第29話 狡猾(2)

 その気になれば家を丸ごと握り潰せるほどの巨体。

 人間なぞ弾かれただけでバラバラになって吹き飛びそうな白い指。

 もし吸血鬼ブラディアになっていなければ、真っ先に逃走するであろう敵に、バークは身震いしそうになった。


「正体がバレるのを気にするくせに、そんな芸術性のカケラもない姿になるのね」


 一方、ただ大きくなっただけの相手をメルは鼻で笑う。

 さすが場慣れしているだけはある。人間を美術品に変えていた相手を皮肉り、美的センスの無さを嘲る余裕があった。


『お前たちを処分した後、街中にいるすべての人間の記憶を描き変えるから問題ない』


 巨大化と同時に口の上にギョロりと生えてきた二つの赤い虹彩の目玉が、高みから地上を見下ろす。


「それだけのことができる力量を持っているが故の自信ですね。慢心する心、へし折り甲斐がありそうです」


 どうとでもなると余裕の付喪神スペリアに、ティアも周囲に三角錐の氷を出現させ威嚇するように先端を相手に向けた。


「ダリア、遠くに逃げてろ。近くじゃ守り切れるかわからない」


 偽物の付喪神スペリアとも、初めて見た女神像の付喪神スペリアとも違う、明らかに格上と思わしき相手。

 誰かを守りながらそいつと戦って無傷で済ます自信はバークにはない。

 遠くで様子を覗っていた人たちも、異様な付喪神スペリアの姿に悲鳴を上げながら逃げていった。


『これはこれでオツな食事だな』


 そんな人々の恐怖を食っているのか、満足気に舌舐めずりをする。


付喪神スペリアは負の感情を得るほどパワーが増します」

「状況的に時間をかけるのはマズいってことか」


 ティアの言にバークは唇を噛む。

 街中で暴れられれば恐怖が伝播し、敵の力が加速度的に上昇していくということだ。

 バークは走り去っていくダリアの背が民家の角を曲がったのを確認すると、早期決着しようと気合いを入れて光刻剣アンセムを構えた。


「コア・ジール」


 開戦の狼煙よろしく、大人の頭サイズの火球を相手の顔面めがけてぶっ放す。

 イラつく言葉を吐き出す口を燃やし尽くそうと、灼熱が空気を焦がしながら飛来する。

 その炎に隠れるように、ティアは漂わせていた氷の弾を撃ち出し、足のように立っている手袋の指部分を狙う。

 コアを破壊しなければ倒すことはできないが、機動力さえ奪えば吸血鬼ブラディアなら特定の場所に一撃を加えるのは造作も無いことだ。


 相手が怯んだ隙に決めるのは自分だと、バークは右足にグッと力を入れ、相手の動きに注視するが。

 攻撃が当たる寸前、地面から天に向かって極彩色の絵の具の壁が盛り上がり、炎も氷も飲み込んでしまった。


『その程度の力が私に届くとでも思ってるのか?』


 一瞬で消え去った壁の先から、付喪神スペリアが得意げに黒い歯を覗かせる。

 衝突して爆散したのではなく、大型獣が丸飲みするように壁に消えた。そのことから、攻撃そのものを無効化したと推察される。

 あの壁に人間が触れればどうなるか、想像したくないが楽しい結果にはならないことだけは予想できた。


「防いだということは当たれば効くことの裏返しだ。確実に狙っていくぞ」


 当たってもノーダメージなら防御の必要はない。バークの戦意は削がれるどころか、倒せる相手と知れてより心は燃え上がった。


『ふむ。お前たちを絶望させるには圧倒的な力を見せつけるのが良いか。ならばこんな趣向はどうかな?』


 防ぐだけでは効果がないと踏んだ付喪神スペリアは、一転滑るように通りを疾走し始める。


「何する気だ!?」


 勝ち誇った口を叩いていた奴が逃走を図るとは考えられない。ロクでもないことをしでかす気だと、バークは二人と急ぎ白い背を追う。

 すぐに街の中心へと伸びる大通りに入った付喪神スペリアに、状況を知らなかった街人たちが目を見開き、怒号や悲鳴と共に散り散りに逃げ始める。


 そんな人間たちがひしめく真っ只中で巨大な手袋が動きを止めると、ニヤリと口の端を上げ、指を周囲に向けてグルリと一周させた。


「一体何を?」


 吸血鬼ブラディアに呪いは見えないし感じることもできない。しかし何かが行われたと本能的に感じ、バークは警戒を色濃くし離れた位置で立ち止まり。直後、


「母さんを殺したな!」「息子を返して!」「私の親友をよくも!」


 震えていた青年が、腰を抜かしていた女性が、店の窓から外を覗いていた男性が。

 逃げ遅れて近くにいた数十人の人間たちが、ナイフを棒を石を手に、次々と吸血鬼ブラディア三人に悪魔の形相で向かってきた。


「これは……記憶改変ですか」


 〝厄介なことを〟と言いたげな表情で、ティアは飛んできた石を片手で払い、迫ってくる民衆を見つめる。

 どうやら周囲に残っていた人たちの記憶をイジったようだ。

 言葉の内容から察するに、各々が大切な人を三人に殺されたことになっているのだろう。


 怒り、悲しみ、憎しみ、絶望。抑え切れない感情を目の前にいる仇にぶつけ、報復できるチャンスだと思い込まされていれば、当然このような状況になる。


「みんなを傷つける訳にいかないぞ。どうしたらいい?」


 ナイフを構え突進してきた若い男性を、バークは大きく跳んで躱す。

 ただ記憶を捏造され思うように操られているだけの人に危害を加える訳にもいかない。かと言って、避け続けるだけではなんの解決にもならない。

 バークは物理的にも精神的にも八方塞がりになっていた。


「仕方ない。気は進まないけど、あれを使うわよ」


 メルは火傷させないように気遣い、炎の壁で人間たちを牽制しながら自身のポケットに手を突っ込む。


 そして布袋を掴むと、木でできた手のひらサイズのオルゴールを取り出した。

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