第20話 バークの起因(2)
「ど、どうなったの?」
一人アトリエに戻ってきたバークの姿に、ダリアは状況が飲み込めず不安そうに尋ねる。
メルとティアは部屋の外で待機している。絵描きとモデルが二人きりの状態で事件は起きている。できるだけ同じ状況を再現したほうが真相に近づけるだろうという判断だ。
「ダリアさん、俺の絵をここで描いて貰えるか?」
アトリエの真ん中に立つ二人を、置かれた絵画や彫刻の瞳が見つめる。
一瞬何を言われたのかわからなかったのか、ダリアは無言でバークを相手を見上げ。求められたことの異常性に気づき、一歩二歩と後ずさった。
「で、でも……私が人物画を描くと呪われるんじゃ」
「それを確かめるために描いて欲しい。何かあってもプロが外で待機してるから大丈夫だ。事件解決の為にも協力してくれると助かる」
バークの真剣な表情と声音に、ダリアは肩にかけた鞄を見つめる。
犯人だと思っていた
解決に貢献したい気持ちと人を巻き込んでしまう忌避感があるのだろう。心の中で葛藤しているように落ち着きなく揺れ動くダリアの表情を、バークは静かに見守った。
「……わかったの。モデルとしてそこに座ってて欲しいの。準備するの」
ダリアは覚悟を決めたのか、近くにあった木の丸椅子を手のひらで差し、鞄を床に置いて道具を出し始めた。
絵の具で汚れたエプロンを着て、筆を持つ手に手袋をはめる。
慣れた流れでアトリエにある物も使い環境を整え、絵の具と筆を置く椅子を横に置き自身も椅子に座ると、小さなキャンバスを太ももの上に乗せた。
「ダリアさんはなんで絵を描こうと?」
ただ黙って座ってるのもなんだからと、バークは雑談に興じようと話題を振った。
「ダリアでいいの。私が絵を描き始めたのは五歳の頃からで、お母さんが絵描きだったから、最初は同じことがしたくて見様見真似で描いてたの」
絵筆を濡らし予め混ぜた絵の具を筆先に付け、バークの顔を凝視してから視線をキャンバスへ落とした。
「それから十五歳になって旅をしながら絵の才能を磨こうと思って、お母さんに餞別に絵描き用の道具一式とエプロンをプレゼントして貰ったの。あれから三年経ったけど、まだまだ未熟者だからプロになるために毎日こうして絵を描いて回ってるの」
街から街を大きな鞄を持った少女が移動し、絵の修行をして回る。
野を越え山を越え、時には獣にも遭遇したかもしれない。決して楽ではない、下手すれば命を失う可能性も充分にある。
それでも情熱を失わず、これからも旅を続けていくことが容易に想像できる瞳の炎に、バークは心の底から感心を寄せた。
「そんな年で旅を始めてって凄いな。俺なんかその歳の頃はひたすら武器の整備を親方にケツ叩かれながら仕込まれてたなぁ」
五年前の自分を思い返し、〝あの頃は若かったな〟と、今も若者だろとツッコまれそうな思考がバークの頭の中を流れていった。
「なんか十七歳より前から働いてたような言い方なの」
「あー、捨て子だったから両親も兄弟もいなくて施設で育って、実際は十五で独り立ちさせられたから右も左も分からず働くしかなかったんだ」
バークは気恥ずかしそうに頬を掻きながら答える。
一般的には幼い頃から学校に通うか家業を手伝い、十七歳になると学業を収めた者は仕事を始め、家業を行っていた者は正式に後継ぎになる。
しかし施設で育ったバークは学校へ行くことも家業を継ぐこともなく、施設長に紹介された武器職人の職に十五歳の時に就いた。
知識も経験もない少年が一人、見知らぬ大人たちに囲まれて武器を作り整備までこなす。甘やかされて育った者なら、泣いて逃げ出してしまいそうな未知の環境。
しかしバークは頼れる者は誰もいなかった。だからこそ投げ出さずに生きていくしかなかった。
幸いだったのは、工房の親方も職人たちも、厳しくも優しい父や兄のように接してくれたことだった。
「バークさんのほうが頑張ってて偉いの」
「頑張ってるから偉いってのはないよ。人は一人ひとりやれることが違うってだけ。俺には家族がいなかったから、その道しかなかったってだけだよ」
自嘲ぎみに目を伏せるバークの内面まで描くように、ダリアは絵筆を丁寧に動かす。
実際問題、少年バークには他に選ぶ道はなかった。しかし血の繋がった家族が自分にいたなら、違う道に進んでいただろうと思ったことは何度もあった。
「血の繋がった家族はいなかったけど、家族同然に育ててくれた親方や仲間がいたからこそ、家族ってのに凄い憧れがあるんだ。親や兄弟を作ることはできないけど、自分の子供だったら作れる。だから俺は結婚して子供がたくさんいる家庭を──家族を作りたいなって思ってるんだ」
家族がいたら別の生き方をしていたと思うし、自分の子供を通して、家族のいる世界に生きていたらどうなるのか見てみたいという気持ちもある。
憧れ、好奇心、温もり、渇望。様々な思いと感情が家族を欲する。
くだらない欲望だと蔑む人もいるだろう。けれどバークにとっては、自分になかったものを欲する気持ちは強く、誰になんと言われようと曲げられない願いだった。
「素敵な夢なの。絶対叶えて欲しいの」
聞き入っていたのかダリアはいつの間にか筆を止め、心の底から願うようにニッコリ微笑んでいた。
「ダリアも、絵描きのプロとして認められるようになるといいな」
「ありがとうなの。いつかお互いに夢を叶えたら二人でお祝いしたいの」
何年後になるかはわからない。もしかしたら生きている間に叶えられないかもしれない。それでも何もせず後悔するより、一歩でも二歩でも前へ進んでいきたい。
「そのときは二人じゃなくて俺の家族と一緒にな」
バークは〝みんなで祝おう〟と白い歯を見せ、互いの瞳と瞳で固く誓い合った。
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