第51話49 光は闇を包み、闇は光に焦がれる 5

「よう来たのう」

 黒い服の女が椅子に座っている。

 そこは予想していたような、暗い部屋ではなかった。

 ジュリアが現れたような豪華な部屋でもなく、この大陸では見かけない風変わりな家具が、具合良く置かれた居心地の良い居間のようなしつらいである。

 もちろん幻影だろうが、レーゼとナギには意外だった。

 正面を向いているのに、女の顔はよくわからない。人間の視覚に認識されないような術が、かけられているのかも知れなかった。

「本当によくここまで来たものだ。座れとはさすがに言わんが、この部屋は現実にある場所だ。触れても害はない」

 エーヴィルの塔から魔力によって、別の空間に繋がっているのだろうか?

 ちろちろと燃える炉の火は暖かく、香草の良い香りもする。

「エニグマか」

 ナギは低く問うた。

「ああ、人は我をそう呼ぶな。それで、そなたらの名は?」

「知っているでしょうに、なんでわざわざ聞くの?」

 ナギの隣に立つレーゼが厳しく言った。

「もちろん知っているとも。だが、名乗りはするものだ」

「私はレーゼ。レーゼルーシェ・ビャクラン・ゴールディフロウ」

「俺はナギだ」

「ゴールディフロウ。アルトア大陸で一番古い王家の家名である。我も昔はその名を持っておったようだ。もう誰も覚えてはおらぬがの」

「そういえば、あなたは私の祖先だったわね」

「そうだ。我らの血は繋がっておる」

「二人ともゴールディフロウ王家では、不吉とされる色相を持っているわ」

 レーゼは白藍、エニグマは黒。どちらも、金色や赤など原色を尊ぶ王家からは忌み嫌われる色である。

「そうだな。だが、そなたの持つ色相は、葬儀に使われたくらいだから、少しは尊重されていたかもな」

 エニグマはレーゼの瞳と髪、そして鎧を眺めている。

「なかなか美しい鎧だ」

「そうでしょう?」

 二人の会話を聞いていると、まるで親しい間柄の叔母と姪のようでもある。

「ゴールディフロウは、遥か昔は大陸南西の小国で、色相による差別などなかったものを、のちの時代に砂金や宝石の採れる川が見つかってから、価値観は変わった。歴史の中ではようあることである」

「王族に金髪が多いのも、その価値観を高めることになったという訳ね」

「そう、同族婚も一時はあった。さすがに年月と共に、それは避けられるようになったが、近隣諸国より金色を持つ貴族との婚姻は推し進められたでの。ゴールディフロウはその名の通り、物理的にも思想的にも、拝黄金はいきん主義者が治める俗物の国となったのだ。故に魔力は無くしていった」

「……」

「のう、レーゼルーシェ姫。そなたさえ良ければ、私のところに来ぬか? そなたにもかつて、王家に流れていた魔力が潜んでおるのは知っている。私と共にくれば、長い時を老いずに生きることができるぞ」

「エニグマ」

 口を挟んだのはナギだ。

「お前の姉のゾルーディアは、王宮での記憶を持っていたぞ」

「なに?」

 エニグマは今まで完全に無視していたナギの方へ、ぐるりと身を捻った。

「でたらめを。我ら姉妹は、この漆黒の髪と目を持っていたがために、生まれてすぐに東の大陸に売られたのだ。運よく我らの師である、東の魔法使いに出会わなければ、すぐにでも死んでいたであろうよ。ここは我が育った魔法使いの家だ。あの愚かな姉が何を世迷言を申したか知らぬが、我には王宮での記憶などない」

「本当か、マリエラ」

「……な、に?」

 エニグマは限界までその目を見開いた。

「い……いま、なんと申した」

「お前に与えられた真の名前だ、マリエラ。そして双子の姉はサルビラと呼ばれていた」

「き……」

 エニグマの姿は不意に大きくなった。

「きえええええええええ!」

 ものすごい叫びがほとばしったかと思うと、今までの心地よさげな居間は瞬時に消えた。

「レーゼ! 気をつけろ!」

 そこは強い海風の吹き荒ぶ山の頂上、エーヴィルの塔の真上だった。

 空間が戻ったのだ。

 足元はおおむね平らだが、石塊いしくれでごつごつしている。鋭い棘を持ついばらに名残の花が咲き残っているのが、妙に場違いだ。

「この嘘つきの小童こわっぱめが! 偽りばかり申しおって! 我はエニグマ。東の大陸の魔法使いにつけられた名である! それ以外の名は持たぬ。マリエラなどと言う、ふざけた名前で呼ばれたことなどない!」

「では俺が呼んでやる。マリエラ! お前の罪を償え!」

「黙れ黙れ黙れ! 死ぬがいい!」

 叫びながらエニグマは、掌を擦り合わせて血の塊を作りだし、ナギに向かって投げつけた。

 ナギはそれを鞭で払い落とす。塊はすぐに飛び散るが、毒が含まれているようで、それを浴びた荊の花がたちまちしおれていく。


 大量に肌にかかると厄介だな。


 ナギは口布を引き上げるが、その間に血の玉は次々に作られ、投げつけられる。ここには身を隠せるところが一つもない。ナギはもう、攻撃はせずに回避することに専念した。彼の身体能力があってこその神技である。

 レーゼはと見ると、彼女も面頬を下げて身構えていた。

 鎧にも幾らか血はかかったようだが、すぐに蒸発していく。これもビャクランの力のようだった。


 レーゼはひとまず安全か。

 いくら魔女でも、そう大量に血を放出し続けられないはずだ。


 そう考えたナギは、血の玉を回避しながら、少しずつエニグマへと近づいていった。

「来るかや!? 戦士よ! これならどうじゃ!」

 吹き付ける湿った海風は塩の槍となった。ナギは唇の端で笑う。彼にとっては物理的な攻撃の方が都合がいいのだ。

 しかし、槍は一本ではなかった。いくつもの鋭い切っ先を持つ無数の針へと変化したのだ。それらが全方向からナギに向かって降り注ぐ。

 ナギは鞭と剣で対抗する。塩の槍は砕いてもすぐに結晶し、まるで生き物のように軌道を変えては襲い掛かった。

 鞭の方が広範囲の攻撃を防げるが、いくつかは躱しきれずに防具を突き破った。

「ナギ!」

「かすり傷だ! 来るな!」

 レーナを見ずにナギは怒鳴る。その頬を槍が掠め、口布が裂けた。

「ほうほう。そうであったなぁ」

 エニグマはにいっと笑った。

 改めて風をり合わせて無数の槍を作ると、ナギの真上にハリネズミのように集める。

 そしてあえて一斉攻撃はしないで、ナギがその場から動けないように、一呼吸のの間を置きながら波状攻撃を繰り出した。

「くそっ! キリがない!」

 全て撃ち落としたとき、ナギの体には無数の裂傷れっしょうが走っていた。深く抉れているものもあり、血が滴っている。

 しかし、そんなものに構っている余裕はなかった。

 振り向いたナギの視線の先に──。

 レーゼの背後には、ひたりと寄り添い立つエニグマの姿があった。


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