天罰必中暗闇姉妹 夕闇編
村雨ツグミ
家出をした時
「むにゃ」
ベッドに寝ていた村雨ツグミが目を覚ました。
(あれ?ここは……)
居候をしている鷲田アカネのアパートではない。しばし混乱するが、昨夜のことを思い出した。
「あ、そっか。ジュンコさんの部屋だ」
西ジュンコ。彼女は悪魔でありながら人間として順応し、整備工をしながら生活していた。しかし、それは表向きの顔である。裏では『天罰必中暗闇姉妹』というサイトを運営し、そこに集まった情報を元に、人でなしに堕ちた魔法少女たちに天誅を加えていた。
閃光少女二人、悪魔人間、さらにそこにツグミも加わり、下山村で男子中学生を食い物にしていた魔法少女を殺害してから、かれこれ一週間以上過ぎていた。そんな土曜日の朝である。
ツグミは、テーブルに置かれている食事に目を留めた。たぶん、ジュンコが用意していたものだろう。チーズを乗せてオーブンで焼いたトーストと、コーヒーが入ったマグカップが置いてある。同様の物が入っていたのであろう皿と空のカップも一組分、残されていた。おそらくジュンコはすでに朝食を済ませたのだ。
「あ、これって……」
デジャブのような光景にツグミが身構える。すると、朝シャンを済ませたジュンコが、全裸で部屋に入ってきた。
「おや?よく眠れたかいツグミ君」
「うわー!またですか!」
ベッドに飛び込んだツグミは頭から布団をかぶって叫ぶ。
「早く服を着てくださーい!」
その頃、鷲田アカネは和泉オトハを喫茶店に呼び出し、昨晩の出来事を話していた。彼女たちの正体はグレンバーンとアケボノオーシャン。城南地区を守ってきた閃光少女の二人である。
「うわーん!どうしよう!ツグミちゃんが家出しちゃった!アタシのことを嫌いになっちゃったの!」
「お、おちついてよ~アッコちゃん!昨日なにがあったのさ~?」
悲観しているアカネを前に、オトハは普段のように、からかうつもりにはなれなかった。帰る家を失ったツグミがアカネのアパートに居候していることは、オトハもよく知っていることである。オトハの目から見れば、二人の仲は
オトハは思う。べつにはっきりとそう決まっているわけではないのだが、
「ツグミちゃんって、なんか、思わず構いたくなるような魅力があるでしょ?」
「ええっと……庇護欲をかきたてられる、ってやつかな?」
「そう、たぶんそれよ」
アカネは身長170cmの女傑で、ツグミは145cmの柔和な少女だった。しかもツグミは記憶喪失で、魔女に襲われていたところをグレンバーン/アカネが助けたという経緯もある。正義感の強いアカネが、庇護欲を無用に掻き立てられるのは仕方がないのかもしれない。
「それで、ツグミちゃんを構い過ぎちゃったと?」
だが、ここでちょっとした逆転現象に困ることになる。アカネは16歳であるが、ツグミは推定18歳である。実はツグミの方が年上なのだ。
「それでツグミちゃんに言われたの。『私はアカネちゃんほど子供じゃないもん』って。それでアタシもカチンときちゃって……」
「喧嘩になって、ツグミちゃんが家出しちゃったと」
もっと深刻な事態を想像していたオトハの肩の力が抜ける。
「なんだ~ただの夫婦喧嘩か~。そりゃあ犬も食わないってやつだよ~」
「ちょっと!誰がオスの熊ですって!?」
「いててて!そんなこと言ってないじゃないか~」
オトハがアカネにつねられた手の甲をさする。
「それで、メスの熊さん……じゃなくて、ツグミセンパイはどこに行っちゃったの?」
「何も言ってなかったわ。でも、行くとしたらハカセのところだと思う」
ハカセ。ハカセホワイトは、西ジュンコの変名である。オトハはその推理は妥当であると思った。もう一人の仲間、悪魔人間の中村サナエは、所用で今は住んでいる神社を留守にしている。当然オトハの住んでいる学生寮には来ていないので、消去法でジュンコの工場ということになるだろう。工場2階のジュンコの自宅スペースで、ツグミが寝起きするのは、なにも今回が初めてではない。
「まあ、そのうち仲直りできるよ。でも、ツグミちゃんはもう一人で生活した方がいいと思うな」
「どうしてよ?」
オトハが喫茶店の中を見回し、誰も自分たちに注目していないのを確認してからアカネに小声で話す。
「ツグミセンパイは私たち閃光少女と違って、隠れ蓑がないでしょ?敵に顔が知られているから、ずっとアッコちゃんのアパートに居るのは、お互いに危険が危ないと思う」
敵、というのは閃光少女オウゴンサンデーとその一味のことだ。理由は不明だが、彼女たちはトコヤミサイレンスという魔法少女の処刑人を探しており、その目的達成のために、かつてツグミが居候していた糸井家を崩壊させている。その時にツグミは顔を憶えられているのだ。
「じゃあ、どうするのよ?」
「それなんだ。センパイがハカセのところに行っているなら、話は早いと思う」
「セーフハウス?」
ツグミはジュンコが用意してくれた朝食を食べながら、その聞き慣れない単語に首をひねる。
「セーフハウス。安全な家。つまり隠れ家のことさ」
ジュンコは普段の白衣姿ではなく、作業服に着替えていた。表の仕事があるのだろう。邪魔にならないように長い髪を団子にまとめながら、ジュンコは説明を続ける。
「城南駅前の、とある12階建てビルの13階フロアを、架空の会社名義で確保していてね。私たちのセーフハウスとして利用しようと思っているんだ」
「12階建てビルの13階?」
ジュンコの支離滅裂な説明に、ツグミはさらに首をひねる。
「まぁ、行ってみればわかるよ。君とアカネ君の間に何があったのかは知らないが、こうして来てくれたのはちょうどいい。視察に行ってくれないかい?まずは、君の意見を参考にしたい。そして、都合が良ければそこで暮らすといい」
「はあ……」
ツグミが曖昧にうなずく。
「これが君の社員証だ。架空の会社の、ね。1階に守衛がいるが、それを持っていれば怪しまれる心配はない。12階まではエレベーターが使えるが、そこから先は階段を使ってくれたまえ。必ず、その社員証を携帯すること。いいね?」
それから約30分後、ツグミはジュンコが手配したタクシーの座席に揺られていた。
「お客さん、着きましたよ」
「あ、はい」
タクシーから降りたツグミは、その12階建てビルを見上げて、指で窓の数をかぞえてみた。
(やっぱり12階しかない)
ジュンコにからかわれているのだろうか?
「じゃあ、料金は会社の方へ請求しておきますので。ご利用ありがとうございました」
そう言って走り去るタクシー運転手の様子を見るに、必ずしも嘘ではなさそうではある。実際、ジュンコから渡された社員証を見せると、守衛はすんなりとツグミを通してくれた。
「あなた社長さんに似ていますね。娘さんですか?」
「そうかもしれないけど、どうだろう……?」
「?」
ツグミは言われた通りに12階まではエレベーターで上がった。そこから先は階段だ。ただ、やはりというか、階段の踊り場まで行って、ツグミは首をひねる。階段の先にあるのは屋上だ。鉄のドアは、どう見ても施錠してある。
「うーん……、でも、まあ……」
行ってみよう。ジュンコさんのことだから、何か仕掛けがあるのかもしれない。
ツグミが社員証を眺めながら階段を登りきると、景色が一変した。
「あれ!?」
いつの間にか、ツグミはフロアに立っていた。目の前にある階段の先には屋上に続く鉄のドアが見える。
「どういうこと?私、いつの間に12階に戻されちゃったんだろう?」
だが、階段横の壁に描かれている番号を見てツグミは理解した。13と描かれている。
「これは魔法だ。12階と屋上との間に、存在しないはずの13階がたしかにあったんだ……!」
13階のフロアに一人ぽつんといるのは、ツグミだけである。
「株式会社トゥモロー……」
そう書かれたドアをツグミは開いた。
「うわぁ!」
部屋の中を見たツグミは感歎の声をあげた。窓の側に、申し訳程度にデスクが並んでいるが、後は社員、つまりツグミたちの居住空間になっていた。とても、広い。暗闇姉妹の5人全員がここで暮らしても十分すぎるくらい、一通りの家具や調度品も揃っているし、お風呂にも入れるようだ。だが、人間社会に慣れていないジュンコが間取りを考えたせいか、お風呂から上がったあとは全裸で歩き回らないと部屋に戻れなくなってしまっている。もっとも、それはカゴを使ったり、フロアのあちこちにあるパーテーションで区切れば、なんとかなるだろう。
調理場もあった。当たり前だが、大きな冷蔵庫の中は、まだ空っぽである。これから買い物をしてこの中を埋めていくと考えたら、ワクワクする。
「
そうつぶやきながら、ツグミはふかふかの新しいソファーに腰を落っことした。
『アピアパー!!』
「あはは」
ツグミが、大型テレビに映った奇声を発するお笑い芸人を見て笑っていると、ふと時間が気になった。壁掛け時計の針を見ると、
「もう11時半!」
ツグミは驚いて思わずソファーから飛び上がる。
(家に帰らなければ!)
だが、まもなくツグミの動きが止まった。
「帰るって、どこへ?」
アカネのアパートではない。昨夜、家出して飛び出してきたのではないか。アカネから言われた言葉がツグミの脳裏にリフレインする。
「ツグミちゃんの方がちんちくりんじゃない!」
ツグミは、自分なりに、精一杯怖い顔をしてみせる。そうだ、私の家は今日からここなのだ!
(だけど……)
ツグミは広いセーフハウスの中を見回す。ここで一人きりで過ごすのは、なんだか寂しい気がした。
「ああ、お昼ご飯ですね」
「はい?」
「これから食べに行かれるのでしょう」
なんとなくビルの外へ出てみたツグミに、守衛がそう声をかける。
「お昼ご飯……」
ツグミの脳内アカネが涙を流して叫んでいる。
「うわーん!ツグミちゃんの作ってくれたご飯が食べたいわー!」
(うう……)
そういった内心での葛藤のせいもあり、ツグミは自分一人で何かを作って食べる気にはなれなかった。
自然、ツグミの足は近所のコンビニに向いた。そこでお弁当でも買って食べようと思ったのである。セーフハウスに戻ってもいいし、なんなら今日は天気がいいので、近くの公園で食べてもいいかもしれない。
「いらっしゃいませ!」
商品を並べていた若い女性の店員がそうあいさつをする。店内には彼女の姿しか見えなかった。昼食を求めて客が増えるのは正午を過ぎてからなのだろう。
ツグミのお目当ては弁当である。あるいはサンドイッチとかでもいいかもしれない。だが、ふとコンビニのスイーツコーナーが気になった。
(わぁ、かわいい)
最近では珍しいことではないのだが、記憶喪失のツグミにとって、コンビニのスイーツはどれも見たことがない素晴らしい食べ物に見えた。愛らしく、そして美味しそうである。もしもこれをお土産にしたら……ツグミの脳内アカネが目を輝かせ、喜びの声をあげる。
「すごーい!ありがとう!一緒に食べましょう!」
(ふふふ)
思わず顔がにやけていたツグミであったが、すかさず頭を振る。こんなことではいけない!自分は家出を完遂するのだ!ツグミはあらためて顔をキリッと引き締めた。その時である。
「あ、すみませーん!」
商品を並べていた店員がレジの方へ小走りで向かった。男性が一人、レジの前に立っている。ツグミもその男性を見た。背中が丸まっているが、ちゃんと伸ばせば身長180cmくらいありそうな、筋肉質な見た目の男である。さほど寒い気候でもないのに、黒いパーカーのフードを深々とかぶり、ツグミからは顔がよく見えない。だが、その息遣いに、何か異様なものをツグミは感じていた。しかし、女性の店員はまったく気づいていない。
「10番のおタバコを1つですね?」
「……」
男がぶつぶつ何か言いながらうなずく。
「280円になります!」
男はしわくちゃの千円札を無造作にレジカウンターに投げた。女性店員がそれを手で拾い、お釣りを出すためにレジスターを開いた瞬間である。
「きゃっ!?」
男は女性店員の胸ぐらを掴んで引き寄せると、その首に折りたたみナイフの刃を突きつけた。
「騒ぐんじゃねぇ……!」
女性店員の顔が青ざめる。そして、それはその光景を男の背後から見ていたツグミも同様であった。
(強盗だ……!)
ツグミは偶然にもコンビニ強盗の現場に居合わせてしまったのである。
「ど、ど、ど、どうしよう!?」
男がハッと後ろを振り向いた。ここで初めて強盗がツグミの存在に気づいたようだ。たぶん、小さな彼女の姿が、棚に隠れて見えなかったのだろう。血走った目をした彼はナイフの切っ先をツグミの方に向ける。
「お前も、騒ぐんじゃねぇぞ……!変な気を起こすなよ……!殺すぞ……!」
まさに修羅場である。だが、そんな状況にも関わらず、ツグミは自分が徐々に落ち着きを取り戻していっているのを自覚していた。
(この人……本当は私たちに怯えているんだ……)
そんな感じがする。
男は再び女性店員の首にナイフを突きつけながら、残った手でレジスターの紙幣を鷲掴みにした。
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