第7話

 二年前、私は奈々に連れられて町ハズレの古びたアパートにいた。

「ほら、佳子。この部屋だよ。覗いてみな」

 電気がついておらず暗い室内。部屋の奥には二人の女性がいた。一人は立って、何かの紐を握っている。もう一人は地面にへたり込んでいる。背後から奈々の説明が入る。

「あの二人、DomとSubなの。今日はSubの人が悪いことしたからお仕置きするんだって」

 ならば握られているのは鞭か。奈々が説明する間に鞭が振り下ろされた。空気を切る強い衝撃と音。Subの悲鳴があがり思わず耳を塞ぐ。目を閉じる。血の匂いが鼻につく。逃げ出したいけれども足に力が入らない。

「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ」

奈々に後ろから抱きしめられる。少し、落ち着いた。

「あの二人にとって、あれは愛情表現だから」

 ゆっくりと目を開くと今度は抱きしめあう二人がいた。Domの方が何かの薬を渡している。痛み止めだろうか。まさしく飴と鞭のような二人。これが愛情。これが好き。

「大切な人を痛めつけるなんて方法、普通はとらないけどね。少なくとも私はそんな気持ち悪いことしない」

 奈々が発した言葉は覚えているが私のゆがみだした心には届かなかった。

「ほら、佳子。行くよ」

 私はこの場を動きたくなかった。あの二人の愛情を知りたかった。

 今思えば小学生の私には刺激が強すぎたのだと思う。だがその理解も私の心には響かない。私は痛めつけられることでしか愛情を感じれなくなってしまった。


「じゃあ約束忘れないでよ」

 奈々に声をかけられる。気づけば奈々はお弁当を片付けていた。

「放課後にたまり場で、川上さんも入れて三人で帰るよ」

 回想にふける間にそんな話をしていたとは。断る間もなく奈々は机を戻し、他の友人の元へいってしまった。


 放課後川上さんと先生に呼ばれた奈々を待ってたまり場のベンチに腰掛ける。目の前を通り過ぎる同級生。肩を組んで歩くもの、手を繋いでいるもの、人の鞄に掴まるもの。それぞれの距離感で帰ってゆく。形は違えど皆楽しく過ごしているように見える。

 私ならどんな距離感を求めるだろう。例えば首輪と鎖を付けられて、その鎖を引っ張られるとか……脳内に川上さんが私の首につながる鎖を引っ張る図が浮かぶ。駄目だ。何を考えているんだ自分。

 首を振って妄想を追い出し顔を上げると目の前に川上さんがいた。しかも顔面ドアップでサラサラな髪が私にかかっている。

「っか、かか川上しゃん?」

 やばい、焦って噛んでしまった。

「めちゃ噛んでるじゃん。そんな焦らなくてもいいでしょ」

 笑いを含んだあきれ声に気分を損ねていないとわかり、ひとまず安心する。

「ねえ、奈々は?」

「先生に呼ばれてました」

 二人は気まずいし、緊張する。それに、奈々がすでに名前呼びだと知り、心臓が締め付けられる。

「名前、木下佳子だろ。佳子って呼んでいいか?」

「あ、はい」

 そうか。彼女はみんな名前呼びなのか。なんだか少し、安心した。名前で呼ばれた特別感は無くなったが。

「あんたもうちのこと杏って呼びな」

 そう言われてしまったが、名前で呼ぶのは今まで奈々だけだったのに、急に好きな人を名前で呼ぶなんて勇気がでない。だからといって苗字で呼べば冷たいと思われるかもしれない。

「あ、杏さん」

 これが限界だ。

「ありがと」

 頭を優しく撫でられる。心がぽかぽかと暖かくなる。

 杏さんの方を向くと彼女は私の顔をみてピタリと止まり、そして笑った。

「あんたは本当に」

 彼女が何か話すのを遮るように奈々がやってきた。

「大変だよ〜。補習になったから先に帰っててもらえる?」

「え?」

 杏さんが何を言おうとしていたのかは気になるが、奈々が補習で帰れないことの方が問題だ。

「ちょっと待て、奈々。それってつまり……」

「ん?二人で帰ってね!ってことだけど」

 やっぱりそうか。ねぇ、奈々。私を精神的に殺す気なの?

 私は心の中で叫ぶ。杏さんも何か反論しようとしていたが奈々は

「じゃあそういうことだから」

と去ってしまった。

 嵐が去ったあとのような静寂。これは気まずい。

「……帰ろうか」

「……はい」

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