3:敗北
きっかけは、査察で訪れた村の長の一言だった。
「…盗賊が?」
坊ちゃんの護衛隊を指揮するアンドレ隊長の問いに、村長が頷く。
「はい、騎士様。この先の幹道に最近居座りまして。つい先日も
旦那様は例年、冬を迎える前に各駐屯地の査察を行っているが、その年、初めて坊ちゃんを伴っていた。坊ちゃんは来年早々には15歳となり成人を迎えるため、実地を見聞させることにしたのだ。
だが、その査察の途中で魔物の襲撃の報が入り、旦那様はアンドレ隊長に坊ちゃんの護衛を託すと、主力を率いて迎撃に赴いた。残された坊ちゃんは旦那様の名代として、隊長が率いる20名の騎士とともに査察を続け、この村に到着したところだった。嘆願を聞いた隊長が、再び村長に尋ねた。
「ふむ…盗賊達の位置と規模は?」
「はい、数はおよそ10名、距離は此処から馬で丸一日の付近です」
「そうか…」
村長の言葉を受け、隊長は顎に手を当てて少しの間考えた後、坊ちゃんに目を向ける。隊長の視線を受けた坊ちゃんは、挑戦的に頷いた。
「領民の苦境を見過ごすようでは、ラシュレー家の名折れだ。盗賊どもを蹴散らし、村の平穏を取り戻す」
「畏まりました」
坊ちゃんの言葉に、隊長は姿勢を正して一礼する。坊ちゃんの判断は妥当と言える。盗賊の人数は
「では、私が護衛隊のうち15名を率い、討伐に向かいます。シリル様は5名の騎士と共にこの村に留まり、吉報をお待ち下さい」
「いや、僕も同行する」
「シリル様!?」
「坊ちゃん!?いけません、坊ちゃんの身に万一の事があっては!」
坊ちゃんの発言を聞いた隊長が仰天し、私はすかさず坊ちゃんに翻意を促した。しかし坊ちゃんは私の諫言に耳を貸さず、隊長の目を見て宣言する。
「父上は魔物襲撃の報を受け、自ら先陣を切られた。そのラシュレー家の跡取りでもある僕が、後方で怯えていてどうする?元々、来年成人を迎え戦地に立つ予定だったのだから、それが2ヶ月早まっただけだ。それに、僕の護衛に5名もの騎士を割いては数の優位を活かせず、後れを取る事にもなりかねない」
「…」
坊ちゃんの言葉に、隊長は黙り込んだ。もしかしたら、彼は坊ちゃんの発言にラシュレー家の次期当主に相応しい資質を見い出し、それを潰してしまう事への恐れがあったのかも知れない。やがて彼は自らの思いにけじめをつけるかのように深い溜息を吐くと、結論を口にした。
「…畏まりました。シリル様を含め、全員で討伐に当たります。しかしながら、シリル様、戦場では決して前に出ませぬよう。必ず私の指示に従って下さい」
「当然の事だ、アンドレ。僕も君の指示に従おう」
こうして私達は明日の討伐に備えて村に一泊し、翌朝、日が昇る前に村を出て、盗賊の棲み処へと向かった。
私達が盗賊の棲み処と思われる森の奥に足を踏み入れると、盗賊達が武器を手に襲い掛かってきた。彼らは、只の盗賊ではなかった。
――― かつて、盗賊だった者達だった。
***
上空に厚い雲が立ち込めた薄暗い森の中に、剣戟と怒号と悲鳴が飛び交った。
「うわああああぁぁっ!」
「止めろっ!止めてくれ!」
「畜生っ!下がれ、下がるんだっ!」
隊長が苦渋に顔を歪め、振り下ろされた剣を防ぎながら声を張り上げる。隊長に剣を振り下ろした敵は、盗賊ではない。つい先ほどまで隊の一翼を担っていた騎士の、成れの果てだった。
護衛隊は大混乱に陥っていた。構成員の三分の一は泣き喚いて敵味方構わず剣を振り回し、もう三分の一はすでに地面に斃れ、一部はゾンビと化して私達に襲い掛かっている。戦場には全身黒ずくめ、ボロボロのマントを羽織った上半身だけの一体の骸骨が飛び回り、泣き叫んでいた。
「ああァぁぁあアアぁっぁぁァァァっ!おアァぁぁぁおォォぉうぉォオォォぉォォッ!」
「糞ったれっ!何でワイトがこんな所に居るんだっ!?」
隊長が、私の知らないアンデッドの名前を吐き捨て、歯ぎしりをする。
護衛隊の前に姿を現したのは、ゾンビと化した盗賊達だった。私達は驚きつつもゾンビと剣を交えるが、横合いから飛び出してきたワイトが泣きながら護衛隊の背後を横切る。レジストに失敗した何人かの騎士が≪
「あぁあああぁぁあぁぁぁぁっ!助けて、助けてっ!父上ぇ!母上ぇ!」
「坊ちゃん、落ち着いてっ!お気を確かにっ!」
坊ちゃんもレジストに失敗し、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、あらぬ方角へと駆け出そうとする。私は坊ちゃんを後ろから羽交い絞めにし、渾身の力を籠めて抑え込んだ。
「ぎゃあぁああああぁぁっ!」
「畜生っ!剣が効かないっ!」
また一人、坊ちゃんを護衛していた騎士がワイトに噛みつかれた。ワイトの歯は私達が身に着けた鎧を易々と突き抜け、噛みつかれた騎士は藻掻き苦しみながら膝をつく。別の騎士が背後からワイトを斬り払うが、剣はワイトの体をすり抜ける。ボロボロのマントに僅かに白煙が上がるが、ワイトは嫌がるように身じろぎするだけだ。正面で三体のゾンビと対峙している隊長が、背中を向けたまま怒鳴りつけた。
「ワイトは聖属性の攻撃しか効かんっ!とっとと剣に聖水を
「やってます!やってますが、効かないんですよ!」
「何だとぉ!?」
「あぁああああぁぁあぁぁぁっ!」
相当力の強い個体らしい。一介の聖職者が生産する聖水では、太刀打ちできない。そうこうするうちに坊ちゃんを護衛していた最後の騎士が噛まれて崩れ落ち、ワイトが泣き喚いている坊ちゃんへと目を向けた。
「おぉおォォおぅぅゥオゥゥぅ!アあぉぉァォおぉオオォォオぉぁあアぁぁァァァ!」
「坊ちゃんっ!」
私は坊ちゃんを突き飛ばしてワイトの前に立ちはだかると、続けざまに刺突を繰り出す。しかし、引き抜いたばかりで聖水を塗していない剣はワイトの体を素通りし、ワイトは口を大きく開けて私の右肩にかぶりついた。ワイトの歯は鎧を空気のようにすり抜けて体に食い込み、右肩に灼けるような痛みが走り、右手の力が抜ける。
「あああああぁっ!」
今まで受けた事のない激しい痛みに私は悲鳴を上げ、剣を取り落とした。私は左手を振り回しワイトに何度も叩きつけるが、剣と違い感触があるものの、何のダメージも与えられない。次第に体から力が失われ、痛みに意識が塗り潰される中、私は何か叩きつける物がないか左手で体をまさぐる。そして腰に括り付けられていた硬い柄を探り当てて引き抜くと、無我夢中でワイトの首筋に叩きつけた。
「ァが!?…オァあぁアアァァァ…ぁ…ァァ…」
叩きつけた途端、ワイトが口を離して仰け反り、硬直する。その首筋から幾筋もの光が溢れ、次第に大きくなってワイトの体を喰い潰していく。ワイトの体は次第に崩壊し、やがて塵と化して消え去った。
「はぁ…はぁ…」
私は肩で息をしながら、左手で逆手に持った物に目を向ける。それは、祖母の形見として肌身離さず持ち歩いていた、銀色の輝きを放つ短剣だった。短剣の由来を聞かされていなかった私は、アンデッド特効が付与されていた事に感謝しながら、残された力を振り絞って声を張り上げた。
「て、敵の首魁を撃破っ!…た、隊長っ!?」
振り返った私が目にした光景は、ただ一人、五体ものゾンビと対峙していた隊長の背中に、ゾンビと化したかつての仲間が覆い被さる姿だった。
「隊長!?すぐに加勢を!」
「リュシー!馬鹿野郎っ!」
慌てて駆け寄ろうとした私に、隊長の怒声が飛んだ。彼は己に圧し掛かったゾンビを振りほどこうと藻掻き、前方から押し寄せるゾンビを蹴り飛ばしながら、私を叱責する。
「貴様、騎士の本分を忘れたのかっ!?貴様が守るべき相手は、何処に行った!?」
「っ!?坊ちゃん!?」
隊長の叱責に私は弾かれ、背後へと振り返る。その視界に、泣き喚きながら暗い森の奥へと駆けていく、坊ちゃんの後姿が映し出された。呆然とする私の耳に、隊長の怒声が飛び込んだ。
「リュシー・オランド!命令だ!シリル様を守護し、無事に閣下の許へ送り届けろ!早く行けっ!」
「っ!?」
隊長の命令に私は硬直し、救いを求めて周囲を見渡した。しかし、すでに生きている者は私と隊長の二人しかおらず、それどころが地面に斃れている騎士が二人ほど、新たにゾンビとなって蘇ろうとしている。私は唇を噛み、呻くように答えた。
「…畏まりました!アンドレ隊長、ご武運を!」
「あぁ!」
厚く立ち込めた雲から雨が降り始め、生者と死者の体を濡らし始めた。
私は身を翻し、坊ちゃんの後を追って凄惨な戦いの場から離脱する。背後からは、生者のものとは思えない呻き声と、抗うように繰り返される剣戟の音が、繰り返し響き渡っていた。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
「ああぁぁあぁぁぁっ!助けて!助けて!」
私は激しく降る雨の中、痛む右肩を庇いながら、坊ちゃんを追って走り続けた。旦那様よりマリアンヌ様の血を濃く受け継いだ坊ちゃんは、魔術師としての才能に恵まれている反面、肉体的には目立つ点がない。いつもであれば容易に坊ちゃんに追い付くはずだが、ワイトに右肩を噛まれ体を蝕まれていた私は十全の力を発揮できず、距離はなかなか縮まらなかった。
「坊ちゃんっ!」
「ああぁあっぁぁあぁぁっ!」
ようやくの事で追い付いた私は背後から飛び掛かり、坊ちゃんを引き倒した。私達は土砂降りの雨の中で揉み合いになり、泥に塗れる。私は拳を振り上げ喚き続ける坊ちゃんを仰向けにすると馬乗りになり、自由の利く左手を払って頬を打った。
「…っ…!」
「坊ちゃん、落ち着いて下さい」
ワイトが斃された事で、状態異常から解放されたのだろう。私の平手打ちを受けた坊ちゃんが一瞬で動きを止め、やがてゆるゆると私に目を向ける。私は坊ちゃんに馬乗りになったまま、できるだけ優しく、諭すように答えた。
「…隊は、全滅しました。アンドレ隊長が
「っ!?今すぐアンドレを助けに…!」
「坊ちゃん!現実を見て下さいっ!」
跳ね起きようとしていた坊ちゃんは、私の鋭い一言で再び硬直した。地面に押し倒されたまま雨に打たれ、涙に塗れる坊ちゃんに、私は諦めにも似た儚い笑みを浮かべる。
「…今更私達二人が戻ったところで、何ができると言うのですか?アンドレ隊長の遺志を無駄にしないで下さい。今、坊ちゃんが為すべき事は、ただ一つ。無事に帰還する事です」
私の言葉に坊ちゃんの目が見開き、唇が戦慄いた。次第に雨足が弱まり、疎らになっていく中、私と坊ちゃんは泥濘の中で絡み合ったまま、見つめ合う。
「…」
やがて坊ちゃんは口を真一文字に噤んだまま、弱々しく頷いた。言葉の代わりに、鼻を啜る音が響き渡る。仰向けになったまま縋るような目で見上げる坊ちゃんに、私は優しく微笑むと、坊ちゃんから離れて片膝をつき、左手を差し伸べた。
「…坊ちゃん、急ぎましょう。微力ながら、お護りいたします」
「…うん」
夕立が止み、不吉な鳥の声が辺りに漂う中、私達は村の方角へと駆け出して行く。
たった二人だけの、辛く、苦しい逃避行が始まった。
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