第77話 リリの出自
―――この以上の追跡は、異端審問室にお任せください。
ガブリエラがそう言うのもあって、疲れ果てていた俺たちは、大人しくインスマウス教会に帰る運びとなった。
リリの育成をしていたのも中々ハードだったが、今はまったく違うキツさがある。体も頭も使いまくりだ。昼飯も食べてないし。
そんな訳で夕食を取ったらすぐにベッドに向かおうとしたのだ。
だが、リリが俺を呼び止めた。
「あ、あのっ、……あの、ね? きょうじゅ。……聞いて欲しいことが、あるの」
「……うん。分かった」
俺は疲れた足の踵を返して、リリに向かう。またリビングで寛いでいたみんなは、気を利かせてこの場を離れるか迷う。
だが、リリはみんなにもこう言った。
「あっ、その、みんな、にも、き、……聞いて、……欲しくて」
リリは、ふるふると手先を震わせながら、勇気を振り絞るようにして言ってのけた。俺はその姿に目をみはり、それから微笑みと共にダニカたちに並んで座り直す。
沈黙。リリは、言葉を選びかねて、口を開きかけては閉じ、閉じてはまた開こうとするのを繰り返していた。ひどくまどろっこしい時間が過ぎる。だが、それに誰も文句を言わない。
「リリ、はね?」
躊躇い。そこまで言って、リリは唇をかむ。何度かたどたどしい呼吸を経てから、こう続けた。
「……奴隷、だったんだと、思う」
「……」
俺の沈黙。ダニカたちの瞠目。ダニカたちは、フキとリリの再会の場に居なかった。だから、この話は寝耳に水だろう。
「ど、奴隷って、どういう、ことですか? ……昼間の、あの、テロリストの……ということでしょうか」
「うん。そうだよ、ダニカ。……リリは、奴隷だった。ご主人様の……」
リリはそこまで言うと、いくらか覚悟が決まったと見えて、つらつらと話し始める。
「リリはね、ご主人様に生み出されたんだ。働き手としての、労働力……そう言うやくめで、眷属たちと一緒に働いてたの」
「その環境は、辛かったでしょう」
ハルに言われ、リリは微妙な顔をする。
「辛かった……のかな。分かんない。いっつもやることあって大変だったのは、そう。でも、うーん……教会よりは、楽しくなかったかも、くらい?」
「え? でも、じゃあ何であんな格好で浜に流れ着いたんですか?」
「それは……」
リリは、考える。それから、こう言った。
「何で、だろ……?」
リリの言葉の中に、不完全性が露見する。聞いているこっちはキツネに摘ままれているような気持になり、しかしリリ本人は、真剣に話を続ける。
「最初はね? それが当たり前だと思ってたし、普通のことだと思って働いてたの。ご主人様は、造物主様でもあったし。でも、段々物事が分かるようになってきて、思ったの」
―――何で言うこと聞いてるんだろう? って。
その一言で、『虐げられた奴隷の悲劇』という予想が、間違ったものだと知らされる。
「それでね? なん、だろう。反逆? した、のかな。分かんない。戦ったの。ご主人様と、リリで。それで、その戦いの余波でリリ、バーンッてぶっ飛ばされちゃって、海に落ちて」
「……それで、その、リリは、浜に流れ着いちゃった、の……?」
「うん、パーラ。多分、そう。……ちょっと曖昧だけど、多分」
再び、場に沈黙が広がる。どう解釈したものか、かみ砕く時間が訪れる。
リリも、考えながら話しているようで、しばらく考えてから続きを話し始めた。
「ここに流れ着いてからしばらくは、そのことも忘れてたんだ。目に映るもの全部、目新しくって、みんなも優しくて、楽しくて……」
でも、とリリは言う。
「昨日の事件で、ご主人様の眷属が暴れてるの見て、リリの所為だって、思ったの。リリのことを怒って、ご主人様が追いかけてきたんだって」
「でも違った」
俺が言うと、「うん」とリリは頷く。
「ご主人様は、違った。あんなにメチャクチャにリリと大喧嘩したのに、そんなこと忘れてるみたいだった。この、ルルイエ? が、大嫌いで仕方ないみたいで……だけど」
リリは、俺を見る。
「……ご主人様の、その憎しみも、ウソのものみたいだった。だよね? きょうじゅ」
「ああ、そうだ。けど、その話は一旦置いておこう。リリ、続けてくれ」
「う、うん」
リリは一呼吸挟んで、言った。
「リリね? ……どうしたらいいか、分かんないの」
「どうしたら、って……?」
「ご主人様を、自分でね? ……どうしたいんだろうって」
リリは俯いて、深く考え込んでいる。
「ご主人様はね? 今も怖いよ。ずっと怖い。元々そうだったし、戦ってボロボロにされて、もっと怖い人なんだって思った。けど、多分このまま行けば勝てちゃって、それで」
僅かな沈黙。
「……死刑になっちゃうかもって思って、嫌だって思ったの」
「リリ……」
ハルは、神妙そうな顔でリリを呼ぶ。リリは、抜け殻のような顔でぽつりぽつりと言葉を落とす。
「教会で大切にされてね、ご主人様からの扱いって、酷かったんだなぁって思ったよ? すっごい働かされたし。言うことは全部聞かなきゃだったし」
でも、とリリはつなげる。
「でも……死んでほしいとは、思わないんだ。それはやだなぁって、思う」
何でだろ……。リリは、不思議そうな声で、虚無めいた表情でそう言った。
それに、教会三姉妹は戸惑いにお互い視線を向け合うばかりだ。リリの感情は、実のところ奴隷のそれではない。だがリリが学んできた語彙の中では、それが一番近かった。
魔術書ばっかり読んでる弊害だな。そう思いながら、俺はリリに教える。
「リリの気持ちは、意地悪なご主人様に向ける奴隷の気持ちだと思うから、よく分からなくなるんだ」
「……そう、なの? じゃあ、リリは、どんな気持ちなの?」
俺は微笑んで言う。
「反抗期の子供が、完璧じゃないって分かってしまった親に対する気持ちだよ」
リリが、大きく目を見開く。
「……ご主人様、だよ?」
「でも、造物主でもあるんだろ? じゃあ親でもある」
「親……そうなの、かな」
俺はリリの隣に座り直し、そっとその頭を撫でる。
「種族間でいえば、確かに主人と人造奴隷の関係性なのかもしれない。眷属同士ならそうなんだろう。けど、フキとリリで言えば違う」
種族を代表する怪物少女でそうなると、関係性はより濃密な形で還元される。
「神と人、人と人形。でも怪物少女なら、それは親と子の関係だ。リリの反逆は反逆という名の反抗期だし、今は家出してるようなもんだ」
「反抗期……家出……」
リリは俯いて、じっと考えこんでいる。
「だから、反目しあっても、どこかに家族を想う気持ちがある。それが、フキに死んで欲しくない気持ちの正体だよ」
「……」
リリは、口を閉ざし、目を閉ざし、むっつりと考え込んだ。それからまた、ぽつりぽつりと話し始める。
「ご主人様……ううん、フキは、まだね、リリ怖いよ」
「うん」
「もしまた目の前にしたら、体、カチコチになっちゃうかもしれない。息するのも苦しくて、よく分かんなくて泣いちゃうかも」
「うん」
「でも……リリね」
リリは、顔をあげる。眉を寄せて、ムッとした怒りが現れている。
「フキのこと、ムカつく。今までよくもこき使ってくれたなー! って、文句言いたい。ルルイエにヒドイことするなら止めたい。ぶん殴って、蹴っ飛ばして、それで!」
リリは大きく息を吸って、言う。
「それで、許してあげたい。正気に戻してあげたい。リリは、フキのことムカつくけど、……死んでほしく、ないから」
「……ああ。そうだな」
俺は頷いて、リリの頭をポンポンと叩いた。「りりりっ」とリリは、鈴の鳴るような不思議な笑い声をあげる。
「それでね、きょうじゅ」
リリは、悩みの解決した、晴れやかでまっすぐな目を俺に向けてくる。
「フキの、ルルイエへの憎しみは、ウソみたいだったでしょ? これは、その」
リリが言葉を選んでいる。俺は微笑んで、その言葉を継いだ。
「リリの考える通りだ。フキのあの計画は、感情からして作られたものだった」
「それは、誰にですか」
ダニカの問いに、俺は答える。
「『歴史家』」
「歴史、家……?」
「怪物少女ともまた違う、異質の存在になる。今はみんなにはあまり関係がない話だ。あのメモ帳を俺たちが見つけたのは奴にとって大きな計算外で、それくらい慌てて逃げてった」
けど。
「いつか戻ってくる。その時に叩けばいい。殺して死ぬ奴なのかどうかも分からないが、落とし前は付けさせる」
俺の言葉が、皆に接するときのそれよりも遥かに乱暴で、皆が緊張の面持ちで俺を見つめている。
俺は咳払いを一つして「ともかく、だ」と続けた。
「フキは、操られてああなってる。まぁ中々特徴的な性格の持ち主だけど、ここまで大それたことをする怪物少女じゃないのは俺が保証する。だから」
俺はリリに笑いかけた。
「満足いくまでしばいたら、牢屋に入れて反省させてやろう。そうやって出てきた時は、リリが迎えてやればいい」
「うんっ」
リリの目に、もう迷いはない。
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