくて、聞こえなかったんですから、無理ですってば。ちゃんと言う事を聞きますから、何を言ったか教えて下さいよ」

「五月蝿いっ!俺は教えてやらんっ!俺が何を求めているか、足りない頭で考えろ!」

「ぼ、坊ちゃん、さっきから俺々って…ガラ悪くなっていません?」


 確か以前は自分の事を「僕」と言っていたはずなのに、いつの間にか「俺」になっている。しかも言葉遣いまで横柄になっているし。私は、そっぽを向いて顔を真っ赤にしながらがなり立てる坊ちゃんの変貌に驚き、同時にある事に思い至った。


 …あ、コレ、もしかして反抗期?


 坊ちゃんも来年には15歳を迎える。これまで旦那様とマリアンヌ様の愛情を一身に受け、ラシュレー家の次期当主としての期待を背負ってきたせいか、坊ちゃんは此処まで真っ直ぐに育ってきたが、今回の事件をきっかけにアイデンティティに目覚めたのかも知れない。此処で接し方を誤っては、帝国の西方に暴君が誕生してしまう。私は布団の中で左拳を握り、心の中で決意を表明した。


 そうだ。私は坊ちゃんの成長を正しく導く、小言係になろう。


「おいっ!お前、人の話を聞いているのかっ!?おいっ!?」

「…坊ちゃん、人を遣う時にお前呼ばわりはいけません。ちゃんと相手の名を呼んであげて下さい」

「ハッ!お前なんざ、俺との約束を思い出すまで『お前』で十分だっ!」

「坊ちゃんっ!」


 新たな使命に燃える私に坊ちゃんがぞんざいな言葉を浴びせ、私はベッドに横たわったまま、すかさず坊ちゃんを諫める。


 こうして私は騎士リュシー・オランドから侍女リュシー・オランドへと立場を変え、坊ちゃんの傍らに立つ事になる。


 それから瞬く間に4年が経過し、―――




 ***


「おい、お前、大丈夫か?辛いなら、其処のソファで休んでいろ」

「うぅぅ…坊ちゃん、申し訳ありません…」


 今日も役立たずの侍女として、坊ちゃんの傍らで寝込んでいる。

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