家族の別れ

深夜、腹痛のため産婦人科を受診した里美は幸いにも張りは治り、午前中で帰宅の流れとなった。


TEL

「あ、私。色々とごめんね。とりあえず、このまま陣痛に繋がることはなさそうだから帰ることになったの。タクシーで帰るね。…亮二は大丈夫?」

「本当に大夫なのか?亮二は昼ごはん食べさせて、今抱っこで俺の前にいるがもうすぐ寝そうだぞ。」


時間的にも午前寝のタイミングであり、最近では専ら修二のサイズに合わせてある抱っこ紐で寝かしつけをしているらしい。

お腹の痛みは恐らく精神的なこともあるのだろうとのこと。

この先の育児に対しての不安、夫である修二と離れる事への不安がこの結果なのであろう。

産科医師からの案内で、自治体による他胎児を育てる家庭へのサポート等を利用するようアドバイスを受けたが、里美はその存在について自分よりも更に必要とするべき人が利用するサポートなのだと思い込んでいた。

様々な理由により自治体のサポートを受ける家庭は多いらしく、病院には賀城家の事情を伝えていた事もあり、自分一人で抱えこまぬよう医師から説得された。

そうは言われても拭えない未来への不安は里美の心の中に留まり、そして蓄積して行った。



三日後


修二のドイツ出発日。

修二は本部研究所に寄ってから空港へやってきたが、右肩から腕、腰にかけての半身が血で汚れ、左手で白いタオル越しに肩を抑え彼なりに止血を試みていた。


「何っ!?どういうことよ!?」


里美は咄嗟に顔を背け、修二のその姿を視界に捉え続けることが出来なかった。


「ここに来る間、本部を出た後に少々危険な…目にあってな…海外に逃げるなという意味かもな。別に逃げるわけではないんだが…」

「…冗談でしょ?止めてよ…こんなんで飛行機なんて乗れないでしょうに。」


自宅を出る際の今朝の夫の姿とは異なり、予想もしない形での再会となった二人。

撃たれた腕の痛みに顔を歪ませる修二を里美は同僚ではなくやはり家族、夫として、そして子の父親としてしか見ることができなかった。

里美に抱かれ父親の姿を大きな瞳で不思議そうに見る息子に対し、修二はまだまだ柔らかな薄い髪の毛が生えた小さな頭を優しくそっと撫でる。


「ママを頼んだぞ?それから、お前の妹たちも。もう少ししたらお兄ちゃんになるから、3人で仲良く協力するんだぞ。

桃瀬も亮二と…子どもたちを頼む。それから身体のこともムリするな。…周りの人をちゃんと頼るんだぞ。いつでも連絡してもらって大丈夫だから。できるか?」

「…ん」

「桃瀬は人に頼るのが苦手だからなぁ…」

「大丈夫よ、頑張るもん。」


里美はそっとお腹に手を触れ、そして手を握りしめ、自身にかかる責任の重さを感じる。


「ドイツはな、俺が行かなきゃならない。お前もいた事あるし、あっちの事情は分かってくれるよな。」

「修二!!私も行くからっ!この子たち産んだら…連れて行くから!私、家族で、一緒に皆んなで暮らしたい。」


ドイツに行くと報告を受けたあの日、本当ならば修二の口から伝えて欲しかった事を里美は自らそれを伝えた。

その決意は自身を奮い立たせ、親子共々生きていくための決意の様にも感じられた。


「そうか、待ってる。ちなみに桃瀬、別に一生の別れじゃないぞ?いつもの出張と同じだしそんなに泣くな。大丈夫、桃瀬ならやれる。亮二…こっちおいで。」


里美の元から修二の腕に抱かれた亮二は、何を感じたのかグズり泣き出した。

暫くは離れて暮らすこととなる息子の重みを身体に焼き付ける。


「何だよなぁ?しばらく会えなくなるのに…やっぱりママなんだよな…まぁ赤ちゃんたちが産まれたらまずは帰って来たいものだが。」


修二の悲しそうな表情に、利佳子はすっかり彼は父親なのだと感じた。


「里美、産まれてくる子の成長を見られなれないのは辛いが、産まれたら必ず会いに来る。出産は付き添えないが無事を祈るよ。連絡待ってる。」

「…待ってる。」


強く抱きしめられながら久々に呼ばれた下の名前。

途中、言葉につまった修二の声に里美はぐっと涙を堪えた。

現地は情勢が良くなく、場合により命の危険もあると聞いている。

危険が迫る身でのドイツ行き、決していつもの出張と同じではないことは誰もが分かっている。

様々な感情を抱いたまま、修二の出国を見送った。



里美の元気がない為か、亮二の機嫌がとてつもなく悪い。

それに里美自身は胎児による胃の圧迫もあってか食欲もない。

外に連れて行ってやりたいが、気力体力もない。

今まで頼りにしていた妹の歩美もついに就職のため家を出たこともあり、この家には里美と亮二だけだ。

そんな中、里美の精神状態と身体の状態を見かね、利佳子が数日手伝いに来ると自ら提案してくれた。

他人にほとんど興味を持たない利佳子が人の世話をするなど、何の心境の変化なのだろうか。

利佳子本人だって大変な状況なことを里美は知っている。


「亮二くん、散歩でも連れて行く?それとも里美も一緒に行く?少し外出て気晴らしした方がいいと思うわよ。」

「利佳子の具合は大丈夫なの?」

「私も少し気晴らしできた方が良いから。育児の練習よ。」


利佳子は身体を仰け反って泣く亮二を抱き上げながら里美に声を掛ける。


「助かる…ありがとう。亮二たぶん眠いのもあるの。外行ったらすぐ寝ちゃうと思うわ。」


里美はお腹が出てすっかり使えなくなった抱っこ紐を用意していると、利佳子にピッタリとくっついて指をチューチューと吸っている。

この抱っこ紐は殆ど使えないままであり、産後も使うつもりでいた。


「じゃあ、行ってくるわ。」


利佳子には本当に感謝していた。

友人の息子だとしても、利佳子は恐らく小さい子は苦手なはずだ。



一時間もせず、散歩を終えた亮二と利佳子が帰宅した。

利佳子は亮二の誕生後、顔を合わすと、意外にもよく相手をしてくれていた。


「里美、具合は?」

「頭痛い…お腹苦しい…」

「もうあと少しなんだから、苦しいのは頑張りなさい。」

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