第34話32 ゼル 3
『金物を持っている……気をつけて』
「問題ない!」
声はクロウの体に染み渡り、感覚を研ぎ澄ませていく。無意識に体が
「皆! 聞こえたな! 左の木の影から来る! 剣を持っている奴がいるから油断するな!」
「おう!」
森の端まで百トーメルの距離を、クロウたちは一気に馬で駆け抜けた。
ゼルが言った通り、木の影がら続々と現れたギマは全員武装し、剣や槍を持っていた。
ギマになってまだ新しく、兵装を纏っているものが多い。元々は各国の兵士だったのだろう。いわばギマの精鋭たちだ。
「馬は一旦逃がせ! 森では不利だ!」
戦士たちは次々に馬から飛び下りた。訓練された馬たちは後で戻ってくるはずだ。
クロウは、先頭の大きなギマが振りかぶる
群がる個体の額に
普通のギマならば、数で押し潰されない限り、クロウの敵ではない。彼は口の端に笑みさえ浮かべながら、戦闘に没入していた。
「奴は化け物か……?」
少し離れたところにいるクチバが漏らす。
戦闘そのものに集中しすぎている。
あれではいつか、身を滅ぼしてしまうのでは……。
背後の陣地からは援軍も駆けつけているようだが、ギマの数はなかなか減らない。
「道を開けろ! お前達の主はどこだ!」
見通しのよい場所よりも、森の中の戦闘の方がギマには有利だ。夜の森は更に暗い。しかし、クロウに
ひたすら奥へ奥へと突っ込んでいく。
「止まれ! クロウ! 突っ込み過ぎは危険だ!」
クチバが後方から叫んだが聞こえるものではない。既にクロウの背中すら見えない。
「いかん! クロウ! みな、援護しろ!」
「おおお!」
「続け! ギマをぶっ潰せ!
レジメントたちは一斉に
クロウは戦い続ける。
わずかに、ギマが下がったように感じたので、手近な木の枝に跳んだ。しかしそこから見えたものは。
暗い森の中に光る無数の目、目、目。
それは
クロウはすっかり取り囲まれていた。
まだこんなにいるのか……。
『大丈夫。待っていて……』
クロウの頭の中に声が響く。
「え?」
『上。受け取って』
枝の間を縫ってギセラが舞い込んでくる。
眠らない巨鳥ギセラ。
大きいわりに高度な飛翔能力を持っているこの鳥は、枝の間をすり抜けると同時に、足につかんだ
それは細く長い針状の武器の束。
「感謝する!」
ナギは片手に持った針をギマに向けて次々に放った。
こうなると濁った光を放つ目は的でしかない。
「クロウ! 無事か!」
そこにクチバと先発隊の仲間が追いついてくる。彼らも、手に手に同じ武器を持っていた。
「クロウさん! 俺たちの分も残しておいてくださいよ!」
若い兵士が叫ぶ。
「戦法はわかるな? 木の枝へ飛び移れ!」
クチバが指示を出した。
「無論です!」
普通のギマは木に登れないから、地上戦よりよほど楽に戦える。
わずかな月光を吸って降り注ぐ銀の雨は、森に潜むギマを次々に黒い
無論、討ちもらしもあり、森の外へ這い出す個体もいるが、それは後方の部隊が引き受けてくれるだろう。外が明るいのは、カーネリア隊のトウシングサが炸裂しているからだ。
激しい戦闘が夜通し続いた。
「
どのくらいの時間戦っていたのか、やがて誰かが叫んだ。
「朝陽だ!」
見ると、梢の先がうっすらと明るくなっている。
ギマたちが森の奥へと後退を始めていくのが見えた。数はかなり減ったようだ。ギマは夜の方が活発に活動するから、朝が後退の合図だったのかもしれない。
激しい戦いだったが、とりあえずはこちらの勝利というところか。
「俺たちも一旦下がるぞ」
クロウが指示を下した。精鋭部隊は、深くまで入り込んでいた森の奥から脱出する。森の端へと出た時には空が明け染めていた。
「クロウ!」
カーネリアが駆け寄ってくる。
「無事でよかった! 私たち、また勝ったのよね! すごいわ!」
「ああ。あの”声”のおかげだ」
「……」
「カーネリアにも聞こえたんだな?」
「うん……森から出てくるギマを撃てっていう”声”が聞こえて……それがびっくりするほど正確で、撃ち漏らしがほぼないのよ……正直驚いた。あれがゼルの”声”なのね?」
正直なところは、カーネリアの長所である。
「ああ、そうかもな……だが、よくやってくれた、カーネリア」
「そりゃ私だって、クロウよりベテランのデューンブレイドだから!」
褒められてカーネリアの顔が朝日に輝く。
「ありがとう。皆のいるところまで辿り着いたギマはいないな?」
「いないわ。城壁の前でオーカーの部隊が全部倒してくれた」
「わかった」
しかし、クロウはもうカーネリアを見ていない。
彼の視線の先には、城門まで下りてこちらを見ている姿があった。白藍の鎧に朝陽が反射している。
「ゼル……」
クロウは既に気がついていた。
「あっ! 見て! 馬達が戻ってきたわ!」
カーネリアが叫んだ。
一頭の馬がクロウの元へと駆け寄る。彼の鍛えた馬だ。素早く飛び乗る。
「どこにいくの!」
カーネリアのを背中に受けながら、クロウはゼルの腰をひっ掴んで馬に引っ張り上げていた。
そのまま廃墟の横をすり抜け、街の東側へと抜ける。
「待て!」
クチバがすごい形相で追いかけてきた。大きな黒い軍馬だ。
「ゼル様をどこへ……え?」
「……」
クチバを止めたのはゼルだ。彼は馬に横乗りになっていたが、静かに手を上げて副官を制する。
「……」
クチバはうなずいて馬を停止させた。そこには言葉の不必要な信頼関係がある。
彼らの信頼関係はクロウを苛立たせ、馬の速度を上げた。
夏の朝陽がどんどん登っていく。前方にまばらな樺の林があり、クロウはその中へと馬を進めた。
戦場だった森と違い、広葉樹の葉から光が透けて、空気は光で満たされている。
柔らかい下草が茂っている空き地でクロウは馬を止めた。
ゼルを抱いて馬から下りると、手を取って進む。ゼルもまた黙って従った。
セルが足を止めたのは、小さな泉の岸辺。
水源はどこなのだろうか、青いインクを流したような水底に白い倒木が折り重なって沈んでいる。
小魚がその隙間を泳ぎ回っていた。
「……鎧を外せるか?」
クロウがゼルに尋ねた。
『……私だけでは外せない』
「俺がわかるか?」
『あなたが?』
「ああ。俺を見てくれ」
ゼルは素直にクロウの顔を見つめた。
『わからない。顔も声も私の記憶にはない……でも』
「でも?」
『もういない人の、心の形と匂いに似ている……』
「俺もそうだ。あなたの顔も声も知らない。けど、俺もあなたを知っている」
『どうして?』
「あなたの放った言葉の癖に覚えがある……今まで、自分の思い込みにばかり囚われていて、考えが及ばなかったんだ。
『私の言葉の癖?』
「信じてって言った」
『……クロウ?』
「違う。そうじゃない。俺の名はナギ。レーゼにもらった俺の大切な名前』
『ナ……ギ?』
「そうだ」
『ナギ?』
「そうだよ、レーゼ」
『ナギ! ナギ!?』
その瞬間、ゼルの鎧から光が放たれた。
きらきらきらきら
風が光りながら渦を巻く。
鎧は無数の光の破片となって舞い散った。
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