第3話 拠点とゲーム画面

 俺はクロの促すままに汗でかたまって汚くなった服を脱ぎ、意外にまだ着られそうな教授の服を身に纏った。


「うんうん、馬子にも衣裳じゃないか。とりあえずこれで行こう。みすぼらしい君とはもうオサラバしよう、マスター」


「汗でべとべとの作業着と死体がつけてた血の付いた紳士服って、どっちが上なんだろうな」


「文句を言わない。さ、銀の鍵を使って移動だ。それと、指輪はポケットではなく嵌めておいてくれるかな。いざというとき君の身を守れない」


「……もしかして先代の死因それ?」


「そういう側面もあるね」


 俺は大人しく指輪を嵌める。これで万が一のときでも多少は安心できるわけだな。


「……何で左手の薬指につけたんだい?」


「……」


 おかしいな。適当な指にはめるつもりが、推しのクロと結婚したい気持ちがあふれ出てしまったかもしれない。


「……き、記念に?」


「記念で君は結婚するのかい?」


 クロがキョトンとして俺を見ている。ゲームのクロを知っている身としては、割と珍しい表情だ。こんな顔もするんだな、と新鮮な気分になる。可愛い。


 クロも推しなんだよな。ナマイキ可愛い。ガチャはもっと☆3連れてきて。


 そんな訳で俺は身支度を済ませて、もう一度夕暮れに向かって銀の鍵をひねって呪文を唱えた。空間が扉のように開く。薄暗い部屋がそこに現れる。


「さぁ、一歩前に踏み出してごらん?」


 俺はクロに促されるままに足を踏み入れた。周囲ががらりと変わる。古びた木造建築。だが都会にしかないような、広さと堅牢さを兼ね備えている。


 育ちの村を離れ、俺はたった一歩で新天地に足を踏み入れていた。


 それだけで、何か大きなことをした気持ちになる。深呼吸をすると、村のそれではない、吸ったことのない空気が肺の中に充満した。


「ようこそ、新たな魔導教授。ここが今から君の拠点となる場所、『大学』だよ」


 俺の横をすり抜けて前に躍り出たクロは、そう言って演技がかった所作を取った。チックタックと後ろ髪の髪飾りが揺れる。


「君はここを拠点とし、ここを守り管理する義務を負う。代わりに生きていくのに十分な食事と、人間には分不相応な権限を持つことになる」


「というと?」


「怪物たち―――中でも強力な、怪物たちの姫、怪物少女たちを従える権限さ」


 と言っても、職権の範囲で、だけれどね、とクロは言う。


「マスター。君は教授だ。教授の役割は教鞭と探求。特に魔導教授たる君は、怪物少女たちを率い、彼女たちの教鞭をとり、そして魔道の探求をすることが使命となる」


「魔道の探求って結構曖昧だけど、具体的には何をすることなんだ?」


「分かっていない」


「えぇ?」


 分かってないものを探求しろってか。……いや、探求ってそういうもんか。んん?


「というのも、魔道というものそのものがよく分かっていないんだ。分かっているのは、ただ二つ」


 クロは指を二つ立てて、言う。


「『世界は魔道に呑みこまれた』。そして、『魔道は怪物少女の中にある』」


 その語りに、俺は何故だかゾクリとする。


「だから、ある意味では何をしてもいい。どこに行っても魔道は世界を飲み込んでいる。大学を離れて遊び歩いても、ある種魔道のフィールドワークをしているようなものさ」


「なるほど……」


 聞きながら、思ったよりもハードルが低いのか? という気持ちが湧いてくる。いや、何も分かってないから、手探りで良いと言うことなのかもしれない。


 ひとまずは、ゲームのストーリーをなぞって動けば良いだろう、と解釈する。


「ともかく、君のすべきことはそんなところだ。ここの管理。怪物少女たちへの教鞭。魔道の探求。この三つだね」


 大学の管理は、そのままだろう。家の管理と同じだ。怪物少女たちへの教鞭っていうのは、ゲームで言うところの育成や戦闘画面での指揮。で、魔道はストーリーをなぞること。


 となると、今すぐできることと言えば。


「とりあえず掃除でもする? 大学の管理っていうか」


「掃除なら掃除用ボットくらい作るけど?」


「あれ、俺ここ中世ヨーロッパ風の世界だと思ってたんだけどそうでもない……?」


「それも含めて、魔道の中さ」


 何かクロに質問しても、全部それで済まされそうな気がしてきたな。


 魔術は文字通り魔の術で、呪文唱えて攻撃ーとかそんなノリで良いが、魔道はもっと大きな何かという気がしている。魔道何も分からん。


 おのれ魔道。絶対に許さんぞ魔道。


 そう俺が魔道に対して憎悪を燃やしていると、クロが言った。


「では次に、魔術を授けなければね」


 クロが近づいてきて、俺の目をのぞき込んできた。え、何? 近。ガチ恋距離じゃんやばいやばいやばい! 俺さっきから結構限界気味よ! 突破しちゃうよ推しへの感情が!


 と思ったら、クロは真剣な目で言った。


「じっとしていて」


 クロの目に0と1の羅列が現れる。それは巡りながら、俺の目の中に飛び込んでくる。お、おぉ? おぉぉお!?


 目がチカチカする。頭の中に大量の情報が流れ込んでくる。起きながら悪夢を見るような、頭がパンクしそうな不快感に襲われる。


 あ、頭が、頭が痛い。ぐおお。熱量が半端ない。く……。


 そう地べたでうずくまっていると、段々と頭の熱が冷めていく。知恵熱が引いて行くような感覚。俺はぜぇぜぇと息を荒げながら立ち上がる。


「な……何、したんだ……」


「マスターに必要な、様々な魔術を叩き込んだ。前任者よりはうまくやっておくれよ?」


 含みある物言いで、ニヤリと笑うクロ。顔がいいなぁこいつ。クソ、推しだから許しちゃう!


 と。俺は気づく。視界右端に浮かぶ、小さなアイコンに。


 ……星マークの真ん中に、燃える目。『ケイオスシーカー!』でも見たマークだ。


「魔術は、君が扱いやすいように脳に埋め込んだ。きっと慣れ親しんだ道具を使うように使えるはずさ。君は農家だったし、農具に似た感じかもね」


 からかうように言うクロの推測とは違って、そのマークは完全にゲームのUIという雰囲気だった。俺はそれにタップする。


 すると、見慣れた画面が広がった。


 中央にはクロが立ち、不敵に笑っている。その周囲では「探求」とか「育成」とか色々書かれたアイコンがずらりと並んでいる。


 俺は思わず叫んだ。


「ゲーム画面だ! 完全にゲーム画面だこれ!」


 すっげぇ! これなら何とかなるわ! 何とでもなるわ! 俺『ケイオスシーカー!』の超大ファンよ!? 廃課金よ!? トップランカーよ!?


 思い出すのはエンドコンテンツ『夢幻トーナメント』で、強敵としのぎを削りあった日々の事だ。


 怪物少女のステータスカンストは当たり前。技量と判断の鋭さだけが物を言う世界。そこで俺は、廃課金とプレイヤースキルで猛威を振るっていた。


 俺は無敵になった気持ちで拳を握る。何の不安もなくなってしまったかもしれない。最強だ。最強の教授『俺』が爆誕してしまった。


「勝ったわ……。戦う前からすべてに勝利してしまった。俺の勝ちです」


「アハ! 君が一体どんな魔術の姿を見たのかは分からないけれど、現実はそう甘くないとだけ言っておくよ。何せ、君の前任者はまともに怪物を指揮できずに死んだんだからね」


 釘を刺すように、クロは俺に言った。その表情には侮りがある。


「マスター。君が何らかの秘密を抱え、銀の鍵を使用できたことは確かに驚嘆に値する。が、言ってしまえばそれだけだ。君は新米の魔導教授で、見習い魔術師なのだからね」


 呆れと苦笑を交えたクロに、俺は「ほう……?」と目を細める。クロめ。俺を舐めてやがるな?


 確かに俺も最初は不安だったさ。ゲームで知り尽くした『ケイオスシーカー!』とはいえ、ゲームと現実は違う。だから指揮をとるっていっても、できるかどうかは不安だった。


 が、魔術のおかげでゲームと同じことが確約されてしまったのだ。そうなれば話はまったく別。俺が負けることはあり得ない。


 だから俺は、クロにこう言った。


「なら、試してみるか? 俺が本当に新米の見習いなのか。実際の戦闘でさ」


「ふぅん? 良い度胸じゃないか。どうせ強がりだろうけれど、良いだろう。その為の舞台をセッティングしてあげようじゃないか」


 クロはそう言って、「さ、銀の鍵を開くと良い。君にふさわしい試練が待ち受けているよ」と、俺に嗤った。

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