第15話 絵描きの女性(1)

「おお、バーク殿。来てくれたのか」


 立ち尽くすバークに男の太い声が届く。

 パッと振り仰ぐと、見覚えのある顔と体格に安心感を覚え、バークは相手に歩み寄っていった。


「見てのとおり、被害者がさらに増えてしまってな」


 防衛大臣のハンは、頭以外が真っ白な石膏像になった若い女性が、役人たちの調査を受けているのを開いた扉の先に見やり、事の深刻さを眉間に表す。


 周囲には人だかりができている。これだけの人に目撃され四件も事件が続けば、街中に事件の話と不穏な空気が広まっていくだろう。

 不安は人々の行動を抑制し、街から活気を奪っていく。そうなれば芸術の街も色褪せ、囲む外壁も強固な檻に変貌してしまう。


「この事件にはダリアって言う外部から来た画家が関わってるみたいなんだが、心当たりないか?」


 そんなことはさせまいと、バークは手に入れた名前と見た目の情報をハンに伝えるが。


「残念だが知らないな。芸術の街であるがゆえ、外部の者でもある程度有名なら知ってはいるが……」


 太い首を横に振る仕草は、空気をさらに重くする力しかなかった。

 外部から来た芸術家をすべて知っているとはバークも思っていないが、芸術に造詣が深そうなハンも知らないとなれば、少なくとも高名な人物ではないのだろう。結局は手探りで見つけ出すしか方法はなさそうだった。


「一応、被害者に話を聞いてもいいか?」


 記憶が無くなっている相手に聞き込みをしても効果はほぼ無いが、何かヒントになることがあれば儲けもの程度の気持ちでやろう。

 バークの問いかけに無言で頷いたハンから離れ家の中へ入ると、石膏像になった女性に話しかけた。


「こんな状況のときにすまない。あなたを元に戻すために話を聞かせて欲しいんだ」


 調査をしているバークたちのことは知っているのか、囲んでいた役人たちは少し後方に下がり場所を譲ってくれた。

 最初は制服姿でもない三人に女性は戸惑いの色を覗かせていたが、何も言わずに周囲で見守る役人たちの様子に一度だけ頭を上下に振った。


「ダリアって女性がここであなたの絵を描いていなかったか?」

「誰かに絵を描いて貰ったのは覚えてるんだけど、名前も見た目も全然思い出せなくて……」


 決まり文句のように他の被害者と同じセリフを吐く女性に、誰もが沈黙を返す。

 事件直後なら記憶が残っている可能性もあるかとバークは淡い期待をしていたが、どうやら記憶はすぐに消されてしまうようだ。

 申し訳無さそうに視線を下げる女性に「気にしないでくれ」とバークが手を振っていると。


「バークさん、ここに絵があります」


 ティアが部屋の片隅にある椅子の上に置かれた紙を持ち上げた。


「これ、名前が入ってないから描きかけじゃない?」


 横から覗き込むメルが絵全体をくまなく調べながら指摘する。

 バークは急ぎ二人の隣に行き掻っ攫うように絵を手にし凝視するが、絵の表にも裏にもサインらしきものは一切見当たらなかった。


「普通は絵を描き終わったら作者がサインするもんなんだよな?」

「そうね。彫刻ならまだしも、絵画は贋作を見分けるためにもサインを入れるのが通例よ」


 念のためメルに再確認をし、バークは完成された絵を両手に持って思考する。


 城で聞き込みをした被害者三人は絵を描いて貰った後に被害に遭っている。しかしこの絵は完成されてはいるがサインが入っていない。サインを書き忘れた可能性もあるが、何より木の椅子に置かれていたのがバークは気になった。


 仮に自分が画家だったらと想像してみる。

 もちろん人にあげた物なら自由に扱って貰って構わないと思う。しかし作品を画家もモデルも椅子に置くだろうか? 


 椅子に置けば床に落ちる可能性もある。彫刻ではないので壊れることはないが、せっかく描き上げた絵が汚れたり破れたりしては嫌だ。俺なら広いテーブルに置くか額に入れてすぐに飾る。


 椅子に置かれたサインのない絵。そこから導き出される状況は……


「ど、どうしたの?」


 バークの推測に答えるように、扉の位置から見知らぬ女性の声が届く。


 まだ幼さを残す大きな瞳に、緑のベレー帽から覗く茶色い髪。白い半袖シャツとチェック柄のスカートの上に、絵の具の付いたベージュ色のエプロン。


 おばさんに聞いたとおりの容貌をした人物が、脇に簡素な額縁を抱えながら立っていた。


「ダリアか!?」

「な、なんで私の名前知ってるの!? って、ニーナさん!?」


 バークの誰何と変わり果てたモデルの姿に、ダリアは目を限界まで見開く。

 慌てて駆け寄り恐る恐るニーナと呼ばれた女性の肌に触れる。

 そこにあるのは白く硬質化した、人間のものとは思えない質感だ。それを肯定するようにダリアはビクッと慌てて手を引っ込め、一歩二歩とよろけるように後ずさった。


「な、なんでこんなことになってるの!?」

「落ち着いてくれ。事の経緯を説明するから」


 ダリアはすぐ横にいた役人の服を掴み事態の説明を求める。

 バークはそんな彼女の肩を引きゆっくりと深呼吸をさせると、運ばれていくニーナを横目に一連の流れを説明した。


「つ、つまりは私の持ち物に付喪神スペリアが憑いてるってことなの!?」


 ダリアは肩から下げていた茶色の大きな鞄を見下ろし、急ぎテーブルの上に置いた。


「可能性が非常に高いという話ね。だから持ち物を調べさせて貰えるかしら?」


 バークが経緯の説明を始めてから一度も荷物から目を逸らしていないメルが、ゆっくりとテーブルに近づく。


「調べるのはいいけど、大切な道具だから壊さないで欲しいの」

「わかってるわ。ティア、中身を並べるの手伝ってちょうだい」


 ダリアの了承を得て、メルとティアは鞄の中身をテーブルに並べていく。

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