第33話31 ゼル 2

「こえぇ?」

 カーネリアが頓狂とんきょうな声を上げた。クロウはうつむき加減のゼルを見つめている。

「声って、声のこと?」

「そうだ」 

「声がなんだっていうの? 指揮するときに声を出すなんて、当たり前のことじゃない」

「ゼル様の声は特殊なんだ」

 クチバが謎のような言葉を吐く。クロウは何も言わなかった。

「どういうこと?」

「実践で見せよう。ゼル様、よろしいですか? この娘はデューンブレイドの多くの考えを代表しているように思います」

「……」

 ゼルは黙ってうなずいた。

「ありがとうございます。では……おおい!」

 クチバはそう言って、丘の下の演習場の兵士たちへと声をかけた。低いがよく通る声に兵士たちがさっと訓練の動きを止めて上を見る。

「先ほどの陣形を試すぞ! ギマ役の者たちは遠慮なくかかってくるように!」

 その声で兵士たちが移動を始める。ギマ役の兵士たちは森の中へと入っていった。

「この高台からなら、演習の全貌が俯瞰ふかんできるが、平地にいる兵士たちには自分たちの周りの状況しかわからない」

「そうね」

「しかし、魔女は<伝令者>のギマの目を通して、俺たちの動きを把握している。だからこそ俺たちは今まで苦戦してきたんだ」

「そんなこと知ってるわ。ギマは全方位から攻めてくる。だから、わたしたちもいろんな戦法を考えているのよ。ねぇクロウ?」


 ピイィィィーーーッ!


 クチバはカーネリアに応じないで高く笛を吹いた。

 戦闘開始の合図である。

 前方の森の中からギマ役の兵士が現れる。何度も遭遇した敵だから、群れで押し寄せてくる彼らの恐怖は身に沁みついている。演習といえども、その様子には鬼気迫るものがあった。

 そして百人隊の精鋭が、クロウの思い描いたとおりに先鋒をきる。

「蹴散らせ!」

 槍の穂先の陣形で騎馬が突っ込む。本来ならそれはクロウの役目だったが、今はサップがその役目を担い、ジェルマの守備隊長のセザリオが補佐をしている。半分くらいは白藍の使徒の隊員だ。当然ギマ役の方が遥かに多いが、それはデューンブレイドの若者が務めている。

 さすがに本気で馬に蹴飛ばされるわけにはいかないので、馬の足近くのギマは吹っ飛ばされる演技で倒れこむ。そこに棒に色付きの布を巻いた鎗隊が、ギマの頭や首に触れ、染粉をつけていくのだ。

 ギマは首から上を破壊されると土に還るから、そこでこの役目はいったん終わりである。

 しかし、ギマの向上した波状攻撃も無視するわけにはいかなかった。

 ゾルーディアの魔力を奪ったエニグマは、ますますその魔力と憎悪を深めているのだ。

 仮想ギマたちは、正面の森からだけでなく、側面の森や岩陰から続々と出現する。

 しかし、三十人くらいの小隊に分かれた一団が、的確にギマの出現場所に待ち伏せて攻撃していく。その動きはまるでギマが、どこから出現するのかがわかっているようだった。

「ちょっと! これはどういうことなの? あれではまるで、ギマの動きを予測できているようだわ。斥候せっこうを放った様子もなかったのに!」

 カーネリアは理解できないように首を振った。

「何かの方法で誘い出したの?」

「声が教えてくれるんだ」

「声? さっきも言ってたわね。ちゃんと説明してちょうだい」

「ゼル様は皆に声を届けることができる」

「声を届けるぅ?」

 カーネリアは愕然がくぜんと、背後のゼルを振り返った。

「ゼル様は、あの鳥の目を通して戦闘を見ている」

 クチバが指さす空には黒い鳥が悠々と飛んでいた。クロウにはそれが若いギセラだとわかった。ギセラは鳥類では獰猛かつ賢い鳥で、別名「眠らぬ鳥」とも呼ばれている。生命力が強いのだ。

「鳥の視界がわかるの!? 信じられないわ。クロウはどう見る?」

 カーネリアはますます胡散臭うさんくさそうに振り返ったが、クロウは相変わらず何も言わずに眼下と、そしてゼルを見ている。

「どうなってるのよ、説明しなさいよ!」

 カーネリアはクチバに文句を言ったが、応じたのはゼル本人だった。

『この鎧の力。多くは伝えられないが、少しは皆の役に立てる』

「ゼル様、あまり無駄に力を使われますな。お疲れになります」

 クチバがゼルを庇うように、カーネリアの前に立つ。

「ゼル様は鳥の目を通して戦況を分析し、指示を伝えてくれる。その指示は頭の中に届く。だから俺たちは、その指示で小隊を動かしたんだ。俺がギマの群れに襲われた時、のがれられたのも、ゼル様のおかげだ」

「……」

「だから魔女を倒すには、ゼル様の力が必要で、ゼル様は直接戦えないから俺たちが守る。あんたたちも、そこは理解してほしい」

 クチバの言葉には威圧するような響きがあった。

「な、なによ! もったいぶって。ねぇ、クロウはどう思うの?」

「確かに、白藍の隊員が指示して、小隊をギマの隠れ場所に誘導していた。こんな戦闘は見たことがない。でも、俺はそれができる人物を知っている」

「ま、まさか!」

 クロウは、カーネリアの言うことなど聞こえてもいない様子で、うつむき加減にたたずむゼルを見ている。

「と、とにかく! これだけでは私は信じられないわ! こんな人と私は一緒に戦えない!」

「……俺は」

 ゼルはクロウに顔を向けたが、面貌が顔の全てを覆っているので、その視線の先はわからない。

 しかし、クロウは、間違いなく自分が見られていると感じた。この人物は常に真っ直ぐに人を見つめる。見えない二人の視線が確かに交錯していた。

「あなたは……」

『……すまない、少し休む』

 クロウの言葉に、ゼルはふいと顔を逸らした。

 そして、一人で丘を降りていく。クチバが黙って後を追った。眼下の演習は終わりに近づいていた。

「ふん! あんな人たちをクロウは信じられるの?」

「わからない。でも、俺は確かめたい」


 そして、それから半月後。

 レジメントの軍勢はいくつかの部隊に分かれ、北東へ向けて動き出した。

 北、それも北東にエニグマの新しい拠点ができていると、ゼルがクチバに伝えたらしい。

 それは魔力で作られた島だという。

「島なんて作れるのか?」

「人間の伝令を立てるわけにもいかないからな。カール……ゼル様のギセラの視界からわかったようだ。厄災の魔女も相当の覚悟なんだろう」

 ブルーのもっともな疑問にクチバが難しい顔で答えた。

「確かに、ここまで意外とギマとの遭遇率は低かったが……恐ろしい魔力だな」

 大きな部隊にしなかったのは、隊列が伸びきってしまうと横からの攻撃に弱く、隊が分断されて混乱するのを防ぐためだ。

 幸い、東へ向かう街道はいくつもある。伝令が各部隊の間をひっきりなし行き来して、状況を共有する。

 短期間でここまでの組織を作り上げたのは、元シグルのクチバの功績が大きいが、人身掌握に長けたブルーも大いに実力を発揮した。

 今やこの二人はレジメントの双璧であった。

 一方クロウは、自分に任された百人隊は鍛え上げたが、訓練の時以外は一人でいることが多かった。

 ブルーやカーネリアとも必要な時以外は話さないで、近づいてほしくない雰囲気を隠そうともしない。

 移動中は別として、休憩中や夜などは不意にいなくなることもある。

 クロウは探していた。

 白い鎧の人影を。

 少なくともクチバはゼルについて、もっと知っているはずなのだ。

 だから、彼の周りを気をつけていたが、遠目にも目立つゼルの鎧姿は見かけない。


 普段はいったいどこにいるんだ……。


 その日も訓練で暮れ、紫色の空に釣り針のように細い月が昇ろうとしていた。

 夜はギマとの遭遇率が格段に上がる。だから、各部隊とも、赤々と火を灯し、見張りや哨戒しょうかいを怠らない。

 ゼルとブルーの部隊は、森の近くの滅んだ街で野営していた。

 大陸東の街は、ほとんど魔女とギマによって襲撃され、このような廃墟も珍しくない。皆緊張していて、休んでいる間も空気が張り詰めていた。

「様子を見てくる」

 クロウが立ち上がった。

「おい、複数で行けよ。危険だ」

「いや、一人の方が集中できる。何かあればすぐに知らせるから」

 クロウは自分の感覚に自信がある。

 ギマの気配なら誰よりも早く気づけるはずだ。だから、一人廃墟の外へと向かったのだ。

 そこには崩れかかった鐘楼がある。

 あまりに荒廃しているので、まだしも残っている城壁の方が安全だというので、見張りたちはこの塔にはいない。

 しかし、クロウはどこか昔を思い出させるその塔に足を踏み入れた。

 四角い内部の壁に沿って、狭い階段が螺旋状に連なっている。抜け落ちた部分もあり、月の明かりだけでは足元が危ういが、気にもならない。

 そして、上り詰めた先に──。

 白い姿があった。

 四本の柱の上には穴の空いた屋根があり、そこにはひびの入った小さな鐘がまだ吊られている。

 人影はその柱の一つにもたれていた。

 上空を眠らない鳥、ギセラがまるで見張りのように旋回している。

 クロウは浮世離れしたその光景に珍しく息を呑んだ。

 つと、人型が振り返る、

 鎧を着込んでいてもその影は細い。鎧というには優美な装飾がほどこされていて、本当に身を守れているのかすら疑問に思える。

「あなたは……」

 言いかけて言葉に詰まる。人の言葉が通じるとわかっていても、声をかけることを躊躇わせる雰囲気が彼にはあった。

 しかし、呑まれたままではいるわけにはいかない。ゼルと呼ばれる人の前に立った。

「あなたは、誰だ?」

『私は……』

 ゼルが言いかけた時、二人は同時に同じ方向を見遣った。

「ギマだ!」

 ゼルは指を二本唇に添わして高く指笛を吹いた。それは夜の空気に高く澄んで届く。

『西の森』

「ああ。まだ遠い。だが、おそらく数で押してくる」

 クロウはゼルに向かって言った。

「俺は出る。あなたはどうする?」

『私、ここからあなたを助ける。信じて』

「わかった!」

 そう言ってゼルは、半ば飛ぶように鐘楼を下りた。下りながら考えた。


 どうして俺は、会ったばかりの人物にすぐに従えるのだろう?

 信じて、と言われることに抵抗がなかったのか?

 そして、なにが「わかった」のか?


 立ち止まって考えている暇はなかった。

 合図を聞いてすぐに百人隊が駆けつけてくる。どの兵士も既に臨戦体制だ。

「西の森! ギマ多数! 俺の部隊は騎馬で狩る! あとは百人組で扇状に散開しろ! モスはブルーに伝令!」

「は!」

 矢継ぎばやに命令を出す間も、クロウは精鋭を引き連れて夜を走る。

 城壁の外はかつては豊かな耕作地だったのだろうが、今は麦一つ生えない荒野だ。

『左のニレの大樹の影、<司令者>がいる』

 頭の中に声が響く。


 ああ……。

 ただしくこの声だ。


 クロウは、自分が笑っていることに気がついていなかった。


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